第29話:店長、異世界のハサミと絶望のピース
翌日。俺はバックヤードの鏡の前で、入念にヘアセットをしていた。そんな俺の姿を、アラクネが不思議そうに眺めている。
「店長、何してるの?」
「ああ……アラクネか。店長たるもの、常に身だしなみには気を配っておかないとだからな」
そう言って、俺は鏡の中の自分に向かって大袈裟にキザな笑みを浮かべてみせた。
「店長……なんか、気持ち悪い」
アラクネに直球でドン引きされても、今の俺は微塵も動じない。
「ハハハ、何を言っているんだアラクネ」
フッと前髪をかき上げる。……そういえば、異世界に来てから髪が少し伸びてきたな。さすがにニート生活三年生とはいえ、接客業なのだからボサボサの頭というわけにはいかない。
「なぁアラクネ。この世界に『髪を切ってくれるお店(床屋)』ってあるのか?」
俺の問いに、アラクネは少しだけ首を傾げて考え──「うん!」と元気よく答えた。
よし、それなら話は早い。
「俺はこの店(聖域)を一歩も出るわけにはいかないんだ。その床屋さんは、こっちに出張してくれたりするのかな?」
アラクネはまた少しだけ考えて──「うん!」と無邪気に答えた。
「そうかそうか! それならアラクネ、その床屋さんをここに呼んできてくれないか?」
「わかったーー!」
アラクネは元気よくそう言うと、店を飛び出していった。
ふふふふ。髪をサッパリと切ってさらに男前になったら、リゼッタのやつ、ますます俺に惚れ直してしまうかもしれないな……。
俺はそんな極上の勘違いを膨らませながら、鏡の前でニタニタと締まりのない笑みを浮かべ続けていた。
◇
──夕方になっても、アラクネは帰ってこなかった。
「あいつ……床屋を呼ぶだけなのにいつまでかかってんだ。今日のバイト代(梅おにぎり)は抜きだな」
そんな文句をぶつぶつと言いながら、店内のモップがけをしていた俺の視界に、妙なものが映り込んだ。
ガラス窓の向こう、自動ドアのはるか彼方から、凄まじい土煙を上げて猛スピードでこちらへ近づいてくる巨体がある。
「なっ……!!! 何だ、あれはぁぁぁぁぁ!!!!!」
近づいてくるその物体の輪郭が、次第にハッキリとしてくる。
両腕には重厚で鋭い巨大なハサミを持ち、蠢く足は全部で八本。──そう、どこからどう見ても、巨大な『カニの化け物(魔獣)』だった。しかも、その甲羅の上には、ケラケラと楽しそうに笑うアラクネがちょこんと乗っている。
「嘘だろ……アラクネの言ってた『床屋』って、あのカニのことかよっ!? やべぇ、殺される、絶対にバラバラにされるっ!!!」
本能が全力の逃走を訴えるのに、恐怖のあまり腰が抜けて一歩も動けない。
そうしている間にも、カニの魔獣は凄まじい勢いで自動ドアの前へと迫る。
ウィーン、ピロリオリーン♪
入ってこなくていい! 頼むからセンサー反応すんな!!
俺の必死の祈りも虚しく、優秀な自動ドアはいつも通り軽快な入店音を鳴らし、巨体の化け物を温かく迎え入れた。
カニは大きな身体を器用に折り曲げ、ガサゴソと横歩きで店内へと侵入してくる。
「……俺の客は、こいつか!?」
カニの魔獣はハサミをギチギチと鳴らしながら、威嚇するようにその鋭い刃先を俺の目の前に突き立てた。
「あの……っ、そのハサミ、めちゃくちゃ危ないんで……一旦おさめてもらえますか……っ」
涙目で懇願するが、カニの鋭い眼光に睨みつけられ、俺はそれ以上言葉が続けられずに目をそらした。
終わった。この異世界でからあげクンを売り捌いて大儲けする前に、俺自身がカニの餌食になってバラバラにされる。
その時、甲羅から飛び降りたアラクネが、俺の前にスッと立ちはだかった。
「……カニさん。店長を虐めたら、殺しちゃうよ?」
ゾクッとするほどの冷徹な眼光。アラクネから放たれた本物の『捕食者』の殺気に、カニの魔獣が目に見えてたじろいだ。
「あ、アラクネちゃん、ご、ごめんよぉ! そんなつもりはなかったんだよぉ!」
いいぞアラクネ! お前は今日から我がロー◯ソンの最高にして最強のチーフボディーガードだ!!
アラクネはふんわりと表情を緩めると、カニに向かって人差し指を立てた。
「店長をね、もてる髪型にしてほしいの」
「おうよ、任せときな! 異世界一の床屋であるこの俺様が、こいつを男の中の男に仕上げてやる絶好の機会だぜぃ!」
◇
ウィーン。
自動ドアのすぐ目の前にパイプ椅子が設置され、俺はそこにちょこんと座らされた。
異世界迷宮のロー◯ソン店内で、身体に白い散髪布を巻かれた人間の男が、カニの魔獣に髪を切られている──これ以上ないほどシュール極まりない絵面である。
「じゃあ行くぜぃ!!! チョキィィィィンッ!!!」
カニは威勢のいい掛け声と共に、巨大なハサミを俺の頭上へと振り下ろした。
ビュンっ!! ビュンっ!! ビュンっ!!!
床屋の技術(物理)なのか、凄まじい刃の風圧と共に、俺の髪の毛がバサバサと辺りに舞い散る。生きた心地がしない。
わずか数回、ダイナミックにハサミが閃いた直後、カニは満足そうにハサミをパチンと鳴らした。
「──終わったぜ!」
「え……?」
あまりのスピードに自分の状況が全く分からない。俺は恐怖で滝のように流れ出る冷や汗を拭いながら、恐る恐る頭を下げた。
「あ……あ、ありがとう……ございます……」
気のせいか、頭頂部がやけに涼しい。というか、圧倒的に軽い気がする。
カニの床屋が「毎度ありぃ!」と満足そうに横歩きで去っていった後、俺とアラクネは二人で店内の掃除を始めた。
ほうきで床に散らばった髪の毛をかき集める。
「……う~ん」
集まった髪の毛の山を見つめながら、俺は強烈な違和感に襲われた。
「ちょっと……これ、切った量、多くないか……?」
不審に思ってアラクネの方を見る。
アラクネは俺とばっちり目が合った瞬間、不自然にスッと目をそらした。だが、その華奢な肩が、クスクスと小刻みに激しく震えている。
床に散らばった、明らかに常軌を逸した毛量。
それに比例する、かつてないほど頭皮に直接感じる異世界の冷気。
そして、あのカニの化け物の「男の中の男」「ぜぃ!」という、明らかに昭和のノリだった言動──。
バラバラだった数々のピースが、俺の脳内で急速に組み合わさり、やがて恐ろしい一つの『答え』を導き出していく。
「まさか……いや、まさかな……っ!」
俺はほうきを放り投げると、バックヤードへ向かって全力で駆け込み、鏡の前に飛びついた。
──そして、絶望の光景が、視界に飛び込んできた。
「やっぱりィィィィィィィィッッッッッ!!!!!!!(魂の絶叫)」
鏡に映っていた己の姿を確認した瞬間、俺は一切の抵抗を諦め、そのまま後ろ向きにバタリと倒れ込んだ。
すべてのピースが導き出した、最悪の答え。
それは──サイドもトップも寸分の狂いもなく水平に切り揃えられた、見事なまでの『角刈り』であった。




