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クーデレ王女とキツネ令嬢  作者: 芦名 雅
第二章 クーデレ王女は噂を信じない

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第4話 地脈は王都へ引かれている


 フィーネの手が止まりかけた。


「分かるのですか」


「フェンリシアでも使っている。精度は低いがな」


「なら、その針を見ていてください」


「何をする」


「王都を指さなくなったら言って」


 フィーネは三本目の杭を抜いた。代わりに、別の位置へ一本打つ。光が走る。測定針が震えた。


「まだだ」


「分かっています」


 二本目。フィーネの指先から血が落ちる。石床へ滲む。ユーフェミアの眉が寄る。


「手を替われ」


「無理です」


「やり方を言え」


「殿下にはできません」


「決めつけるな」


「古代語が読めますか」


「少しは」


「この術式は?」


「読めない」


「では無理です」


「腹が立つな」


「今それを言います?」


 フィーネが最後の触媒を溝へ押し込む。光が、一度、強く弾けた。ユーフェミアは測定針を見る。針が回る。王都。西。北。また王都。そして、ゆっくり。王都とは反対の方角へ傾いた。


「変わった」


「どちらへ」


「外だ。王都から離れる向きへ」


 フィーネが息を止める。次の瞬間。祠を満たしていた紫色が消えた。青白い光だけが、古い溝を静かに走る。地鳴りも止まった。森に、虫の声が戻る。フィーネはその場に座り込んだ。肩で息をしている。


「......よかった」


 小さな声。ユーフェミアは測定針を見た。さっきまで暴れていた針が、今は、一定の方向で静止している。王都ではない。森の奥へ、さらに外へ、流れている。


「お前」


 フィーネが顔を上げる。


「これを壊していたんじゃないな」


 沈黙。


「流れを戻していた」


 フィーネは答えなかった。だが、否定もしなかった。ユーフェミアは祠を見る。崩れた石。古い溝。打ち直された杭。新しく埋められた触媒。そしてフィーネの手。指先には、今日ついたものではない小さな傷がいくつもあった。道具も新しくない。何度も使われている。金属の柄が擦れ。布袋には補修跡。これは。


 今夜思いついて始めた作業ではない。


「いつからやっている」


「......」


「一度や二度ではないな」


「殿下」


「何だ」


「腕」


 言われて見る。ユーフェミアの右手首に、小さな火傷のような赤い痕があった。さっきの魔力が掠めたらしい。


「これくらい何でもない」


「座ってください」


「お前の方が怪我をしている」


「私は慣れています」


 ユーフェミアの視線が鋭くなる。


「今、何と言った」


 フィーネが止まる。


「......何でもありません」


「慣れていると言ったな」


「聞き間違いです」


「誤魔化すのが下手だと言った」


「殿下はしつこいですね」


「ああ」


「認めるのですか」


「必要ならな」


 フィーネは諦めたように息を吐いた。小さな救急布を取り出す。


「手を」


「先に自分をやれ」


「殿下」


「ラグランジュ嬢」


 低く。逃げ道を塞ぐように呼ぶ。フィーネの動きが止まった。紫の瞳がこちらを見る。


「何ですか」


「血が出ている」


「見れば分かります」


「なら手当てしろ」


「殿下の方が先です」


「なぜ」


「私のせいで巻き込んだからです」


「違う」


「違いません」


「勝手についてきたのは私だ」


「だからといって」


「それに」


 ユーフェミアは一歩近づいた。


「お前は、自分より先に私を押し出した」


 フィーネの目が僅かに揺れる。


「反射です」


「そうか」


「そうです」


「なら反射で人を庇う女が、噂通りの冷酷な悪女ということにしておくか」


 フィーネの眉間に皺が寄った。


「皮肉ですか」


「事実確認だ」


「性格が悪いですね」


「お前に言われたくない」


 一瞬、フィーネの口元が、本当に僅かに動いた。笑ったのか。呆れただけなのか。分からない。すぐにいつもの無表情へ戻る。


「座ってください」


「お前もだ」


「......では、両方」


「最初からそう言え」


 二人は祠の外側の石へ腰を下ろした。フィーネがユーフェミアの手首へ薬を塗る。指先は冷たい。手当ては慣れていた。それも、あまり良い意味ではないのだろう。


「痛みますか」


「別に」


「我慢している人の返事ですね」


「お前に言われたくない」


「二度目です」


「覚えていたか」


「私は記憶力がいいので」


「知っている」


 フィーネの手が止まる。


「なぜ知っているのです」


「昨日、搬入記録を一度見ただけで、銀箱の番号を覚えていた」


 フィーネは何も言わない。包帯を結ぶ。ユーフェミアは彼女の左腕を見る。


「次」


「結構です」


「手を出せ」


「必要ありません」


「出せ」


「殿下」


「二度言わせるな」


 数秒の睨み合い。先に折れたのはフィーネだった。


「......横暴ですね」


「知っている」


「王族がそれを認めないでください」


 フィーネが腕を差し出す。裂けた袖を少し上げる。傷は深くない。だが範囲が広い。ユーフェミアは薬を塗る。フィーネの肩が小さく動いた。


「痛いか」


「別に」


「我慢している人の返事だな」


「......性格が悪い」


「三度目だ」


 フィーネが黙る。ユーフェミアは包帯を巻きながら、祠を見る。


「さっきの流れ」


「はい」


「王都へ吸われていた」


 フィーネの表情が硬くなる。


「測定針がそう示した」


「簡易器具でしょう」


「だから断定はしない」


「では」


「だが、フェンリシアで起きている異常と似ている」


 フィーネは視線を落とした。


「魔晶石の品質低下。結界出力の低下。水脈の減少」


「......」


「昨日の会談で、レグリア側は関係ないと言った」


「私は政府ではありません」


「知っている」


「なら私に言われても」


「お前は何か知っている」


「知りません」


「今夜ここで地脈を触っていた女が言っても説得力がない」


「......」


「しかも、初めてではない」


 ユーフェミアはフィーネの道具袋を見る。


「その工具。使い込まれている」


「物持ちがいいだけです」


「指の傷」


「不器用なので」


「夜間通行。門番は月に何度も見ていると言った」


「殿下」


「何だ」


「門番に聞いたのですか」


「ああ」


「......本当に面倒な方ですね」


「四度目だ」


「数えているのですか」


「今からでもやめるか?」


「いいえ。事実ですので」


 フィーネは立ち上がった。道具を片づけ始める。一本ずつ。位置を確認しながら、ユーフェミアも立つ。


「この祠は何だ」


「古い水源保全施設です」


「大元の環路そのものではありません。流れを読むための古い支点です」


「それだけか」


「それだけです」


「さっきの術式は」


「古いものです」


「なぜ王都へ流れが逆転している」


「知りません」


「なぜお前が直せる」


「少し勉強しました」


「少し?」


 フィーネは答えない。折り畳んだ紙を道具袋へ入れる。その瞬間。一枚だけ。風にめくれた。ユーフェミアの目に、円が見えた。一つ。二つ。三つ。もっとある。そのうち幾つかには線が引かれている。フィーネはすぐに紙を閉じた。


「今のは」


「何でもありません」


「何か所ある」


「殿下」


「ここだけではないんだろう」


 沈黙。フィーネはフードを被った。


「帰ります」


「答えろ」


「お断りします」


「ラグランジュ嬢」


「殿下」


 彼女が振り返る。月明かりの下。灰銀の髪が外套から少しだけこぼれていた。冷たい顔。拒絶する目。けれどユーフェミアは、もう昨日までと同じようには見られなかった。この女は、人目を避け。誰にも褒められず。自分の手を傷だらけにして、何かを直している。しかも、それを知られたくない。


「一つだけ聞く」


「......何でしょう」


「お前がこれを続ければ、フェンリシアの地脈は戻るのか」


 フィーネの瞳が揺れた。今までで一番大きく。それだけで、十分だった。


「関係があるんだな」


「私は何も言っていません」


「顔が言った」


「殿下に表情を読まれた覚えはありません」


「今、覚えろ」


「嫌です」


 即答だった。ユーフェミアの口元が少し緩む。


「では、もう一つ」


「一つだけでは?」


「気が変わった」


「横暴」


「五度目だ」


「それは性格が悪いの回数でしょう」


「そうだったか」


 フィーネは明らかに疲れた顔をした。


「何ですか」


 ユーフェミアは祠を指す。


「説明しろ」


 フィーネはしばらく黙った。森の風が、二人の間を抜ける。やがて、彼女は静かに答えた。


「......嫌です」


「そうか」


「諦めていただけますか」


「いや」


「でしょうね」


「明日また聞く」


「明日は会いません」


「なら会いに行く」


「外交問題になりますよ」


「ナディアにも言われた」


「側近の言うことは聞いてください」


「必要なら聞く」


「今が必要です」


「それはお前が決めることではない」


 フィーネが目を細める。


「では、殿下が決めるのですか」


 その言い方に、何かがあった。ただの嫌味ではない。ユーフェミアは一瞬、返事を止める。


「......少なくとも、お前の秘密を勝手に公表はしない」


 フィーネの目が少し見開かれた。


「だが、私の国に関わるなら調べる」


「それでは困ります」


「困れ」


「ひどい方ですね」


「六度目か?」


「もう数えなくて結構です」


 フィーネは馬の方へ歩き出した。ユーフェミアも続く。


「ついてこないでください」


「帰る方向が同じだ」


「殿下の馬はあちらでしょう」


「よく見ているな」


「尾行されていましたから」


 ユーフェミアの足が止まる。


「いつ気づいた」


 フィーネも止まる。顔を向けないまま答えた。


「小門を出る直前には気づいていました」


「......何?」


「隠れるのが下手です」


「ならなぜ撒かなかった」


「撒いたら、もっと追ってくると思いました」


 正解だった。ユーフェミアは認めざるを得ない。


「それに」


 フィーネが少しだけ顔を横へ向けた。


「殿下が、どこまで見ているのか確認したかったので」


 今度はユーフェミアが黙る番だった。


「お前」


「何でしょう」


「思ったより性格が悪いな」


「存じております」


 その返事だけは、少しだけ。楽しそうに聞こえた。



 王都へ戻ったのは、日付が変わる少し前だった。小門で馬を返す。門番は何も聞かなかった。ユーフェミアも何も言わない。ラグランジュ邸へ向かう道と、王宮へ向かう道が分かれる。フィーネが立ち止まった。


「今夜のことは」


「言いふらす趣味はない」


「昨日も聞きました」


「なら覚えているだろう」


「記憶力がいいので」


「そうだったな」


 フィーネは小さく一礼した。


「では」


「待て」


「まだ何か?」


「傷は明日も手当てしろ」


「セリアがします」


「食べてから寝ろ」


「なぜそこまで」


「倒れられると困る」


 フィーネが無言になる。ユーフェミアは続けた。


「地脈の話を聞けなくなる」


「......そういう意味ですか」


「他に何がある」


「何もありません」


 なぜか少しだけ声が冷たくなった。ユーフェミアには理由が分からない。


「では、失礼いたします」


「ああ」


 フィーネが歩き出す。今度は呼び止めなかった。黒い外套が、夜の道へ消えていく。ユーフェミアはその背中を見送った。昨日。噂は信じないと決めた。今夜。自分の目で見た。フィーネ・ラグランジュは確かに隠し事をしている。夜中に王都を抜け出し、誰も知らない古い祠で、国の地脈へ触れている。十分に怪しい。


 十分に危険だ。それでも、少なくとも一つ。分かったことがある。あの女は、壊しているのではない。直している。そして、魔力が暴れた瞬間。何の迷いもなく。自分より先に、ユーフェミアを守った。


「......面倒なのは、どちらだろうな」


 ユーフェミアは小さく呟いた。答える者はいない。



「殿下」


 王宮西棟へ戻ると、ナディアが扉の前に立っていた。腕を組んでいる。笑っていない。


「ただいま」


「お帰りなさいませ」


「怒っているか」


「いいえ」


「嘘だな」


「私は殿下と違って、散歩だとは申しません」


 ユーフェミアは部屋へ入る。ナディアも続いた。


「それで」


「何だ」


「何がありました」


「少し怪我をした」


 ナディアの顔色が変わった。


「殿下」


「軽い」


「見せてください」


 手首を見せる。包帯。ナディアが目を細めた。


「これ、殿下が巻いたのではありませんね」


「ああ」


「誰が」


「ラグランジュ嬢」


 沈黙。


「......ずいぶん、あの令嬢を気にかけていますね」


「そこか?」


「大事でしょう」


「大事ではない」


「そうですか」


「何だ、その顔は」


「別に」


 ナディアは包帯を確認する。


「怪我は本当に浅いですね」


「ああ」


「では、本題です」


 顔を上げる。


「ラグランジュ令嬢は、何をしていたのです」


 ユーフェミアは窓の外を見る。王都の灯り。その先にある、暗い森。青白く光った古い術式。王都へ吸われていた流れ。それを逆へ戻したフィーネ。


「まだ分からない」


「またそれですか」


「だが」


 ユーフェミアは言った。


「次は本人から聞く」


「話すと思います?」


「話させる」


「脅します?」


「いや」


「では?」


 ユーフェミアは少し考える。命令すれば、立場を使えば、外国王女として圧力をかければ、情報を引き出す方法はある。だが、なぜか。それは違う気がした。


「......説明しろと言う」


「それだけ?」


「ああ」


「断られたら?」


 ユーフェミアは、祠での最後のやり取りを思い出した。説明しろ。嫌です。


「また聞く」


 ナディアが長く嘆息した。


「殿下もしつこいですね」


「ああ」


「そこは認めるんですね」


「必要ならな」


 ユーフェミアは窓から離れた。明日。またフィーネに会う。理由は地脈調査だ。それ以外ではない。今は、少なくとも、そういうことにしておいた。



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