人形劇戦区
一人死ぬ。それが「敵」だったら、みんな、安心する。
久しぶりに近所にサーカスが来た。かび臭いテント内は盛況で、息苦しいほどの満席。しかし私の席はきちんと用意されている。座るとすぐに幕が上がり喧しいベルが鳴る。時間はどうやら丁度よかったらしい。
「皆様、開演の時間でございます」
泣いているのか笑っているのかわからない仮面を着けた女が人形を抱え、光の下に現れた。
「ようこそようこそ。待っていましたよ、あなたが、あなたが、あなたが来るのを。さて劇を始めましょうねえ。その昔のことですよう」
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俺は腹話術士だ。でも「敵」じゃあねえ。濡れ衣で追われてるんだ。助けてくれ。
小柄の老人ヤマモトが肩で息をします。その姿はボロ雑巾のようで――フフッ――どうやら命からがら逃げてきたところらしいのですねえ。
声をかけられたもう一人の男は彼を訝しげな瞳で睨みました。細身のスーツが逆三角の体躯を強調しております。ポケットに両手を突っ込んだまま答えました。
そいつはアクシデンタルかつストレンジな話ですね。今この市に「敵」が一名潜んでいる。腹話術士は――その「敵」を除くとたった一名しかいないはずなんですがね。
スーツ男はナイフを抜いて相手の首に突き付けました。
つまりこの私しか。
キクチは刃を頸動脈へ刺しますが、ぷつりと糸を切るような妙な手応えしかありません。すぐにそれが人形であるのに気付き。周囲に目をやるが本体はおらず、複雑な装置を内蔵した抜け殻はわざとらしく口をぱくぱくさせて話しておりました。
そりゃあこっちの台詞だあ。俺も「敵」じゃない腹話術士は俺しかいないって聞いてんだ。ってことはお前は「敵」だあ。「敵」なら死ねよう。死ななきゃおさまんねえよう。俺がどんだけぼろくそにされたかよう。
声に恐怖。肌が粟立つ感覚にキクチは思わずのけ反りました。すぐに頭ほどの石が降ってきて、地面で割れ散ります。どこから投げられたものかはわかりません。しかし誰からかはわかるのですねえ。
ヤマモトは声色を変え、おお敵がいたぞうと叫ぶ。それは人形からでも傍の茂みからでもなく。あたかも遠くで「敵」を探しつづけていた半軍人たちの一人が口にしたようでございました。
キクチと人形を取り囲み人だかりができ。半軍人は老若男女が入り交じり一般人とほとんど区別がつきません。その違いを一つあげるなら、皆一様に銃を構えていることでございます。キクチの額に赤い点がぽつりと浮かび。
ああ、万事休すの深呼吸。
キクチは両手の人差し指を立て「観客」に向かって微笑みます。それからカメレオンが枝を渡るように、とてもゆっくりと歩きだします。「観客」は銃を構えつつ、気圧されて退くのです。
皆様はオールモスト・ライトですが一つだけ見落としていることがありますよ。それはこのボディこそデコイ(囮)だという可能性。私は腹話術士。どこからだって――誰が話しているようにも――声が出せるのです。アハハ、たった今、本体は逃げながら皆様にこうして話し続けているというわけですね。
一瞬、半軍人たちの照準と瞳がぶれる。
キクチはすかさず傍の茂みに飛び込みます。斜面を丸太のように猛スピードで転がり落ちていき。急に道が途切れて放物線を描き、遥か下の神社に落下しました。砂利がクッションとなってはいましたが――ククッ――俯せで微動だにしないのです。
屋根の雀が二羽、きちゅんきちゅんと囀り合っています。とてもとてつもなく平和な光景。
……おう、生きてるかあ。すんげえ逃げ方すんなあお前。
静かな境内、降りてきた一羽の雀が話し出しました。ヤマモト本人の姿はありません。奇妙なことに、声はキクチの傍の雀から出ているのです。
俺は本当はよう、お前さんが「敵」かどうかなんてどうだっていんだなあ。
雀は首を傾げ、クチバシを動かして続けます。
ただ腹話術士が一人死んで、そいつが「敵」だったってことにしとけば皆が安心するだろお? この市に一人「敵」がいるってのは嘘かもしんねえ、本当はいないのかもしんねえ、仲間割れさせんのが目的かもしんねえ、でも皆が安心すんだろお? 他の腹話術士が助かるだろお? お前さんもこの国の人間ならわかるだろお?
それきり雀は飛び去っていき。キクチは逡巡して拳を握りました。
恒常的戦争状態が続いているこの国は、もはや何が「敵」でどうなれば「勝ち」なのかすらよくわからなくなっているのでございます。腹話術士は元々「敵」の職業が起源だとされております。よって今でも「敵」だとされやすくあるのでございます。
痛む身体を動かしなんとか寝返りをうち、目を開き。大音声を張り上げる。
さあ殺してください! あなたの言うことはオールモスト・ライトだと思いますよ。「敵」を規定して殺す。本当は誰だっていいんでしょう。殺してください。しかし私が気にいらないのはあなただ。他の腹話術士が助かるという言い方はおかしい。あなたが助かるんだ。あなたが助かりたくて私を殺すんだ。これこそ愉しい戦争ですよ。そして戦争の裏で何が起きているか誰も知らないままスケープゴートを輩出して日常は続いていく!
最後の方は殆ど絶叫に近くありました。
地蔵の陰から恐る恐る少女が出てきました。雑草のように無造作な髪は目を隠し。だぶついたTシャツで左肩が見えてしまっております。短パンからのびた脚は細く未発達でございました。
数十分後、キクチとヤマモト――中身の少女姿で――が暗い林から浮き出るように現れました。半軍人たちが通り掛かるのを待っていたのでございます。
聞いてくれい。さっき気づいたが、俺もこいつも「敵」じゃあねえんだあ。俺たちを見てくれ、顔の上にオニマークが出ねえんだよう。
銃を向けられ動揺しつつ、寄り添った二人は必死に説明をして。キクチは口を開く。
腹話術士は滅多に素顔を見せないんですよ。それがこうしてやってきているんです。聞いてください。
半軍人たちが近づく。と、先頭の男が悲鳴をあげました。そうして逃げ出した者を見た者がまた逃げ出す軽いパニック状態へ陥ったのでございます。キクチは心底楽しそうに眺めておりました。
一人が微笑するキクチに向かって叫びます。
こいつ、死体を人形にして腹話術を……。
光を当てて見ればヤマモトの目は虚ろに落ち窪み、死後硬直で脚はぴんと張り詰めているのでございます。奇ッ怪悪趣味ここに極まれりと。
やだなあ、お茶目なジョークですよ。「敵」を捕まえたから殺して連れてきたんですよう。腹話術士をなめるなってことですよ。
キクチは腹を抱えて大音量で笑い。半軍人たちはそのビリビリと響く声に、怯えたシマウマのような有様。他者の狂気は人を正気にするのでございます。
ちょっといいか。
半軍人の中から眼鏡をかけた男が現れヤマモトの死体に向けて発砲しました。脚を貫通した弾丸は死体を跳ね上げましたが、ゆっくり血が出てくるのみ。
確かに死体だな。じゃあ受け取りだ。オニマークが出なくても認定されるだろうさ。
眼鏡の男は死体を抱えて運んでいきました。他の半軍人たちも引き揚げていき。ただ一人残ったキクチはため息とともに歩き出しました。
しかし背中から撃たれ足がもつれて転んでしまったのでございます。
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人形を操っていた手を止め、仮面の女は笑い出した。場内は静まりかえる。目線がどこにあるかわからないが、私を見ているように思えた。
――さあ、誰がキクチを殺したんでしょうねえ。
楽しそうに呟いて、銃と弾丸入れをぽおんぽんとお手玉する。闇に紛れるその光沢は半軍人に支給されるタイプのものだ。私の顎に冷たい汗が流れていった。
待ってましたよ、ここに来るのを。言ったでしょう、腹話術士をなめちゃいけませんと。あの身体はデコイだったのですよ。
私は席を立つと他の観客を尻目に出口へ急いだ。しかし眼鏡の男が立ちはだかる。あの時――ヤマモトの死体を撃った男だった。
思惑通りにいって良かったなあ。「敵」がいるって噂を流して、市の腹話術士を全滅させるつもりだったんだろお。嫌われたなあああ。腹話術士がいるのは市の外聞が悪いのかなあああ。
わざと老人のような声を出しているので気付く。それはヤマモトの声だった。
腹を割って話しましょうよ、市長さん。
過剰なまでに艶かしい声で仮面の女――キクチは私の肩を叩いた。
私は口を開きかけたが、言葉は形のない断末魔に変化した。自分の腹から黄色い腸がぞるりと垂れ落ち、濁流のように血が、血が、血が……。
どうやら市長にも腹を割って話して頂けたようでございますねえ。
キクチが持っているのは、血のついたナイフだ。銀と赤のコントラストがスポットライトに輝いていた。
さてさてお名残惜しいところではございますが、皆様、ショーはお楽しみ頂けましたでしょうか。市長、いかがでしたか。
ああ、感動したよ。面白い催しだった。呼んでくれてありがとう。
腹話術士は勝手に私の手をとり握手して――勝手に私の声で賛辞を述べていた。




