【第六期】第72章 キメラの覚醒と沈黙の海
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1944年4月下旬
瀬戸内海 芸州・浅野港湾 巨大ドック群
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハワイ・オアフ島の血塗られた砂浜で、アメリカ合衆国が誇る「マニュファクチャリング・モンスター(大量生産の怪物)」の第一波が完全にすり潰されてから、およそ一ヶ月。
太平洋の波濤は、まるでこれまでの凄惨な死闘が嘘であったかのように、重苦しく不気味な「沈黙」を保っていた。
アメリカ軍はタラワ沖で主力空母8隻を無傷で降伏・鹵獲されるという未曾有の屈辱を味わい、ハワイに取り残された上陸部隊も無条件降伏を余儀なくされた。西海岸へと逃げ戻ったアメリカ第5艦隊は、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の狂気的な『国家総力戦体制』のもと、カイザー造船所やデトロイトの自動車工場を限界突破で稼働させ、失った空母の三倍の数を一気に建造する深い「再編期」へと沈み込んでいた。
そして、豊栄大日本帝国もまた、第一艦隊がハワイ沖で46センチ砲弾を完全に撃ち尽くして後退したのをはじめ、歴戦の四個機動艦隊が極限まで航空機とパイロットを消耗し、本土の軍港で傷を癒やしながら次なる決戦の準備を急いでいた。
双方の巨人が深く息を吸い込む、嵐の前の静寂。
しかし、その静寂の裏側で、帝国の巨大なドック群は24時間365日、一秒の休みもなくけたたましい金属音とアーク溶接の眩い閃光を放ち続けていた。
「おい! 越前松平の装甲板の第三ロットが届いたぞ! クレーンを回せ! 船体側のバルジ(張り出し装甲)の溶接が済む前に、甲板へ叩き込むんだ!」
島津重工・特務技術少佐である伊集院 誠は、足場の上に立ち、メガホン越しに血走った目で怒号を飛ばしていた。
彼の眼下に広がる巨大な乾ドックには、数ヶ月前にタラワの海で星条旗を下ろし、白旗を掲げたアメリカ海軍の新鋭大型空母『エセックス級』の巨大な船体が、無残に上部構造物を剥がされた状態で横たわっている。
アメリカが「未熟な工員でもブロック工法で数週間で粗製濫造できる」ように設計し、沈めば次を補充する消耗品として造り上げた基準排水量2万7100トン級の巨大な鉄の箱。浅野港湾・特務技師長の浅野 鉄平をはじめとする帝国の職人たちは、この巨大な船腹を「最高の素材」として、極限の技術収奪と魔改造を施していたのである。
「伊集院少佐! 第2エレベーターの換装、完了しました。藤堂製作所の新型油圧シリンダーは、アメリカのオリジナルの倍の重量を持ち上げられますぜ!」
煤と油にまみれた工員が、誇らしげに報告に駆け寄る。
「よし。次はカタパルトだ。佐賀精密機械の連中が削り出した『超高圧油圧カタパルト』を、アメリカの粗悪な蒸気シリンダーの跡地へ無理やりねじ込め。これからの機動部隊は、2500馬力級の重い新鋭機を連続射出できなければ話にならんからな」
アメリカ空母の最大のアキレス腱であった、防御力ゼロの「木張り飛行甲板」。伊集院らはこれを完全に引っ剥がし、親藩・越前松平重工業製の極厚特殊装甲鋼板を甲板の主要部分に二重、三重に上張りした。強引な重装甲化による重心の上昇と復原性の悪化を防ぐため、船体側面には巨大なバルジが溶接され、その無骨なシルエットはさらに異様な横幅を持つに至っていた。
「……まるで、アメリカのデカい図体に、日本の分厚い鎧を着せた『キメラ(合成獣)』だな」
浅野鉄平が、図面板を片手に見上げながら苦笑した。
「兵器に美しさなど不要だ。アメリカの使い捨てのドクトリンを、我が国の『絶対に沈まない盾』の思想で完全に塗り替えるのだ」
伊集院少佐は、アメリカ製空母の舷側に新たにボルト留めされた火器群を指差した。
アメリカの5インチ両用砲はすべて撤去され、代わりに水戸徳川造兵工機が誇る『長10センチ連装高角砲』がハリネズミのように増設されている。さらに艦橋には、アメリカのSCレーダーに代わり、筑前・黒田精機が解析・改良を施した最新型の『電波探知機(電探)』と、敵のVT信管を無効化するための強力な『野戦電波妨害機』が搭載されていた。内装に至っては、美濃・竹中数理演算所の論理システムを組み込んだ最新の『CIC(戦闘指揮所)』が、アメリカのレイアウトを丸ごと模倣・最適化する形で組み込まれている。
「それにしても、伊集院少佐」
浅野鉄平が、塗装待ちの巨大な船体を見上げてニヤリと笑った。
「海軍省の連中も人が悪い。鹵獲したエセックス級を編入するにあたり、あえて『鷲型正規空母』などと名付けるとはな。……『鷲』と言えば、アメリカ合衆国の国鳥であり、奴らの力の象徴そのものだろう」
「その通りだ」
伊集院は、汚れた手袋で真新しい装甲板を叩いた。
「アメリカが自らの絶対的な大量生産の力と誇りを象徴して生み出した船を、我々は力ずくで強奪した。その合衆国の象徴(鷲)の首輪を我々が握り、我々の手で調教し、我々の刃として彼らの喉元へ撃ち返すのだ。……これ以上の極上の意趣返しがあるか? ルーズベルトがこの事実を知れば、怒りで血を吐くだろうさ」
アメリカの圧倒的な「船体容積」と、日本の極限まで洗練された「重防御・職人技」の悪魔的な融合。そして相手の誇りをへし折る絶対的な命名。
かつて『ボノム・リシャール』や『イントレピッド』と呼ばれていたエセックス級空母群は、和泉堺の「堺公差」によってネジ一本に至るまで帝国規格に書き換えられ、ここに『鷲型正規空母』という新たな血統として完全に生まれ変わったのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同日 午後3時
瀬戸内海 播磨灘沖合
新編・第六機動艦隊 旗艦 鷲型正規空母『飛鷲』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
瀬戸内海の波静かな海原を、巨大な航跡を引いて疾走する鋼鉄の巨城があった。
ドックでの狂気的な大改装を終え、真新しい日章旗をマストに掲げた鷲型正規空母の1番艦『飛鷲』、および『翔鷲』『蒼鷲』『猛鷲』ら8隻からなる、帝国の新たな主力部隊──『第六機動艦隊』である。
「……機関出力、15万馬力で安定。アメリカのボイラーとタービンは、配管を堺公差に交換しただけで、我が国の空母を凌駕する出力を軽々と叩き出しています。バルジを増設して船体が太くなったというのに、速度は33ノットを軽く超えています」
『飛鷲』の羅針艦橋で、航海長が信じられないものを見るように計器盤を見つめていた。
新編・第六機動艦隊司令長官、角田 覚治中将は、アメリカ海軍の設計が残る広々とした艦橋から、極厚装甲板が敷き詰められた広大な飛行甲板を見下ろし、豪快に笑った。
「ルーズベルトの野郎、とんでもない馬力のエンジンをこの鉄の箱に積んでいたものだ。これほどの出力があれば、装甲をいくら分厚く着せようが問題なく走るわけだ。アメリカの力技には恐れ入る」
角田の視線の先、鉄の飛行甲板には、岐州重工(織田家)が生み出した帝国航空技術の最新鋭機が所狭しと並べられていた。
2500馬力級の超大出力空冷星型発動機を搭載し、二重反転プロペラを備える四二式艦上戦闘機『天風』。そして、魚雷と爆弾の両方を同時に抱えながら戦闘機並みの機動力を誇る四三式艦上攻撃機『迅星』である。
「第一攻撃隊、発艦用意! カタパルトへ機体を乗せろ!」
飛行長の怒号とともに、佐賀精密機械製の高圧油圧カタパルトが作動する。
『飛鷲』の甲板から、重武装の『天風』が次々と凄まじい加速力で空へ蹴り出され、瀬戸内の空を切り裂くような二重反転プロペラの飛翔音を轟かせた。
これまで、日本の空母は自らの向かい風(合成風力)を利用して長い距離を滑走発艦しなければならなかった。しかし、アメリカの広大な甲板と巨大な船体容積、そこに日本の高圧油圧カタパルトが融合したことで、どんなに重い最新鋭機でも、わずか数十メートルの距離で淀みなく次々と空へ放つことが可能になったのである。
「素晴らしい……。アメリカの国鳥の背中に、日本の刃がこれほど完璧に馴染むとはな」
角田覚治中将は、双眼鏡越しに『天風』の美しい編隊飛行を見上げながら、獰猛な闘志を燃え上がらせた。
「長官。各艦の航空隊から、新鋭機の慣熟訓練は非常に順調であるとの報告が相次いでいます。パイロットたちも、この『飛鷲』の巨大な甲板と安定した着艦性能、そして何よりも船の圧倒的な安定感を大いに気に入っているようです」
「よし。ならば、我々がただ内海で浮かんでいるだけの時間は終わりだ」
角田中将は、軍刀の柄を強く握りしめた。
「アメリカの太平洋艦隊がハワイから叩き出され、西海岸の工場で引き籠もっている今この瞬間こそが、帝国にとって千載一遇の『黄金の隙』だ。我々第六機動艦隊は、このアメリカの象徴を奪い取った『キメラの牙』をもって、大英帝国の南半球における残党どもに、完全な引導を渡しに行くぞ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1944年5月上旬
帝都・東京 江戸城本丸跡・幕府最高臨戦評議場
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
世界が絶望的なまでの次の流血の準備を進める中、江戸城の地下深く、分厚い鉛とコンクリートに守られた最高臨戦評議場には、冷酷極まるソロバンの音が響き渡っていた。
「……ハワイの真珠湾を奪還した我が軍の占領部隊からの報告です。オアフ島周辺の海底調査により、アメリカ軍が敷設していた防潜網および機雷の撤去はほぼ完了。さらに、浅野港湾と奥州鉱業の特務工兵部隊が昼夜を問わず行っている『完全地下要塞化』の工事も、予定通り第一フェーズを終えようとしております」
幕府特務・防諜総監である小栗 忠純が、巨大な太平洋の海図のハワイ諸島に、新たな「黒い防壁」の印を書き込みながら報告した。
「これで、アメリカが西海岸からいかなる巨大な艦砲射撃を降らせようとも、我が軍の守備隊と、ハワイの地下に運び込んだアメリカ製の膨大な鹵獲兵站物資は無傷で保たれます。大和型の巨砲はなくとも、ハワイはもはやアメリカが容易に近づける島ではありません」
国家財務総監・水野 忠徳は、扇子を開いて愉しげに笑った。
「ルーズベルトの野郎も、今頃は西海岸のドックで必死に鉄板を溶接していることだろう。タラワで失った8隻の空母を補うために、奴らの生産力は完全に太平洋艦隊の再建に吸い込まれている。アメリカの新たな大艦隊が再び外洋へ出てくるまで、少なくとも半年……いや、秋までは奴らは物理的に動けない」
水野の言葉に、評議場の空気は一気に引き締まった。
「その『動けない半年』こそが、我が国がユーラシアと太平洋の覇権を永遠の形へと固定化するための、最後の猶予というわけだ」
評議場総裁にして永世宰相たる徳川 家正が、パイプの紫煙をゆっくりと吐き出し、重厚な声で沈黙を破った。
家正はゆっくりと立ち上がり、海図のさらに南──巨大な大陸、豊秋津島の東岸と南岸を指揮棒で鋭く叩いた。
「我が国の先祖たち(棄民)が340年かけて切り拓き、莫大な鉄と石炭を産出し続けている帝国の絶対的な生命線、豊秋津島。しかし、その東岸の『シドニー』、および南岸の『メルボルン』には、未だに19世紀の借金のカタとして大英帝国が強奪した『英連邦租界』が居座っている」
家正の眼鏡の奥の瞳が、冷酷な怒りの光を宿した。
「すでにロンドンのイングランド銀行はナチスの爆撃で灰燼に帰し、彼らが我が国を縛り付けていたポンド建て国債の証文(原本)は完全に消滅した。さらに、彼らの本国であるイギリスはナチスの軍靴に踏みにじられ、インドでも我が方の山下中将の軍勢がインパールを越えようとしている。……大英帝国はすでに、国家としての実体を失った亡霊に過ぎない」
家正宰相は、諸侯院から特例で同席していた島津重工の総帥・島津 忠重と、毛利鉱山の総帥・毛利 元道を見据えた。
「にもかかわらず、あのシドニーとメルボルンの英連邦守備隊は、アメリカからの救援をあてにして、今なお10万人近い兵力とともに我が国の王土に立て籠もっている。アメリカの太平洋艦隊が崩壊し、ヨーロッパでは地中海でアメリカとドイツが泥沼の血を流している今、彼らには一粒の麦も、一発の銃弾も届かない。彼らは完全に『ユーラシアの孤児』となったのだ」
小栗忠純が、防諜報告の書類を机に置いた。
「シドニーの英連邦政府は、カナダに逃れたチャーチル首相に対し、連日のように悲痛な暗号電報で救援を要請しています。しかし、チャーチルはインド防衛に全力を注いでおり、豊秋津島へ差し向ける艦隊は一隻もありません。彼らは文字通り、干上がった檻の中のネズミです」
家正宰相は、静かに、しかし絶対的な殺意を込めて宣言した。
「これより、豊秋津島における英連邦租界の『完全制圧』を命じる。アメリカが西海岸から動けないこの数ヶ月の間に、大英帝国が150年間、我が国の喉元に突き刺していた最後のトゲを物理的に引き抜くのだ」
家正は指揮棒で、日本本土の瀬戸内海に待機する新たな青い駒を弾いた。
「角田覚治中将率いる新編・第六機動艦隊。アメリカの矜持たる鷲の船体に、日本の規格を纏った『鷲型空母』8隻を、直ちにシドニー沖へ進出させよ。海から完全に封鎖し、逃げ道を断つ。そして陸からは……」
家正の視線を受け、島津と毛利の総帥が不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「我々外様財閥の私兵にお任せあれ」
毛利元道が低く笑う。
「内陸部で開拓と警備を担っている『第五山岳鎮撫兵団』をはじめとする財閥陸戦隊は、すでに南太平洋で鹵獲したアメリカ製の大型重機やM4シャーマン戦車の改修を終え、ブルーマウンテンズ山脈の裏側でエンジンを温めております。海から角田のキメラ空母が睨みを利かせている間に、我々が陸からシドニーの背後へ雪崩れ込み、イギリスの残党どもを文字通り海へ叩き落として御覧に入れます」
「よかろう」
家正宰相は深く頷き、壮大な世界地図全体を見渡した。
「欧州では、アメリカとドイツがイタリア半島とアフリカで泥沼の消耗戦に突入している。そしてインドでも、イギリス軍が必死の遅滞戦闘で出血を続けている。彼らが互いの血を流し合っているこの半年間が、我々が太平洋と豊秋津島の『完全なる主権』を取り戻し、米英に一切の干渉を許さない完全なブロック経済圏を完成させるための、最初で最後のチャンスだ」
江戸城の地下要塞に、帝国の冷徹な最終宣告が響き渡る。
「出撃せよ。大英帝国の墓標を、豊秋津島の赤い大地に深く刻み込むのだ」
1944年春。
日米が再編の沈黙に沈む太平洋において、豊栄大日本帝国は決して立ち止まっていなかった。
敵から奪った最強の船体に、自らの職人技を纏わせた異形のキメラ艦隊。そして、内陸の荒野から迫る野心に満ちた財閥の私兵たち。
大英帝国が19世紀から強奪し続けてきた「最後の王土」を完全に取り戻すための、豊秋津島・英連邦租界への無慈悲な処刑作戦が、今ここに火蓋を切ったのである。




