第15話:店長、深夜の口論とポンコツな密偵
チッチッチッチッ……。
時計の針の音とシンクロして、俺の鼓動はついに人生最高潮のピークを迎えていた。
もう……ダメだ……。
現実逃避の最終手段、すなわち『気絶』を本気で実行しようとした──その瞬間だった。
明滅するライトの中、スナック菓子が並ぶ商品棚の奥からこちらを覗く、不自然に小さな『目』と視線がガッチリと絡み合った。
「ちっ……見つかったか……」
その、妙にハスキーで生意気な少女の声を聴いたおかげで、俺の右足がかろうじて気絶へ向かおうとする身体のブレーキを踏みとどまらせた。
幽霊じゃない。俺の目に飛び込んできたのは、背中に透き通った羽を生やした、手のひらサイズの小さな妖精の女の子だった。
「だっ……誰だよお前は!!!」
勘違いしないでほしい。決して相手が自分より圧倒的に小さくて無害そうな妖精の女の子だと分かったから急に強気になって怒鳴り声をあげた訳ではない。もともと最初から、相手が誰であれこうやって威厳を持って怒鳴りつけるつもりだっただけだ。本当だ。
しかし、そんな俺の虚勢の怒鳴り声を完全に犬も食わないゴミ扱いするように、妖精はポテトチップスの袋の間からその身を乗り出した。堂々と俺の前に姿を現し、パタパタと羽を羽ばたかせて俺の顔のすぐ目の前まで飛んでくる。
そして、俺を最上級に見下した、底冷えするようなゴミを見る目で言い放った。
「……だせぇ」
「なっ……なんだって、いいいい!!!!」
顔を真っ赤にして怒り狂う俺の鼻先で、妖精はご丁寧に首を傾げて、もう一度繰り返した。
「だっっせぇ~」
その目はもはや軽蔑を通り越し、人道的な憐れみさえ漂わせている。完全なる精神的敗北。
「だっ、誰がだせえっつーんだよ!?」
必死に言い返す俺の胸ぐらを掴むような勢いで、妖精が空中から指を突きつけて捲し立てる。
「お前だよお前! それがだせぇって言ってんだよ!!!!
さっきまで幽霊相手に『帰ってくださいぃぃ!』とか半泣きでびびり倒してたくせにさぁ! 相手が可憐で可愛い女の子とわかった瞬間にイキリ散らしてんじゃねぇよ、このヘタレ!!!」
「うっ……!」
クリティカルヒット。俺はぐうの音も出ずに言葉に詰まる。
「なんだよぉ。図星突かれてもう言い返せねぇのかよ。てめぇほんとにチキン野郎だな! あれか? この店の名物か? お前自身が『からあげクン』かって聞いてんだよ、おい!」
ひ、ひどすぎる……。初対面の、しかも手のひらサイズの妖精にここまでボロクソに人格を否定されるなんて。なんなんだこいつは。
「どうした? さっきボクシングで不良をKOしたとか大嘘ついてただろ? やるか? おい? 構えろよ?」
そう言って、妖精は目の前でシュシュッと器用にキレのあるシャドーボクシングを始めやがった。完全に舐め腐っている。
さすがの俺も、もう我慢の限界だ。二十二年の人生の中で、生まれて初めて振るう暴力の対象がまさか妖精になるとは思わなかったが──。
「ふざけるなよ……ッ!!」
俺は彼女を叩き落とすべく、渾身のパンチを放とうと右拳を大きく後ろへと振りかぶった。
するとその瞬間、それまで狂暴ヤンキーのようだった妖精の顔が一瞬にして切り替わり、ウルウルとした今にも泣き出しそうな悲しげな表情に変わった。
「……殴るの?」
首をきゅるんと傾げる。
「……こんなに小っちゃくて可憐な、女の子を殴るの?」
くっ……! なんだこいつは、魔性の女か……っ!!!
ここで本当に殴ったら、俺の人間としてのプライドが完全に死ぬ!
俺は行き場を失った振りかぶった拳を不自然な動きで下ろし、盛大に舌打ちをした。
「……殴らねぇよ! そもそもお前、マジで誰なんだよ!?」
「わたし? わたしはモカ。可憐で可愛い妖精の女の子よ(キリッ)」
元のドヤ顔に戻るモカ。
……チーン。深夜のロー〇ソンに、なんとも言えない重苦しい沈黙が流れる。
数秒後、その気まずい沈黙に耐えられなくなったのか、モカが先にバツが悪そうに口を開いた。
「……っ、この辺りに見たことない怪しいコンビニってハコができたって聞いてさ、調査に来たの!」
モカはそう言うと、ふん、と鼻を鳴らして誇らしげに小さなメモ帳を俺に見せてきた。
そこには、デカデカと太字で【極秘】と書かれている。
「……なぁ。そこに『極秘』って書いてあるのに、ターゲットの本人の俺に見せて、お前の口からネタバラシしていいのかよ?」
俺の至極真っ当な問いかけに、モカはフリーズし、急に目が泳いで挙動不審になった。
「えっ? ……あっ、あ、あーーーっ!!! そうだった! ばれちゃいけなかったんだわこれ! 隠密行動だったんだわ!」
頭を抱えて空中でバタバタと暴れるモカ。
「ど、どうしよう……! こんなのサカモトさんに知られたら、大目玉喰らって怒られちゃう……!」
その、あまりにも聞き覚えのある名前に、俺のレーダーが反応した。
「サカモト……? サカモトって、あの関西人の商人か!? あいつの差し金なのか!?」
「あーーーーーーーー!!!! 言っちゃいけない名前まで口走ったァァァァァ!!!!!!」
自分で勝手に自爆したモカは、もはや完全にパニック状態だった。
モカは猛スピードで突っ込んできて俺の制服の襟ぐりを両手でガシッと掴むと、小さな身体からは想像もつかないドスの利いた声で脅迫してきた。
「あんた……! 今日のこと、サカモトの旦那に一言でも言ったらマジで殺すわよ!? いいわね、じゃあね!!!」
言うだけ言うと、モカは一目散に自動ドアの方向へと飛び去っていった。
ウィーン、ピロリオリーン♪ とマヌケな退店音が響く。
「いやいや……ここ、俺の店だぞ……。なんで不法侵入したスパイに脅されて見送らなきゃいけないんだよ……」
一人残された午前三時前の店内。
恐怖は完全に消え去っていたが、別の意味で頭が痛くなってきた。
サカモト。やっぱりあの男、ただのハンバーグ好きの客ではないらしい。
俺は大きなため息をつきながら、再びレジ裏のパイプ椅子へと深く腰掛けた。




