01話 いつもの朝と、あの日の続き
寝ている時も、起きている時でさえも、悪夢に魘される。
走っても、走り続けても追いかけてくる足音。
身を裂くような痛みに耐えきれず、あふれ出た悲鳴。
その全てが「お前を逃がさない」と言わんばかりにあの夜――血に纏わりつかれながら友を置いて逃げ出した俺を、どこまでも追い詰めてくる。
カーテンの隙間から漏れた朝日が枕元に差し込み、その眩しさに反応して体が跳ね起きた。
今日もまた、あの日の続きを夢に見た。
「はぁ……はぁ……っ」
呼吸が乱れ心臓がバクバクと嫌なリズムを刻み、汗で滲んだ肌に髪や服が張り付く。
やがて手が小刻みに震え出し、その震えを無理やり止めようと「大丈夫だ」と言い聞かせながら強く手を組む。
血の流れをせき止められた指先が赤く染まり、震えの代わりにじんじんと痺れ始めた。
『………………』
「……もう大丈夫。心配してくれてありがとう」
アルヴィンは、誰もいないはずの空間へ静かに声をかけると、ざわつく心を押さえ込むように、ゆっくりと息を吸い込み、時間をかけて吐き出した。
それを何度か繰り返したあと、ここにいる自分は誰なのかを刻み込むように、確かめるように、自分の名前を口にした。
「アルヴィン・ヴァルハルト……。俺の名前は、アルヴィン・ヴァルハルト」
『……………………』
「もう大丈夫。いつもの俺に戻れた」
アルヴィンは小さく微笑み、ベッドから起き上がる。
「今日はクラス別の模擬試合があるんだ。あの日の続きができる」
そう言いながら、桶に溜めていた水で顔を洗う。
「そろそろ――どっちが強いか決着をつけないとな」
『…………………………』
「あははっ! そうだな。前回は惜しかったからな。今日はもう油断しない」
濡れた顔をタオルで拭い、癖のついた髪をブラシで軽く梳かす。
『…………』
「そんな意地悪なこと言うなって。今日はちゃんと勝つからさ」
アルヴィンは宥めるように言いながら、壁に掛けていた制服の袖に腕を通し、腰に剣を携える。
「よし。時間だ」
その言葉とほぼ同時に、扉が元気よく――コンコンッ、と叩かれた。
「アルヴィンー! もう支度終わったか? 飯行こうぜっ!」
扉の向こうから、数人の騒がしい声が聞こえてくる。
アルヴィンは返事をする前に、「よしっ!」と気合いを入れるように、両頬をパチンと叩いた。
ここは『レグナリア王国』
水と緑に囲まれた、自然豊かな国だ。
国内には大河が流れ、その流域には広大な森が広がっている。
暮らしのすぐそばに水があるため作物にも恵まれ、人々は自然とともに生き、自然に生かされていると言っても過言ではない。
その豊かな自然と秩序、そして平穏な暮らしを守るのが騎士だ。
中でも最も誇り高き存在が――聖騎士。
悪を討ち、国境を守り、人々の平穏を支える剣。
王国の守護者として、人々から敬われる存在だ。
そして、その聖騎士を育てるのが『王立レグナリア聖騎士学院』である。
王国最高峰の騎士教育機関であり、これまで数多くの聖騎士を輩出してきた名門学院だ。
入学できるのは主に貴族の子息や息女。
だが例外として、優れた剣の才を持つ平民にも門戸は開かれている。
身分ではなく実力で評価される――そう謳われたこの制度により、学院には各地から才能ある若者たちが集う。
彼らはここで剣術や戦術、そして騎士としての規律を学び、やがて王国を守る聖騎士となる。
そして――アルヴィンもまた、その一人だった。
アルヴィンは小さく息を吐き、扉に手をかけた。
「おう! 今行くっ!」
ガチャッ――。
扉を開けると、そわそわした様子のガルドとそんなガルドに呆れたようなレンが立っていた。
アルヴィンを見るなりガルドは肩を組んでくる。
「おはよう! アルヴィン! 今日の朝食、ステーキが出るらしいぞ!」
ガルドは勢いよく声を張り上げる。
「朝からステーキ食べるつもりかよ、お前」
朝から何とも胃がもたれそうな内容に、アルヴィンは苦笑いを浮かべた。
「だから言っただろ? 朝からそれは重いって……」
横から口を挟むレンは眉間を押さえながら、呆れたようにため息をつく。
アルヴィンたちは、朝食の内容を話しながら男子寮の門を通り抜け学院の本校舎に向かって歩き出す。
男子寮の隣には女子寮もあり、通りすがる女子生徒はアルヴィンの姿を見るなり、コソコソと興奮したような声を漏らす。
「チッ――。お前、朝から注目の的じゃねぇかよ」
ガルドは舌打ちをしながら、わざとらしく肩をすくめた。
女子生徒たちの視線は自然とアルヴィンへ集まっていた。
それもそのはず、アルヴィンは男子生徒の中で一番を誇るほどの美男子だと、入学した日から噂になっていた。
整った顔立ちに、金色の髪はさらりと風に揺れ、澄んだ青い瞳はどこか冷静で鋭い。
無駄のない体つきは剣士らしく、制服の上からでも鍛えられているのが分かる。
貴族の子息と言われても違和感のない容姿だが、彼は平民の出だった。
「別に、何かあるわけじゃないって」
平民の出でありながら、貴族の子息と引けを取らない容姿。
そのためアルヴィンは「訳あり王子様みたいだ」と女子生徒たちの間でもてはやされているが、本人は貴族のような品行方正とは程遠い性格だ。
結果として、学院に入ってから女子生徒と関係を持ったことは一度もない。
「ま、お前は学院一の問題児だって言われてるしな」
「せっかく顔が良いのに、勿体ねぇよな……」
レンが肩を竦め、ガルドがニヤニヤしながら続けた。
同情が同情を呼び、友人たちは憐れむような目でアルヴィンを見つめる。
すると、この空気を打ち破る勢いで、ガルドが声を荒らげた。
「そんな事より! 今日はあいつらと模擬試合だぜ?」
拳を鳴らしながら、ガルドはニヤリと笑う。
「今日こそ、あのすかした貴族連中の顔を一発ぶん殴って――」
「だからそれがダメだって言ってるだろ……」
レンがすぐにツッコミを入れる。
「おいおい。それに俺を巻き込むなよ?」
「なんでだよっ! 俺たち友達だろ?」
ガルドは即座に食い下がり、アルヴィンの肩を組む腕に、ぐっと力が込められる。
「嫌だよっ! 停学で済めばいいけど相手によっては最悪、退学だろ?」
アルヴィンはガルドの腕から逃れ、面倒くさそうに笑いながら距離を取る。
「お前もエレノアに負け続きでいいのかよ!」
アルヴィンに逃げられたガルドは、少しムッとした表情を浮かべ、舌打ちをした。
「チッ……」
この学院は実力主義を掲げているが、それは建前に過ぎない。
貴族と平民の間には、誰も口にしない“壁”があった。
「お前がこの前の模擬試合で手を抜いたから、俺たちは笑い者になったんだ」
空気が、ぴたりと止まる。
ガルドの声には、怒りが滲んでいた。
「……手ぇ抜いたつもりはねぇよ」
アルヴィンは低く返す。
「今日は勝つ」
短く言い切った。
ガルドは一瞬だけ黙り――「フンッ」と鼻を鳴らす。
「ならいい。今日も情けねぇ姿見せたら容赦しねぇからな!」
「――分かってるよ」
すると、静かに本校舎の方を見ていたレンが、ぽつりと呟いた。
「……まずいな」
「なんだよ、レン」
アルヴィンとガルドは、その視線の先を追う。
食堂の方角に、人だかりができていた。
「この流れだと――」
レンは淡々と言う。
「ステーキ、消えるな」
「はぁ!?」
ガルドの声が裏返った。
「早く起きた意味が無くなるだろ! 走れ!」
言うが早いか、ガルドは駆け出した。
「おい待てって!」
アルヴィンが慌てて後を追い、レンも小さくため息をつきながら走り出す。
人の間を縫うように学院内を駆け抜け、やがて混雑を極める食堂へとたどり着いた。
「うわ、こんなに人いんのかよ……」
ガルドは人の多さに引き気味の様子で呟いた。
「……そりゃ混むだろ」
アルヴィンは肩で息をしながら呟く。
普段はがらんとした静かな食堂だが、今日はまるで戦場のように騒がしかった。
肉が焼ける音と香ばしい匂いが広がり、朝食にステーキが出るという噂を聞きつけた男子生徒たちで、どの席も埋め尽くされている。
「うわー、席見つかるかこれ……」
人波をかき分けながらアルヴィンたちは空席を探していると、レンがふと足を止める。
「……あそこ」
食堂の端。
ぽつりと空いた席を指さす。
「相席でもいいなら空いてる」
「お! ちょうどピッタリ座れんじゃん!」
ガルドがすぐさまそちらへ向かい、アルヴィンも続く。
だが、そこに座っていた人物を認識したとき、アルヴィンの足が止まり露骨に顔を歪めた。




