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4 追いかけっこ ~生命の賛歌

 

「さて、観念しろ」

 繕はペタペタと音を立てながら野衾に近づき、メスを構えた。  

 野衾はまだ、盗んだ道具袋と酒瓶を大事そうに抱え込んでいる。  

 その目からは、物欲の光が消えていない。


ワタサジ……オノガ……己ガタカラ……』

(渡サナイ……俺ノ……俺ノ宝物……)


「あはれなるものかな。 冥途めいどへは、かれぬものを」

 (哀れな奴よ。あの世へ持ってはいけぬものを)

 覚猷が独鈷杵を振り上げる。


「待ってください。砕く必要はありません」


 繕はしゃがみ込み、野衾の目を覗き込んだ。  

 <眼>が見ているのは、汚れの層だ。


【不純物:所有欲、欠乏感、孤独】  

【本質素材:敏捷性、好奇心、遊戯性】


 こいつは、本当に物が欲しいわけじゃない。  

 誰かに追いかけてほしかったのだ。  

 誰にも見向きもされない孤独な夜に、何かを奪って逃げることで、世界と関わりを持とうとした。  

 その歪んだコミュニケーション願望が、怪盗という形をとっている。


「泥棒は犯罪だ。でも……追いかけっこ(鬼ごっこ)なら、誰もが笑顔になれる」


 繕はメスの先で、野衾が抱きしめている道具袋の紐を切った。

   ぷつん。  

 袋が転がり落ちる。  

 野衾が「あっ」と声を上げた隙に、繕はすかさず別の液体――膠を中和する酵素液を染み込ませた布で、野衾の体を拭った。


 しゅわわわ……。  

 粘着質な(にかわ)と共に、ドス黒い「所有欲」のオーラが溶け出していく。


「さぁ洗ってやったよ。執着を捨てて、軽くなれ」


 繕の手つきは優しく、それでいて迅速だった。  

 何百年も洗っていないような薄汚れた毛皮の下から、本来の美しい毛並みが現れる。


『ウ、ウウゥ……』


 野衾の体が縮んでいく。  恐ろしい皮膜が消え、裂けた口が閉じていく。  

 ぽんっ。  

 小さな煙とともにそこに残ったのは、一匹のニホンザルだった。  

 だが、ただの猿ではない。  

 クリクリとした目には知性が宿り、手足はバネのようにしなやかだ。  

 猿はキョロキョロと辺りを見回し、自分の手が何も持っていないことに気づくと、不思議そうに首をかしげた。


「……身軽になったろう?」  

 繕が声をかけると、猿は嬉しそうに

「キキャッ!」

 と鳴き、その場をくるりと宙返りした。  

 盗むものがなくなっても、彼にはその身一つで駆ける喜びが残っていた。


「なるほど、身軽さそのものを『芸』にするか」


 覚猷が懐から例の絵巻を取り出した。  


「やあ、新参しんざん此処ここならば、こころくまま、まわらるるぞ!」

 (おい、新入り! ここなら好きなだけ走り回れるぞ!)


 覚猷が絵巻を開くと、中から六つの影が飛び出してきた。  

 前回のカエルとウサギの仲間だ。  いつの間にか六匹増えていたらしい。

 彼らは「新しい友達が来た!」とばかりに、墨の体でぴょんぴょんと跳ね回る。


 猿はカエルたちを見ると、ニヤリと笑った。  

 そして、わざとらしく繕の足元から落ちていた木の枝を拾い上げ、カエルの頭をこん、と小突いた。


「ゲロッ!?(何するんだ!)」


 猿は「キキャキャ!」と笑いながら逃げ出す。  それは悪意のある暴力ではない。  

「捕まえてごらんよ」という、明確な遊びの誘いだ。


 カエル三匹は怒ったふりをして、道端の草を引っこ抜き、ウサギと共に猿を追いかけ始めた。  

 どたばた、ぴょんぴょん。  廃屋の中を、六匹(正確には三匹と三羽)が駆け回る。  

 猿は逃げる。

 時折後ろを振り返り、「まだ追いつけないの?」と挑発しながら。  

 ウサギとカエルは、手に持った草や枝を振り回し、必死に、しかし満面の笑みで追いかける。


 かつて「泥棒と被害者」だった関係は、ここでは「逃げる役と追う役」という配役に変わっていた。


「楽しそうじゃのう」  覚猷が目を細めた。  

 彼の手にある絵巻が、柔らかい光を放ち、猿と六匹を吸い込んでいく。  

 すぅぅぅ……。


 紙の上に、新しい絵が焼き付けられた。  

 ――振り返りながら走る猿。  

 ――ススキの穂を持って追いかけるウサギ。  

 ――転びそうになりながら続くカエル。

 ――ひっくり返ってしまったカエルを介抱するウサギ二匹。


 それは、鳥獣戯画の中でも特に躍動感にあふれる、「追いかけっこ」の名場面そのものだった。  

 ただ無邪気に野山を駆ける、生命の賛歌だ。


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