第一話:凍土に咲く、絶望の華
奥州、黒羽領。
三月だというのに、この土地に春は来ない。北から吹く風は刃物のように鋭く、痩せ細った百姓たちの肌を削っていく。
「……っ、ぐっ……」
カイは、感覚のない指先で、鉄のように凍った土を掻いていた。
爪はとうに剥がれ、指先は紫色に変色している。それでも止められなかった。去年の秋、誰かが埋め忘れた腐りかけの芋が、この辺りに眠っているはずだった。妹のハナに、何か食わせてやらねばならない。
カイの身分は「水呑百姓」。
田畑を持たず、年貢すら納められない、人とも家畜ともつかぬ最底辺。戸籍はなく、死ねば野犬の餌になるか、肥料として土に埋められるだけ。それがカイの「当たり前」だった。
兄妹二人で、ただその日一日を生き延びる。それが、彼の世界のすべてだった。
だが、その小さな願いすら、戦国の世は許さない。
「おい、泥ネズミ。まだそんなところで遊んでいるのか?」
頭上から、嘲るような声が降ってきた。
村長の息子、五郎。
厚手の鹿革の防寒着を着込み、腰には真新しい太刀を佩いている。寒風の中でも額に汗をかくほど暖かそうな格好だ。後ろには取り巻きの男たちが三人、にやにやと笑っていた。
「五郎様……今日は、見逃してください。妹がもう長くないんです。何か、何か一口でも、ハナに……」
カイは、泥にまみれた額を雪に擦りつけた。
返ってきたのは、無慈悲な蹴りだった。
「ぐっ……!」
五郎の革靴がカイの側頭部を打ち抜く。視界に火花が散り、頭の中で脳が揺れた。
「黙れ。水呑が一人死んだところで、年貢が数俵楽になるだけだ。むしろ役立たずの妹が死ぬのは村全体の喜びだ。冬の間の無駄飯食いが減るんだからな」
五郎が吐き捨てるように言いながら、カイの懐に手を突っ込んだ。
そして、汚れた小瓶を一つ、引きずり出した。
「あ……っ、それは——! それだけは、返してください!」
カイが叫ぶ。
それは、何日も雪山に分け入って採った貴重な薬草を、隣村の行商人と命がけで交換して手に入れた、ハナのための咳止めの薬だった。
「水呑に薬など、豚に真珠だ」
五郎は笑いながら、小瓶を岩に叩きつけた。
パリン、と、軽い音が冬の静寂に響く。
琥珀色の液体が雪の上に広がり、すぐに凍りついて土に吸い込まれていった。
「あ、あ、あああああ……っ!」
カイは絶叫し、泥混じりの雪を必死に両手で掬った。
口に運ぶ。舐める。だが、もうそこに薬の効能など残ってはいない。
五郎はその手を踏みつけ、カイの顔面を雪の中に押し込んだ。
「ハッ、いい鳴き声だ。家畜は家畜らしく、泥を舐めていろ。……行くぞ、お前たち」
笑いながら去っていく男たちの足音を、カイはしばらく動けずに聞いていた。
頬の熱と雪の冷たさが混じり合い、感覚が麻痺していく。
ようやく這うように立ち上がった時、カイの目に光はなかった。ただ本能だけが、ハナの待つ小屋へと足を向けさせた。
——
ボロ小屋の中は、外と大して変わらない冷気に満ちていた。
土間に敷いた薄い藁の上で、ハナが微かに喘いでいた。
頬はこけ、目は落ち窪んでいる。骨が浮いた指先が、何かを求めるように宙を掻き、力なく落ちた。
「兄様……苦しい……。お水……」
カイは震える手で、ハナの手を握った。
極寒の空気の中、その手だけが燃えるように熱い。
(死ぬのか……。あんな奴らに薬を壊されて、笑われたまま、俺たちはここでゴミみたいに凍え死ぬのか)
胸の奥から、憎しみと、それを上回る無力感がせり上がってきた。
——その時だった。
カイの視界の端で、黄金の火花が弾けた。
吹雪の音が遠のき、世界がセピア色に沈む。代わりに、頭の奥で、重い石の扉がゆっくりと開く感覚があった。
【生存本能の限界突破を確認】
【天職『水呑百姓』を媒介に、隠された天職『将星の系譜』を定着させます】
【現在レベル:1 / 保有SP:10】
「……なんだ……これは……」
幻覚か。死ぬ間際の夢か。
そう思った。だが、ハナの手を握った指先から、見たことのない「文字」のようなものが意識に流れ込んでくる。
【対象:ハナ】
【体力】:2 / 40 (瀕死・肺炎)
【武力】:1
【知力】:12
【魅力】:18
【統率力】:2
【状態】:あと六時間以内に栄養と保温なき場合、心停止】
(体力、2……? あと六時間で……死ぬのか……?)
数字。
それは、これまで「天命」として諦めるしかなかった死が、目に見える「敵」として現れた瞬間だった。
カイは思わず、自分の左手を見つめた。
そこにも、同じ情報が浮かび上がる。
【対象:カイ】
【体力】:13 / 65 (負傷・衰弱)
【武力】:8
【知力】:15
【魅力】:5
【統率力】:3
【SP】:10
五郎に蹴られた痛み、空腹で霞む意識。あと数発あの蹴りを食らえば、自分の命も尽きる——その意味が、数字で突きつけられていた。
そして視界の隅に、黄金に輝く「樹」が枝葉を伸ばしていた。
複雑な紋様を描き、淡い光を放つそれは、神の恵みか、悪魔の誘いか。
どちらでもよかった。
カイの胸に、生まれて初めて灯ったものがあった。
意志、という名の火だった。
「……やってやる。どうせ死ぬなら、この理不尽ごと、すべて喰い尽くしてやる」
その声は、凍りつく冬の空気に、確かに刻まれた。
黄金の樹から、選択を促す光が溢れ出す。
——
■ 現在のステータス:カイ(Lv.1)
【体力】:13 / 65
【武力】:8
【知力】:15
【魅力】:5
【統率力】:3
【SP】:10
【保有スキル】:未習得
【天職】:『将星の系譜』
・接触した対象のステータスを読む「鑑定」の素地を持つ。
・経験を積み、自身を高めることで、新たな力を樹から選び取れる。
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