第零話 英雄の誕生
視界が、赤い。
ぼやけている。音も遠い。鼻の奥に、かすかに血の匂いがした。こんなにも血に濡れているのに、不思議と、その匂いは薄い。
右手を動かそうとする。
けれど――長年握ってきた剣の感触すら、もうほとんど分からなかった。
……ああ。
これも、握れないのか。
無理に動かした体が悲鳴を上げる。それでも構わず、腕に力を込めて起き上がろうとした。
──駄目だ。
力が抜ける。
そのまま地に倒れそうになったときだった。
「……っ!」
両側から、体を支えられる。
右には、苦しそうに顔を歪めた友人。
左には、さっきまで襲われていた少年。
少年は泣きながら、私にしがみついている。
――けれど、その感触すら、もうよく分からない。
遠くに見える影は、きっと後輩たちだろう。
思わず、口元が緩んだ。
ああ――いい気分だ。
誰も失わなかった。
仲間も、この少年も、守れた。
これ以上の結果なんて、ない。
この歳になっても、力を求め続けたことも。
自分の理想を追いかけたことも。
──間違いじゃなかった。
そう、思える。
……それでも。
もう少しだけ。
ほんの少しだけでいい。
この景色を、見ていたかった。
こんなふうに願うなんて、初めてかもしれない。
ああ、神様。
もう少しだけ、この時間をくれないか。
けれど――
瞼が落ちる。
世界が、静かになっていく。
──そして、すべての感覚が消えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話から物語が動き出します。




