41 あなたがいる、ここが幸せ
セレナとジュードは、逃げ惑う人々とは真逆の方向へ駆けて行く。
「ゴーレムの股下を潜り抜けるぞ!」
「はぁっ、はぁっ…………はい!」
ジュードに手を引かれ、セレナは息を弾ませて返事をする。
ドォン、ドォン、と派手に足音を鳴らしていた土の魔人は、眼下に主の姿が見えた途端、ぴたりと動きを止めた。
大きさは違えども、こちらを見下ろすつぶらな瞳は庭仕事をしていたゴーレム達と変わらない。セレナは少しも怖気づくことなく、木々に覆われた双脚の隙間を目指す。
ゴーレムの股下を駆け抜けた瞬間、ジュードが後方に向かって「座れ!」と命令した。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
ゴーレムはゆっくりと腰を下ろしていく。地べたに尻をつき、太く短い脚を投げ出すと、徐々に晴れてきた空をぼんやりと眺めはじめた。まるで、果てしなく大きいぬいぐるみのようである。
「はぁっ、はぁっ……ジュード様、ゴーレムさん置いてきてしまって大丈夫なのですか?」
「奴らは元来温厚だ。命令なしでは何も破壊しない。しばらくあそこで道を塞がせておこう」
ジュードの思惑通り、どっかりと腰を落ち着けたゴーレムの体が障壁となったせいか、未だに追手が来る気配はない。
二人は振り返ることなく走り続け、人通りの少ない脇道に入る。
そこに、一台の馬車が止まっていた。
「旦那様、奥様!」
聞こえてきた声に、セレナは思わず喉の奥が熱くなる。
「……アルバートさん!」
「奥様、よくぞご無事でいらっしゃいました」
馬車の影から現れた執事長アルバートは、朗らかに微笑みながら一礼をする。
「怪我はもう平気なの?」
「ええ、このとおり!」
涙ぐむセレナに、アルバートはそう言って力こぶを作ってみせた。常に笑って見える細い垂れ目をもっと細めると、落ち着いた声色で続ける。
「旦那様、奥様、誠に残念ではございますが……本日をもちまして、わたくしアルバートは執事長の任を退かせていただきます」
セレナは「えっ?」と声を漏らして立ち尽くす。しかし、隣に立つジュードに動揺の色はない。
「短い間だったが、世話になったな」
「っ……身に余るお言葉、光栄に存じます。……さあ、こうしている暇はございません!」
アルバートは目尻に湧いた雫を振り払うように、きびきびと馬車の扉を開ける。茫然としていたセレナだが、ジュードに促されて共に中へ乗り込んだ。
「御者には、国境沿いまで全力疾走するよう伝えています。揺れにお気をつけください。そちらに救急箱をご用意してあります。ご自由にお使いください」
手際よく説明を済ませると、アルバートはパタンと馬車の扉を閉める。セレナは慌てて馬車窓を開けた。
「アルバートさん! あのっ、今まで本当にありがとうございました!」
「滅相もございません。それより奥様、お気づきですか?」
「えっ?」
「地下牢に囚われる前よりも、はるかに溌溂としていらっしゃいますよ」
アルバートが御者に合図を出す。鞭を打つ音が聞こえたと思ったら、勢いよく馬車が動き始めた。
「お二人の道のりが幸多きものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます――!」
遠ざかるアルバートの惜別の言葉は、セレナの鼓膜を確かに震わせた。
セレナは涙を手の甲で拭き、これ以上流れてこないようにと少し上を向く。すると、ジュードが不意に立ち上がってセレナの足元に跪いた。
「セレナ、今のうちに怪我の手当てをしよう。右の足首が赤くなっている」
「! そんな、汚いですから自分で」
「俺に任せてもらえないか?」
「っ……はい……」
真摯な瞳で見上げられたセレナは、為す術なく頷く。
ジュードの指が素足に触れた瞬間、ぶわっと熱いさざ波のような何かが全身を駆け上がった。
「痛むか?」
「い、いえ、平気ですっ」
セレナは咄嗟に両手で顔を覆い、身悶えしながら返事をする。彼は純粋なる善意で手当てしてくれているというのに……こんな顔、絶対に見せられない。
「これは外傷というより、しもやけのようだ」
必死に平静を装っていると、ジュードがセレナの足を見つめてそう言った。
「しもやけ……? あっ」
セレナは、処刑前の身支度に来た使用人が極小の声で何かを囁いたことを思い出す。
今思えば、彼女はこう言っていたのではないか――〝水よ凍てつけ〟と。
(……あの時にはもう、足枷の鍵は魔法で壊れていたのかしら)
考え込む間にも、ジュードはセレナの右足に優しく包帯を巻いていく。
「応急手当だけでも出来て良かった。目的地はまだ遠いからな」
処置を終えたジュードがそう言いながら立ちあがった、次の瞬間。
――ゴトン!
「きゃっ!」
「ッ⁉」
木の根にでも乗り上げたのか、大きな縦揺れが二人を襲った。
驚いて目を瞑ったのと同時に、どんっ、と背もたれから鈍い振動が伝わる。
「……――⁉」
そろりと目を開けてみると、鼻がぶつかりそうなほど近くにジュードの顔があった。右耳のすぐ横には大きな手のひら――彼はセレナの座席の背もたれに片手をつき、こちらに覆いかぶるような格好で立っていたのだ。
セレナは瞬きの仕方も忘れて、じっと彼を見上げる。息を吐くのも憚られる近さに、心臓が狂ったように脈を打ちはじめた。
「……ッ! す、すまない。怪我はないか?」
数秒の後、ジュードが勢いよく飛び退いた。セレナもハッと我に返り「は、はいっ」と裏返った声で返事をする。
ぎこちない沈黙が二人の頬を赤く染め、当てずっぽうに視線を彷徨わせていた、そのとき。
「お~い! こっちですヨ~!」
外から、弾けるように明るい声が聞こえてきた。
馬車は徐々に速度を落とし、ついに止まる。扉が開いた途端、懐かしいミントグリーンの瞳と目が合った。
「――ミラ!」
「――セレナ様!」
二人は両腕を広げて駆け寄り、ぎゅうっと抱き締め合う。
「ごめんねミラ。ちっとも早く帰れなくて……っ」
「うわあぁん、もう会えないかと思いましタ〜!」
セレナは、泣きじゃくるミラの背中を優しくさする。するとミラは次第に落ち着きを取り戻し、涙を弾き飛ばすように精一杯の笑顔を見せた。
「セレナ様、最後のお召変えを致しましょウ」
「……お召変え?」
「さあさあ馬車の中に戻りますヨ。……ア、旦那様のお着替えはそっちの荷馬車にありますから、ご自分でお願いしますネ!」
ミラはセレナの背中に手を添えて、ぐいぐいと乗ってきた馬車へ押し戻す。戸惑ってミラとジュードを交互に見ていたセレナだが、ジュードが「わかった」と早速上着を脱ぎ始めたのを見て、慌てて馬車に乗り込んだ。
「ミラのお古で申し訳ないですが、これなら目立ちませン」
遅れて馬車に乗ってきたミラは、何とも質素なワンピースを手にしていた。
長方形の麻布を二つ折りにして、頭を通す切り込みを入れただけのゆったりとしたシルエット。ただし、襟ぐりには見たこともない異国風の刺繍が施されている。
「えっ、どうしてミラの服を?」
「どうしてっテ……。セレナ様、まだ旦那様に行き先を聞いていないのですカ?」
ミラは素早くセレナのドレスを脱がせながら尋ねる。セレナが「ええ」と頷くと、彼女は何やら誇らしげに胸を張った。
「お二人の新天地は、ミラの故郷クレド王国でス!」
「っ?」
「魔力のない人だけが立ち入りを許されるクレドなら、追手に怯えて暮らす心配もありませんからネ」
ミラは「失礼しまス」と言って、セレナの頭からすっぽりとワンピースを被せる。
「これでもう立派なクレド人でス! 最後に御髪を整えますネ」
そう言って、ミラは名残惜しそうにセレナの長髪を手に取った。処刑場でジュードに抱き止められたときから少しずつ魔力を吸い上げていた白髪は、既に肩の高さまで飴色に染まっている。
「ミラ、最後に一つお願いがあるの」
「ハイ?」
それから、しばらくして――。
「ジュード様、お待たせしました」
「……ッ!」
馬車から降りてきたセレナに、ジュードは声も出さずに目を見開いた。
地面を引き摺るほど長かったセレナの白髪が、ちょうど肩の高さで切り揃えられていたのだ。
「変でしょうか……?」
「! いや、違う。少し驚いて」
もじもじと前髪を弄るセレナに、自らも民族衣装に着替えていたジュードが慌てた様子で口を開く。
すると、救急箱に入っていたハサミを片手に、ミラが馬車から呆れ顔で降りてきた。
「も~っ、旦那様は相変わらずですネ。そこはビシッと『綺麗だ』と褒めて下さらないト」
ミラは、向かい合わせで赤面するセレナとジュードを荷馬車の幌の中へ促す。どうやら行商人の荷物に紛れて国境を超える作戦らしい。
「――お気をつけて、行ってらっしゃいまセ!」
ミラは最後まで笑顔でそう言って、幌布をきっちりと閉める。
カタコト、カタコト……二人を乗せた荷馬車がのんびりと動き出した。
「魔力持ちはクレドに入国できない。到着まで約三時間……吸い尽くせるといいが」
ジュードはそう言って、剥き出しのセレナの手を優しく握る。
「あの、それでしたら一つご提案が……」
「ッ?」
「ぇ、えっと、ジュード様の唇をお借りできたら、この間のように一瞬で吸収が終わるのではないかと思って」
自分で言っていて恥ずかしくなるセレナだが、さっぱりと短くなった髪を耳に掛けて勇気を振り絞る。
「……フ。貸すも何も、この身は全て君のものだ」
「!」
「だが、その前に」
不意な微笑みと甘い言葉。心臓がぷちんと弾けそうになるセレナの首元に、ジュードが手を翳す。
「〝土よ造れ〟」
まさか、と慌てて視線を下げたセレナは灰青色の瞳を見開く。肌見離さず提げていた黄鉄鉱のネックレスが、ぐにゃりと形を変え始めていたのだ。
「ジ、ジュード様っ、何を⁉」
「いいんだ。こうした方がきっと妹も喜ぶ」
そして、あっという間に――金色がかった真鍮色の指輪が、コロンと造り出された。
「セレナ、愛している」
ジュードは、セレナの白い薬指に指輪を通しながら言う。
「もはや騎士でも男爵でもないが、これからも君の側にいさせてくれないか?」
「……っ! も、もちろんです! 私はジュード様がお側にいてくださるだけでとても幸せですし、それに」
「そうか。なら良かった」
「……――!」
夕陽が透けた幌の内部は、漂う空気までもが甘い飴色で――唇を重ねる二人を温かく包み込む。
カタコト、カタコト……荷馬車が揺れる心地良い音。ゆっくりと目を開けたセレナは、深い飴色に染め上がった頭をそっと彼の肩に預ける。
「……あの、ジュード様」
「? どうした」
こうして恥じらいながら互いの指を絡めてみても、これ以上この身に流れ込むものは何もない。
髪色が変わることも、彼の過去を見ることもなく、ただ――。
「大好きです」
「……ッ‼」
二人して歩む未来のことばかりを、うきうきと夢に見ていた。
【完】
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改稿作業が落ち着き次第、後日談も書けたらと思っています。気長にお待ちいただけますと幸いです。




