27話 他の男の前では
「な、な、なっ! なんでここにいるのよ!」
パーティーの主催である令嬢の隣に立っていたのは、まさかのアルヴィンだった。
貴族しか参加できないこのパーティーに、なぜアルヴィンがいるのか。
それだけではない。
なぜ主催の令嬢と並んで壇上に立っているのか。
次々と疑問が浮かぶものの、エレノアは目の前の光景をすぐには受け入れられなかった。
「ねぇ、あの殿方……初めてお会いする方よね?」
「えぇ。どのパーティーでもお見かけしたことはないはずよ」
「なんて美しい方なのでしょう……」
周囲の令嬢たちは、主催の挨拶など耳に入っていないようだった。
その視線はただ一人、アルヴィンへと釘付けになっている。
あまりの動揺に、エレノアはその場に立ち尽くした。
すると、こちらに気づいたアルヴィンと目が合う。
アルヴィンは一瞬だけ驚いたように目を見開いたものの、すぐにいつものようににこりと微笑んだ。
「何を考えてるのよ……」
あまりにも普段と変わらないアルヴィンの態度に、エレノアの中でふつふつと怒りが湧き上がる。
その時、隣から歓声が上がった。
「きゃっ! もしかして、私たちに?」
「お、お声をかけてみようかしら……」
アルヴィンから向けられた微笑みを自分たちへのものだと思い込んだ令嬢たちは、頬を紅潮させ、さらに色めき立っていた。
整いすぎていると言っても過言ではない端正な顔立ちで、甘く蕩けるような笑みを向けられれば、勘違いしてしまうのも無理はない。
その様子を見て、エレノアはアルヴィンが誰もが目を奪われるほどの容姿の持ち主だったことを改めて実感する。
「……騙されちゃって」
あの令嬢たちは、アルヴィンの中身を知ればどれほど落胆することだろう。
そんなことを思いながら、エレノアは壇上へ視線を向ける人混みを抜け出し、バルコニーへ向かった。
夜風に当たりながらグラスに残った酒を口へ運んでいると、会場から優雅な演奏や人々の笑い声が聞こえ始める。
どうやら主催の挨拶は終わったようだった。
「……もう帰ろうかしら」
グレイシア家と親交のある貴族たちへの挨拶は、すでに済ませている。
あとは主催の令嬢へ一言挨拶をして帰るだけ――。
そう思い、バルコニーを後にしようとした、その時だった。
「あの……エレノア様」
名を呼ばれ、エレノアが振り返ると、そこには緊張した面持ちの青年が立っていた。
「こんばんは」
青年の顔に見覚えはなかったが、このパーティーに招待されるほどの名家の出身であることは間違いない。
エレノアが社交用の微笑みを向けると、青年の頬はみるみるうちに赤く染まっていった。
「も、申し遅れました。ユーシス・クラウゼンと申します」
「……クラウゼン家の方でしたのね。父からお名前は伺っております。お会いできて光栄です」
クラウゼン家も名家の一つではあるが、四大貴族であるグレイシア家とは格が違う。
それでも近年は商いで急速に勢力を伸ばしており、父から何度かその名を聞いたことがあった。
「こ、こちらこそ! すみません、お一人でいらっしゃったものですから、ついお声を掛けてしまって……」
「お気遣いありがとうございます。少し、人酔いしてしまったみたいで」
「だ、大丈夫ですか? 何か、お水などお持ちしましょうか?」
「少し風に当たっていたら落ち着いてきましたので、もう大丈夫です」
「そうですか……良かった。今回のパーティーは、他の催しと比べても参加者が多いですからね。私も父に言われて参加したのですが、ここまで大勢の方が集まるとは思っていなくて、少し疲れてしまいました」
ユーシスは気恥ずかしそうに笑いながら答えた。
そんな様子を見て、エレノアは思わず感心した。
ユーシスは、まさに好青年という言葉が似合う人物だった。
相手の事情など顧みず、己の我を貫き通す者が多いこの格差社会において、ユーシスのような青年は珍しかった。
パーティーで令嬢が一人でいることなど滅多になく、エレノアが一人でいることを気に留めて声を掛け、さらにはその場しのぎで口にした「人酔いした」という言葉まで本気で心配してくれていた。
つい先ほどまで抱いていた「早く帰りたい」という気持ちは、ユーシスと話しているうちにいつの間にか薄れていた。
その誠実な人柄にエレノアも少しだけ気を許し、もう少しここにいてもいいのかもしれない。
そう思い、エレノアがユーシスに声を掛けようとした――その時だった。
「エレノア」
名を呼ぶその声に、エレノアはぴくりと肩を震わせたが、振り向くことはしなかった。
そこに誰がいるのかなど、声を聞いただけで分かる。
だからこそ、ここで素直に反応するのは、どうしても癪だった。
「おーい、無視すんなって。エレノア、聞こえてるんだろ?」
声の主は、エレノアの態度など気にも留めず、なおも声を掛け続ける。
突然現れた見知らぬ青年が、四大貴族グレイシア家の令嬢であるエレノアに、あまりにも無遠慮な口を利いている。
その光景に、ユーシスは顔を青ざめさせ、震える声で尋ねた。
「エ、エレノア様……こちらの方は?」
ユーシスの問いにエレノアが渋々口を開こうとした、その時だった。
「初めまして」
声の主は二人の間へ当然のように割って入り、ユーシスの前に立った。
「アルヴィン・ヴァルハルトと申します」
目の前で堂々と名乗るアルヴィンの姿に、エレノアは額に手を当て、小さくため息をつく。
「……ヴァルハルト?」
ユーシスもアルヴィンの名を聞き、記憶をたどりながら、どこの名家の出身なのか思い出そうとしているようだった。
しかし、皆目見当もつかない。
それもそのはず、ヴァルハルトという名の貴族家など、この国には存在しないのだから。
「アルヴィン……あなた、ここで何をしてるのよ」
「何って、ただ飯とただ酒を楽しみに?」
アルヴィンらしいと言えばらしい返答だった。
だが、この場で聞くには胃を痛めるのに十分すぎる一言だった。
「はぁぁぁぁあ……」
アルヴィンを前にすると、グレイシア家の令嬢という仮面はいとも容易く剥がされてしまう。
こうした社交の場では決して見せることのない素の自分を、さらけ出す羽目になるのだ。
「あなたね、ここがどこだか分かってるのかしら」
「分かってるよ。にしても、どこを見てもキラキラしてて目が痛くなるよな? エレノアもそう思うだろ?」
辺り一面が金色で埋め尽くされている会場は、視界が落ち着かず、アルヴィンは眉間に皺を寄せながら辺りを見渡した。
「それは……。ていうより、あなたがどうしてこのパーティーに参加しているのか、後で説明しなさいよ」
「いや、話せば長くなるんだって、これが」
「そんなことどうでもいいわ。全て話しなさい」
「えーー」
「えー、じゃないわよ。だいたいね——」
つい、いつもの調子で話を進めてしまっていると、アルヴィンを挟んだ向こう側から、「あのー」と申し訳なさそうな小さな声が聞こえてきた。
その居心地の悪そうな声を聞き、エレノアは完全にユーシスの存在を忘れていたことを思い出し、彼の方へ目を向けると、そろそろ説明してほしいと言いたげな表情を浮かべていた。
「エレノア様、こちらの方は?」
「か、彼は私の学友で……まさか、この場で会うとは思っていなかったの」
「左様でしたか……。どうやら、お邪魔してしまったようですね。では……」
「あ、ちょっと!」
ユーシスは一度アルヴィンへ視線を移すと、自分が入り込む余地はないと察したのか、そそくさとエレノアたちの前から姿を消した。
「ふーん?」
アルヴィンは、小さくなっていくユーシスの後ろ姿を静かに見つめる。
「いかにも品行方正で、誠実さを絵に描いたような奴だな」
「……そうね。どこかの誰かさんと違ってね」
「ああいうのが、エレノアはタイプなのか?」
「は? 突然何を言い出すのよ」
すると、アルヴィンはエレノアが手にしていたグラスに気づき、「あっ!」と声を上げた。
「エレノア、あいつの前で酒を飲んだのか!?」
そう言うや否や、アルヴィンは奪い取るようにエレノアの手からグラスを取り上げる。
「ちょっと、何をするのよ!」
「酒はダメだ! とりあえず、他の男の前では酒を飲むな!」
「なんでよ!」
グラスを取り上げられる理由にまったく心当たりのないエレノアは、取り返そうと手を伸ばす。
しかし、アルヴィンはそれをひらりと躱した。
「いいから、心配なんだよ」
「心配って……」
心配される理由も分からず戸惑っていると、鼻の奥にまとわりつくような甘い香りを漂わせた一人の令嬢が、二人のもとへと近づいてきた。




