11話 精霊の縄張り
ロウの案内に従ってしばらく歩くと、雑木林を抜けた先で三人は腰の高さほどもありそうな川へとたどり着いた。
川の流れは想像以上に速く、歩いて渡れば、そのまま足を取られて溺れかねない。
「で? この川を歩いて渡るのか?」
アルヴィンの問いに、ロウは呆れたように鼻で笑った。
「そんなわけないだろ。何言ってんだよ」
軽い冗談のつもりで口にしただけだったのだが、まるで本気で馬鹿にされたような反応に、アルヴィンはむっと顔をしかめる。
(なんだよ……冗談に決まってんだろ?)
するとロウは、川辺にある不自然にこんもりと盛り上がった場所の前で立ち止まり、アルヴィンたちを手招きした。
「舟を運ぶから手伝ってよ」
「舟?」
そんなものは、どこにも見当たらない。
アルヴィンとエレノアはロウの隣へ並ぶと、ようやくその違和感の正体に気づいた。
「……そういうことか」
目の前にあったのは、青葉を編み込んで作られた大きな布だった。
ロウはその布を掴むと、一気に捲り上げる。
するとそこには、一本の太い丸太をくり抜いて作られた手作りの舟が隠されていた。
(この舟を……まさか子供たちだけで作ったのか?)
「本当に、舟だわ……」
まさか本当に舟があるとは思っていなかったのか、エレノアは呆然としたように呟く。
「だから言っただろ?」
ロウはどこか自慢げに笑った。
大人が複数人乗っても簡単には転覆しそうにないほど立派な造りに、アルヴィンとエレノアは思わず感心しながら舟を眺めていた。
だが、アルヴィンはふとあることに気づいた。
「フィンとミアが向かった場所って、この川の上流にあるんだろ? この舟で川を上るのは難しくないか?」
するとロウは、再び自慢げな笑みを浮かべる。
そして茂みへ手を突っ込むと、そこから太い木の枝へ括りつけられた布を引っ張り出した。
「帆まであるのか!」
さすが自然に囲まれて育った子供たちなだけあり、その物作りの技術の高さには驚かされてばかりで、エレノアも思わず言葉を失っていた。
「これから、この舟で少しだけ川を上って、森へ繋がる洞窟に向かうからな」
ロウの指示のもと、三人がかりで舟を川まで運び、子供たちが一から作り上げた舟で川を上っていく。
ロウは風の流れを正確に読み取り、木の枝で作られた帆を巧みに操りながら、舟の進行方向を調整していた。
「風まで正確に読み取れるなんて、お前……本当に凄いな」
川の流れに逆らって舟を上らなければならないことに、アルヴィンは内心わずかな不安を抱いていた。
だが、頼もしすぎるロウの姿を見ているうちに、その不安はあっという間に吹き飛び、思わず感嘆の声を漏らす。
「その歳で、ここまで正確に風の流れを読むなんて……本当にすごいわ」
エレノアも、ロウの隠れた技術には感服していた。
(エレノアがここまで驚くのも無理はない。熟練の舟乗りですら、培ってきた経験と道具を頼りにしているというのに)
「ほんと、快適すぎて眠くなるな」
ずっと我慢していた眠気が、心地良い舟の揺れのせいで今になってぶり返し、アルヴィンはたまらず欠伸を漏らした。
すると、そんなアルヴィンをエレノアが呆れたような表情で見つめる。
「少しは緊張感を持ちなさいよ……」
「まだ何も起きてないのに、ずっと気張ってたら疲れるだけだって」
「あなたね……」
エレノアが呆れと怒りの入り混じったため息を吐いたことで、アルヴィンも渋々と姿勢を正した。
そして、舟を操るロウへ問いかける。
「あと、どれくらいで着くんだ?」
「…………あと少し」
その絶妙な間に、ロウが何かを誤魔化していることを察したアルヴィンは、じっとロウを見つめた。
(てことは、まだ着かないってことだろ?)
アルヴィンは眠気から意識を逸らそうと、退屈そうに流れていく景色を眺めながら、通り過ぎる木々の数を心の中で数え始めた。
数十本目の木を数えた頃、アルヴィンたちを乗せた舟は粗雑ながらもしっかりと組まれた木製の桟橋へ静かに近づいていく。
「お、着いたのか?」
アルヴィンは舟が停まるのを待たず、朝露に濡れた地面へ軽やかに飛び降りた。
そして、これから舟を降りようとするエレノアへ自然に手を差し出す。
「そんなこと、できるのね」
エレノアは差し出された手を戸惑いながら取った。
「なんだよ。俺だって男だぞ? 女の子の一人や二人くらいエスコートしたことあるに決まってんだろ?」
「……そう」
エレノアはわずかに視線を逸らし、小さく唇を尖らせながら舟を降りる。
そんな二人のやり取りを見ていたロウは、呆れたようにため息を吐きながら舟を桟橋へ繋げた。
「で? 森はまだなのか?」
「まだだよ……。これから洞窟に向かうんだよ」
ロウは再びため息混じりに答える。
何度説明しても変わらないアルヴィンに、エレノアもつられるようにため息を漏らした。
「あなたね、ロウの説明をちゃんと聞いていたの?」
「聞いてたよ。この先の洞窟を抜けて、森へ向かうんだろ?」
すると、ずんっと身体にまとわりつくような重苦しい空気が流れ込み、アルヴィンは眉をひそめた。
(……なんだ、この感じ)
その瞬間、それまで見過ごしていた違和感が、一気に頭の中で繋がる。
「……なぁ、お前たちがよく遊んでいたその森は、本当にただの森なのか?」
「それって……どういうことよ?」
突然変わったアルヴィンの態度に、エレノアも動揺を隠せない。
「この先から異常な気配を感じる……。きっと、精霊だ」
アルヴィンから飛び出した精霊という言葉に、エレノアは固唾を呑んだ。
「俺たちがこれから向かおうとしている森は、恐らく精霊の森だろう」
「精霊の森って、あの……伝承になってる?」
「あぁ。精霊の森は、かなり昔から禁足地になっているはずなんだ」
「禁足……地?」
聞き慣れない言葉に、エレノアは首を傾げながら復唱する。
「精霊術に関することだから、学院の授業じゃほとんど扱われないけど……精霊は実在する。自然に宿る特別な存在で、人間とはまったく別の生き方をしているんだ」
一度言葉を切り、アルヴィンは森の奥へ視線を向けた。
「だから本来、精霊が棲む場所へ人間が踏み込むことはできない。――少なくとも、そう言われている」
その説明を聞き、エレノアとロウはごくりと息を呑んだ。
「な、なら……なんでオレたちは、その精霊の森に行けてるんだよ。オレたち、何度もあの場所で遊んで……」
「……運が良かった、としか言えないな。禁足地だからこそ、今まで詳しい調査もされてこなかったんだ。だから、精霊の森がどれほど危険な場所なのか、誰も把握できていない」
「で、でも……精霊がいるって証拠は、まだないはずじゃ……」
エレノアも、この状況があまり良くないことくらいは察したのだろう。
僅かな知識を必死に引っ張り出すように、アルヴィンへ問いかける。
「……証拠ならある」
そう言うとアルヴィンは、足元に転がっていた拳大の石を拾い上げ、腰に携えた剣の柄でそれを叩き割った。
すると、その割れ目から青白い光が漏れ出し、三人の顔をぼんやりと照らした。
「石が……」
「石が、光ってる?」
エレノアとロウは、覗き込むようにしてその光る石を見つめる。
そんな二人へ向け、アルヴィンは諭すように説明を始めた。
「これは“精霊石”って言って、ただの石が精霊の力を蓄え、自然の力を得たものだ」
そう言うとアルヴィンは、割れた片方の石を少し離れた場所へ放り投げた。
石が地面へ落ちた瞬間、ドパンッ! と爆ぜるような音と共に、その場所から勢いよく水柱が立ち上がる。
「な、何もなかった場所に……水柱が?」
「ど……どういうことなんだよ」
「だから言っただろ? 精霊石だって」
続けてアルヴィンは、残った石の欠片を再び放り投げる。
すると先程と同じように、石が落ちた場所から勢いよく水柱が立ち上がった。
「さっきの精霊石は、水の精霊の力を宿してたんだ」
そう言うとアルヴィンは、未だ理解が追いついていないエレノアとロウをよそに、一人で周囲の石や落ちていた木の枝をかき集め始めた。
そして拾い集めたそれらを、片っ端から折ったり割ったりしながら確認していく。
「……よし、全部揃ったな」
アルヴィンが集めた石や木の断面からは、それぞれ赤、青、緑、黄色の淡い光が漏れ出していた。
四色すべて揃っていることを確認すると、アルヴィンはそれらをエレノアとロウへ均等に振り分けていく。
「ど、どうしたのよ急に……」
エレノアは渡された木の枝や石を受け取りながら、どこか焦りに駆られているようなアルヴィンの様子に困惑していた。
「そろそろ説明してちょうだい」
語気を強めたエレノアの声に、アルヴィンもようやく冷静さを取り戻したのか、一度深く息を吐くと真剣な眼差しでエレノアとロウを見つめた。
「俺たちは今、精霊の縄張りの中にいる。ここで何が起きるのか、俺ですら予測できない」
アルヴィンの静かな緊張感が伝わったのか、エレノアとロウの表情もみるみるうちに強張っていく。
「今はまだ姿が見えないだけで、もう命を狙われてると思っておいてくれ」
アルヴィンは、冷酷な現実を突きつけるように言い放った。
――その直後。
まるでアルヴィンの言葉に呼応するかのように、森の奥から木々を激しく揺らす音が響いた。




