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Epilogue-1

 ――ずっと、長い悪夢を見ていたような気がした。



 わたしは悪夢の中で、弥歌ちゃんのことだけを見ていた。最初の頃は、弥歌ちゃんは幸せそうだった。わたしのいない世界で、楽しそうに笑っていた。


(…………あれ、)

(そもそもわたしは、元々、あの世界に存在していたんだっけ)

(わたしは誰? ここはどこ? いったい何が起きているの……?)

(でも――弥歌ちゃんが、大事だったことは、覚えている)


 大事な弥歌ちゃんの幸福そうな笑顔を見ているだけで、全てがどうでもいいような気がした。


 でも、世界は壊れていった。

 弥歌ちゃんも壊れていった。


 弥歌ちゃんが怯え、苦しみ、泣いている――そんな姿を見ていると、胸がきゅっと締め付けられた。どうして、と思う。どうして、壊れていってしまうの? どうして……?


 段々と、わたしも壊れていく。酷い痛みに襲われるけれど、その痛みをどうしても解消することができない。それどころか、時間が経過するたびに増していく。

 痛くて、痛くて、痛くて、痛くて、痛くて、いたくて、いたくて、いた、くて――


 なにも、かんがえられなくなって、いくけれど、

 やかちゃんが、しらないひとと、きすしていて、

 ……かなしかった、


(だいじ、だけじゃ、なかった、)

(だいすき、だった、)

(だいすき、だった……!)


 なみだが、あふれた――



 ――わたしは、自室のベッドの上で目を覚ます。


 上体を起こして、目を擦った。透明なカーテンに覆われた窓の向こうの空は、儚げなオレンジ色に染まっていた。


(……長い間、悪夢を見ていたような気がする)


 細かい内容は、もう忘れてしまったけれど。苦しみの残滓が、心にこびりついているような気がした。

 勉強机の上に置かれているデジタル時計を見ると、四月十五日の十七時ぴったりを示している。わたしはベッドの上で体育座りになり、呻くように呟いた。


「……弥歌ちゃん、」


 昨日のことがあったから、高校に行く気にはならなかった。わたしは高校を休んで、現実から目を背けるようにずっと眠っていた。


 弥歌ちゃんのお葬式が行われるという連絡は、まだ来なかった。それもそのはずかもしれない。弥歌ちゃんは、彼女のお父さんを殺して、……それから、自殺した。弥歌ちゃんの身体は、きっとまだ警察の人たちの元にある。身体がなければ、弔うこともできない。お別れの挨拶を言うことも、できない――


 スマホの着信音が響いて、はっと我に返る。何だろうと思いながら、ベッドから立ち上がって、勉強机に置かれているスマホへと手を伸ばした。画面の明かりを点けると、成花ちゃんからの電話だと表示されていた。わたしは電話に出て、スマホを耳元に当てる。


「……もしもし、成花ちゃん?」

『……のの。ごめんね、急に電話しちゃって』


 成花ちゃんの声には、いつものような明るさはほんの少しもなかった。成花ちゃんのこんな声を聞いたのは初めてで、苦しくなる。


「全然大丈夫だよ。どうかしたの?」

『……のの、今家だよね?』

「うん、そうだよ」

『今から会いたいって言ったらさ、……怒る?』


 成花ちゃんは弱々しい声音で、わたしへと尋ねる。

 わたしは淡く目を見開いて、そうしてすぐに「怒らないよ」と言った。


「わたしも、成花ちゃんと話したい」

『……ありがと』


 電話越しに、成花ちゃんの啜り泣く声が聞こえたような気がした。


 *


 成花ちゃんは、わたしの住んでいる家の最寄り駅まで来てくれていた。制服姿の成花ちゃんの目元には、泣き腫らした痕があった。


 わたしたちは、駅の構内にあるカフェに入る。カフェは勉強をしている人やパソコンを開いている人が多く静謐で、店内に流れている柔らかな音楽が際立って聞こえた。


 わたしはホットのレモンティー、成花ちゃんはアイスのミルクティーを注文し、二人掛けの席に向かい合って座る。レモンティーに口をつけると、ほんのりとした酸味が口の中に広がった。


「……こんなことになるなら、」


 成花ちゃんの声は、震えていた。


「わたし、昨日、弥歌と過ごすべきだった。どうしてわたし、帰っちゃったんだろう。晴人はるとの誕生日会なんていくんじゃなかった、って、思っちゃうの。……最低だよね。でも思っちゃうの。わたし、弥歌が自殺しちゃうくらい悩んでたなんて知らなかった。こんなに側にいたのに、弥歌のこと、全然わかってあげられてなかった……」


 成花ちゃんは大声を上げて泣き始める。静かなカフェに、成花ちゃんの慟哭が響き渡る。わたしはテーブルに置かれている成花ちゃんの両手を、そっと両手で包み込んだ。わたしの目からも、もう涸れてしまったと思えるくらいに流した涙が、また溢れ出した。


「そんなことないよ……絶対に、成花ちゃんは、弥歌ちゃんの支えになっていたよ、」

「なれてないよお……わたし、何にも、弥歌にしてあげられてないよお……」

「してあげられていたよ、大丈夫、大丈夫だよ、」


 成花ちゃんが弥歌ちゃんに何度も優しい言葉をかけてあげていた光景が、いつのことだったかはまるで覚えていないのに、記憶の中に欠片としてうっすらと散りばめられていた。この欠片は幻じゃない。幻なんかじゃ、ないはずだ。わたしは成花ちゃんの温かい手をさすりながら、堪え切れなかった嗚咽を漏らす。


「弥歌あ……弥歌あ……帰ってきて……帰ってきてよお……」


 成花ちゃんは泣きじゃくりながら、そう零す。わたしもぼろぼろ泣いている。

 弥歌ちゃん。


『わざわざ追い掛けて、言いに来てくれたの? 気にしないでいいのに』


 弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。


『……ごめん。ののの血が余りにも綺麗だったから、流れていっちゃうのが嫌で』


 弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。


『最初のキスは、ののがいいかも』


 弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。弥歌ちゃん。


『――――私も、綺麗な人間になれるかな?』


「弥歌ちゃあん…………」


 あのとき、屋上で弥歌ちゃんに違う言葉をかけることができていたら、こんな結末は訪れなかっただろうか。わたしがもっと、美しい言葉を、弥歌ちゃんの心を震わせる言葉を生み出すことができていたら、弥歌ちゃんは今も生きてくれていただろうか。わからない。わからないから、後悔することしかできない。やり直せるなら、最初からやり直したい。弥歌ちゃんに守られる自分じゃなくて、弥歌ちゃんを守ることのできる自分でありたい。


 誰も、泣き喚いているわたしたちを咎めることはなかった。

 それだけが、救いだった。

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