第二章 4
二人が王宮に戻った時、すでに日没を迎えていた。
灯りの点いた正門をくぐり、玄関ホールでアマネに頭を下げる。
「あの、ありがとうございました」
「気にするな、護衛代わりだと言っただろう」
「それだけじゃなくて、あの……もしかしたら、心配してくれたのかなと」
目ざといアマネのことだ。おそらくメイベルが王宮から出てきた時点で、涙の跡に気付いていたのだろう。
小首をかしげたメイベルに対し、アマネは目を見開いていたが、すぐに目を細めると「偶然だ」と笑った。つられるようにメイベルも微笑む――その時だった。
「――アマネ」
奥の廊下から響いた声に、メイベルは思わず背筋を正した。振り向いた視線の先にいたのは長身の男性。長い銀の髪を三つ編みにした姿に、メイベルは見覚えがあった。
男性は楚々とした様子でこちらに歩み寄ると、アマネの前に立つ。
「どこに行っていた?」
「メイベル様が、街に下りられたので、付き添いを……」
その時メイベルは、アマネの声がひどく強張っていることに気付いた。隣を覗き見ると、普段あれだけ快活なアマネが下を向き、額には汗を浮かべている。
そんなアマネを労わるでもなく、男性は青い瞳をついとメイベルの方へ動かした。
「そうでしたか。愚弟がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「い、いいえ……」
「それは良かった」
ふ、と男性は目を細めたが、笑顔のように見えて、心の中ではまったく笑っていないことを察したメイベルは身震いする。
「紹介が遅れました。私はカイリ、アマネの兄です」
「カイリ、さん……」
二人が会話している間も、隣に立つアマネは顔を伏せたままだ。気のせいか顔色も悪い。そんなアマネに追い打ちをかけるように、カイリは優しい声色で語り掛けた。
「アマネ、――昨日の話は理解していますね」
「もちろんです、……兄上」
結構、とカイリは短く切ると、メイベルに向けて再度頭を下げた。
カイリが離れていき、ようやく姿が見えなくなったところで、メイベルはようやく抑え込んでいた呼気を吐き出す。
(……何かしら、すごく、怖い……)
暴力を受けたわけでも、厳しい言葉を投げつけられたわけでもない。だが底の見えない恐怖に迫られたかのように、メイベルは戦慄していた。
なんとか鼓動を落ち着けると、蒼白になっているアマネに声をかける。
「アマネさん、大丈夫ですか? すごい汗が……」
「ああ。悪いな……」
はあ、と大きく肩を落とすと、アマネは何度か確かめるように呼吸を繰り返した。
「さっきの方がお兄さんですか?」
「序列二位のカイリ・ヒイラギ兄上だ。くそ、……こんなところを見られるとは」
キィサは王族の格差が顕著だと聞いていたが、アマネの様子を見る限り、メイベルが考えていた以上に厳しいもののようだ。
「申し訳ないけれど、なんだか……とても怖い人だったわ」
「まあ、な……絶対に逆らうことは出来ない、雲の上の人だ。それこそ不興を買えば、この場で殺される可能性だってある」
「そ、そんなの、いくら何でもおかしいわ!」
「だから言っただろう。オレたちはそういう存在なんだ。結果を残さなければ、生きていけない。……絶対に逃げられないんだ……」
ようやく心拍が落ち着いて来たのか、アマネは強く瞼を閉じた。メイベルはそんなアマネを不安げに見つめることしか出来なかった。
その夜、ユージーンの部屋に客人が訪れた。
「鍵もかけないとは随分と不用心だな」
現れたのはアマネだった。
案内役のセロはおろか、従えていた供の者たちの姿もない。普段着飾っている衣装はあちこちが破れ、泥で汚れていた。どうやら拙い魔道具の力だけで、無理矢理結界の森を超えてきたようだ。
「何をしに来た」
「――どうして、婚約を解消するなどと言い出した」
最初は背中を向けていたユージーンだったが、その言葉を聞き、ゆっくりとアマネの方を振り返った。薄暗い部屋の中、仮面越しに金色の瞳が宝石のように輝いており、アマネを冷淡に睨みつける。
「お前には関係ない」
「じゃあ、オレがもらってもいいんだな?」
空間にぴりとした緊張が走る。
だが椅子に座ったまま、ユージーンが動く気配はない。それに苛立ちを覚えたのか、アマネは腕を伸ばすとユージーンの胸倉を掴み上げた。
「どうなんだ? はっきり言え!」
「――ッ、お前に何が……」
「わからんな! こんな腑抜けた男の気持ちなんて!」
さすがに腹が立ったのか、ユージーンはぎりと歯を噛みしめると、アマネの手首を握り返した。だがアマネは感情を隠すでもなく、ユージーンに向けて激昂する。
「しっかりしろ! お前じゃなきゃダメなんだ! ……オレでは……」
そこでようやく、ユージーンはアマネの様子が違うことに気付いた。徐々にアマネの語気が弱まり、襟元を締める力が弱くなっていく。
やがてアマネは絞り出すように、切れ切れと声を発した。
「……オレは最初『化け物と婚約させられた姫がいる』と聞いて、ここまで来た」
「……」
「オレと同じ、国に逆らえない運命を抱えているのだと思った。オレは逃げられない。ならせめて、その姫だけは助けてやりたいと」
だが意気揚々と乗り込んだアマネが見たものは、幸せそのものの二人だった。
化け物と言われていた魔術師はメイベルを愛していたし、可哀そうな姫とやらもまた、彼をとても大切にしていた。
だからこそ、その幸福を自ら壊そうとするユージーンが信じられなかった。
「お前の考えなどオレは知らん。だがメイベルに肩身の狭い思いをさせるな!」
「そんなこと、お前に言われなくても分かっている!」
「泣かせておいて、何がわかっているだ!」
「……!」
「何でも出来て、どこにでも行ける。おまけに本当に好きなやつから、愛を返してもらえる……それだけ恵まれていながら、お前はどうして逃げる」
太陽のようなアマネの瞳が、月のようなユージーンの目を射抜く。
やがてユージーンはアマネの手を強く振り払った。
「それなら僕は、……お前が死ぬほどうらやましいよ。メイベルと同じ時を過ごし、共に死ぬことが出来る」
手を固く握りしめ、ユージーンは目を強くつむる。
「でも僕は……隣にいるだけでメイベルを傷つける。僕と……こんな化け物と同じだと、苦しめてしまう……」
それを聞いたアマネは、驚いたように瞬いた。
「メイベルがそう言ったのか?」
「……それは……」
「違うだろ。メイベルはきっと、そんなことを言うやつじゃない」
ちゃんと話をしろ、とアマネは告げた。その様子があまりに真剣だったので、ユージーンはそれ以上反論するのを躊躇ってしまう。
「どうして、急にこんな話をする?」
「……」
「お前にとって僕は邪魔でしかないはずだ。婚約が解消されるなら、むしろありがたいんじゃないのか?」
「――オレはもう、あいつの婚約者じゃない」
今度はユージーンが驚きに目を見開く番だった。
だがアマネの言葉に嘘はないらしく、彼は静かに瞼を伏せる。
「だから、恥を忍んでお前のところに来た」
「……一体、何を」
「頼む、助けてくれ。……オレだけでは、メイベルを守れない」
様子の違うアマネに、ユージーンはわずかに眉を寄せた。次に自身の机の上へと視線を動かす。
そこに残されたものを見つめ、やがて観念したかのようにため息をついた。








