第二章 5
その夜、メイベルは部屋でぼんやりと空を見上げていた。
(やっぱりユージーンさんに、ちゃんと謝ろう……)
アマネに話したことで、自分の気持ちをよりはっきりと自覚することが出来た。ちゃんと本当の思いを伝えて、それでユージーンから嫌われたら、その時はその時だ。
(とはいえ、一体どんな顔をして戻ったらいいのか……)
その時、目の前の窓ガラスがカタカタと音を立てた。
驚いたメイベルは慌てて鍵を外し、両手で押し開く。するとバルコニーの上空で、ばさりと羽音が響いた。足元には大きな影が落ちている。
「――こんばんは、メイベル」
「ムタビリス!」
そこにいたのは、白い仮面を着けたムタビリスだった。綺麗な白い髪をなびかせ、短く羽ばたきながら降り立つその姿に、メイベルは目を白黒させながら口を開く。
「すごい、こんなに早く手紙が届くなんて」
「手紙?」
きょとんと首を傾げるムタビリスに、メイベルもまた「うん?」と瞬いた。
「だから来てくれたんじゃないの?」
「違うよ。メイベルに会いに城に行ったら、こっちに戻っているってロウが」
あっけない回答に、メイベルは肩の力が抜けた。考えてみれば、今日の昼に預けたものがそんなに早く着くはずがない。
「おれに手紙をくれたの?」
「う、うん」
「嬉しいな。どんな内容なんだろう」
噛みしめるように笑うムタビリスを前に、メイベルは少しだけ戸惑った。だがどのみちいつかは手紙が届くのだと考え直し、改めてムタビリスに問いかける。
「その、あなたのお師匠様について知りたかったの。たしか――私の母、メルヴェイユーズに恋をしたのよね」
「うん。そうみたいだね」
「その……どうして、諦めてしまったのかしら」
ムタビリスは最初きょとんとしていたが、やがてううん、と迷うように目を閉じた。
「……多分、だけど。それがメルヴェイユーズにとって、幸せだと思ったからじゃないかなあ……」
「お母さまにとって、幸せ?」
うん、とムタビリスは大きな目を優しく眇めた。宝石のような、青色の光彩が闇夜に輝く。
「おれたち魔術師は、怖がられる存在なんだ。だって――人じゃないからね」
「そんなことないわ。ムタビリスは私たちと何も変わらないじゃない」
「……うん、ありがとう」
えへへ、とムタビリスは口元を綻ばせた。
「メイベルがそう言ってくれるのは嬉しい。でもおれたちは、人ではないといわれることの方が多いんだ。きっと他の魔術師も同じ、だよ」
「……」
「それはいいんだ、慣れているからね。でもおれのせいで、本当に人間のメイベルまで怖がられるようになったら、……それはとても、すごく、嫌かな」
たしかに、婚約が決まった時の周囲の反応は、決して色良いものではなかった。
メイベルは話に聞くまでさほど気にしていなかったし、実際にユージーンと出会ったのが先だったので、彼らがどんな目で見られているか意識していなかっただけだ。
「きっと先生も、そのことで悩んでいたんだと思う。それにおれたちは長生きだから……魔力が尽きるまで老けることも死ぬことも出来ない」
「……そう、よね」
「先生は最後まで、決められなかった。でも好きな人と一緒にいたいとも、願っていた。……だから『心』を作ったんだと思う……」
ムタビリスはそう言うと、静かにメイベルに視線を向けた。
「メイベルは『魔道具』って見たことある?」
「う、うん」
「『魔道具』は元々ある道具に、おれたちが魔力を込めたもの。だから魔力が無くなれば、使いものにならない」
でも『心』は違う、とムタビリスは自身の胸に手を当てた。
「『心』は、魔術師の魔力そのものを凝縮させたものなんだ。メイベルは見たことが無いと思うけど、押し固められた魔力は、宝石のような綺麗な結晶になる。そしておれたちが傍にいなくても、ずっと魔法を紡ぎ続けるんだよ」
「魔法って一体どんな……?」
「ええと、一番多いのは『あらゆる危機から守りたい』とかかなあ……。もちろん不死とか自然の摂理に反するものは無理だけど、幸運を与えたいとか、病に打ち勝つ体を、とか……大体は贈りたい相手の幸せを願うものがほとんどだね」
「すごい……でも優しい魔法なのね」
「うん。でも生み出すのに、すごい量の魔力を使うんだ。魔術師にとって魔力と寿命は同じものだから、『心』を作るとおれたちの寿命はものすごく縮まってしまう。だから『心』は一生のうちに、一つしか作ることが出来ない」
それでも十分すぎるほど長いんだけど、とムタビリスは寂しそうに笑う。
「魔術師にとって、『心』は誓い――祈り、ともいうのかも知れない。大抵は、命をかけてでも守りたいものが出来た時に作るものだからね」
「それをムタビリスの先生は、母に贈ってくれたのね……」
ムタビリスの先生は、本当に最後まで迷っていたのだろう。だが母の傍を離れることを決意し、代わりに魔法を贈って姿を消した。
自分が居なくなってもなお、彼女のことを守り続ける祈り。
そんな貴重な物を自身の母が持っていた、ということにメイベルは改めて息を吞む。同時にはたと疑問が生じた。
「お母さまが亡くなった時に、その魔法は無くなってしまわなかったの?」
母を守るためにかけられた魔法なら、彼女が亡くなった時点で効力が失われているはずだ。しかし娘たちに移行した『心』の欠片は、その魔力を宿したままである。
姉たちが持つ、男以上に強い力や、人心を操る美貌などがその証拠だ。もちろんメイベルには、魔法に打ち勝つ強い心として生きている。
その問いにムタビリスがう、と眉を寄せた。
「そ、それが……『メルヴェイユーズの心』はちょっと珍しいというか……その、どうやらまだ魔法が残っているみたいなんだ」
「残っている?」
「うん。基本的にはメイベルの言う通り、所持者が亡くなると意味をなさない魔法がほとんどだから、一緒に消えてしまう。でも『メルヴェイユーズの心』は、何故か魔力を維持したまま、メイベルたちに引き継がれてしまったんだ……」
「じゃあまだ、先生のかけた魔法は生きているのね」
「おそらくね。多分メイベルのお母さんが、娘たちを守ってほしいと、望んだ結果だと思う。……ただおれはそれを感知できずに、対象のいない魔法――『心』が放置されていると思い込んでしまって……。回収しないと、と焦っていたんだ」
「その途中で、ウィスキに捕らえられた、と」
「うん。真実が分かってからようやく、メイベルたちに残る『心』の欠片を確認したよ。魔法が残っているのは気になるけれど、一つずつは小さな魔力だし、安定しているから心配はないと思う」
その経緯を聞きながら、メイベルは自身の胸に手を当てた。そんな思いが詰まった魔法を受け取ったのね、と改めてその存在を確認する。
「その魔法って、一体どんな魔法なのかしら」
「ごめんね、それは分からないんだ。……先生は、亡くなってしまったから」
突然の告白に、メイベルは言葉を失った。
「――ごめんなさい、私、なんて失礼なことを」
「いいんだ。先生は、もうほとんど魔力が無かった。『心』を作ったのも覚悟してのことだったと思う」
気にしないで、と微笑むムタビリスだったが、メイベルは申し訳ないとばかりに睫毛を伏せた。するとムタビリスがメイベルを見つめながら、静かに問いかける。
「……メイベルは、どう思う?」
「え?」
「先生は、どんな魔法を贈ったんだろう。おれは誰かを好きになったことがないから……先生がどんな気持ちで『心』を作ったのか、想像がつかないんだ」








