レドリーの独白、祈りと後悔
から数年、私はある街で司教の職についていました。毎日神への祈りを欠かさず、「祈りを捧げればあなたは救われます。」「神を信じればあなたの望むものが手に入ります。」そう信者たちに説く日々を送っていました。
そして家に帰れば「おかえりなさい。」「おかえりなさい、お父様。」妻のライアと娘のキテラがいつも私を出迎えてくれました。宗教によっては、結婚は禁じられているところも多いのですが、私の所属している宗派は、同じ信者であれば結婚が認められたため、私は家庭を持つことにしたのです。
あの時の私はとても充実していました。ですがそんな日々は終わりを告げます。街で疫病が流行り、妻のライアが亡くなってしまったのです。妻は私と同じく熱心な信者であり、病気で苦しむ人たちを懸命に救おうとしましたが、願いむなしく自らの命を失うことになりました。
私は後悔しました。妻の思いを無視してでも治療すべきであったと。妻を失った悲しみは大きく、私は信者や病気に苦しむ者たちとどう向き合えばいいのかわからなくなっていました。そうした失意の私を支えたのが娘のキテラです。母親を失った悲しみはあったでしょう。ですが娘はそうした様子を一切出すことなく私を励ましてくれたのです。
私は救われました。そうして私は立ち上がり、妻の思いを継いで、病に侵された者たちを救うことにします。ですが運命は残酷です。今度はあろうことかキテラが病に侵されてしまったのです。
妻を失った私は娘までも失うわけにはいきません。そのため娘にはできる限りのことをしました。それでも娘の病状は良くなりません。私は神にも祈りました。娘の回復を毎日、いや1日に何回も何回も祈りました。「神に祈れば救われる。」人々に説いていた言葉を私に私はすがりついたのです。
ですが娘は亡くなりました。そのおき私は神を呪いました。必死に祈ったのにもかかわらず、私の望むものは手に入らなかったのですから。
「神に祈りを捧げればあなたは救われます」「神を信じればあなたの望むものが手に入ります。」私が良く言っていたこの言葉は何だったのでしょうか。救われると信じていたはずなのに、その言葉を人々に説いた私自身、最も大切なものを失いました。
笑いますよね。そんなものを信じた結果がこれなのですから。




