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飴色に染まる ─白き異能の令嬢は最強騎士の魔力を喰らい幸せをみつける─  作者: 綿谷ユーリ


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22 難解な心理

 波乱に満ちた授爵式から、一週間が過ぎた。


 ――ツカ、ツカ、ツカ、ツカ。

「仕事に行ってくる」

「ぁ、はい。行ってらっしゃいませ」


 今朝もジュードは、出勤前にセレナの様子を見にやってきた。とっくに元気になっているセレナは、不思議に思いながらもぺこりとお辞儀をする。


(男爵様って意外と心配性……? それとも、夫婦なら出かける際に声を掛け合うのは当然のことなのかしら?)


 物心つく前に実の母を亡くしているセレナは、夫婦というものがどのような関係性なのか、ほとんど理解できていなかった。

 父は母の死後一年と経たずに現伯爵夫人カミラと再婚し、ほどなくして二人の間には異母妹のヴィオラが生まれた。しかし、父と継母が愛し合っていたかと言われると、決してそうは見えなかった。

 まだセレナが幽閉される前のこと、家族全員で食卓を囲んでいても二人の間にはほとんど会話がなかった。むしろ、ガツガツと肉を喰らいながらライナスやセレナに説教を垂れる父に、カミラはいつも冷ややかな視線を向けていたのだ。そんな折に魔喰いの異能が発覚し、一切の人間関係を断ち切られて現在に至る。

 だからセレナには――〝夫婦〟が全くわからない。もっと言うと〝友人〟もわからないし、〝恋人〟なんて『おとぎ話にしか出てこない空想上の生き物なのでは?』とすら思っている節がある。

 そんなセレナが唯一知っているのは、兄ライナスとの間にあった〝兄妹〟という関係性のみなのだ。


(そういえば……ライナスお兄様にも過保護な一面があったわね。私が風邪を引くと、一時間おきにお見舞いに来てくれたし)


 セレナは微笑ましい記憶で胸を温めながら、出勤するジュードを見送ろうと姿勢を正す。

 しかし、なぜか今朝のジュードは一向に動きだそうとしない。『行ってくる』『行ってらっしゃいませ』と一連の挨拶を交わし終えたというのに、未だ直立不動のままこちらを見下ろしているのだ。

 戸惑うセレナに、ジュードは何やら険しい面持ちで口を開く。


「ここ最近、毎日帰りが遅くなってしまいすまない。休暇中に溜まっていた雑用を片付けるのに忙しくて」

「……?」


 彼はひどく申し訳なさそうにそう言うが、セレナにしてみれば、別にジュードの帰宅が遅くとも何の不便もないわけで。


「あの……お帰りが遅いからといって、気に病まれる必要はございませんよ? 毎日夜中までお疲れ様です」


 さも当然のようにそう言ってニコッと微笑みを返したセレナであったが、どういうわけかジュードの表情はより一層暗くなった。目の眉の間に濃い陰影ができ、内部に飴色を宿しているはずの瞳も闇に落ちて真っ黒だ。


「それもそうか……」


 心なしか、声色にも覇気がない。


「……行ってくる」

「行ってらっしゃいませ……?」


 こうして二度も同じ挨拶を繰り返したところで、彼はようやくセレナに背を向けて仕事に出ていった。常に寸分違わぬ足音のリズムが、今はやけに乱れて遅い。


(一体どうしたのかしら……? 足を痛めているのではないといいけれど)


 セレナが心配そうに見つめていると。


「っ?」


 急に彼の歩みが止まった。


 ――ツカツカツカツカツカ!

「!」


 と思ったら、くるりと踵を返して早足でこちらに戻ってくるではないか。


「セレナ。この間は俺のせいで反故になってしまったが、今日こそは一緒に夕食を摂りたいと思っている」

「えっ?」

「早く帰れるよう死力を尽くす。では」


 ジュードは勢い任せにそう言うと、驚くべき速さでセレナの私室を後にした。

 呆気に取られて立ち尽くすセレナであったが、ふと外から彼の足音が聞こえてきてカーテンをめくる。つい先ほどまで目の前にいたはずのジュードは、既に邸から門扉へと続く一本道を歩いているところだった。あれだけ早く移動出来るのだから、足を痛めていないことだけは確かだろう。

 それにしても。


「……『反故になる』ってどういう意味かしら? 『死力を尽くす』も。辞書を引いてみなくちゃ」


 麗らかな春霞が彼の後ろ姿を包み込んでいく。それを見届けてから、セレナは本棚からよいしょと国語辞典を持ち上げた。

 今日もいい天気になりそうだ。


 ◇◆


「セレナ様、今日はずっとその本を読んでいらっしゃいますネ」


 セレナの髪をせっせと結っていたミラが、背後から話しかけてきた。 

 時刻は黄昏時。まもなく帰宅するであろうジュードとの夕食に向けて、念入りに身なりを整えてくれているのだ。


「ええ。読み始めたら止まらなくなってしまって」


 一方のセレナは、鏡台の前に腰掛けてミラに身を任せながら読書を続けていた。深紅を基調としたイブニングドレスは今まで着せてもらったドレスの中でも最も大人っぽく、雪のように白い肌を一段と艶やかに際立たせている。


「へぇ~、そんなに面白いんですカ! どんな内容なんでス?」

「若い女性達の間で流行っているロマンス小説ですって。アルバートさんがね、『辞書や教科書ばかりではつまらないでしょうから』と言って、いろいろな本を持ってきてくれたのよ」


 つい先日までがらんどうだったセレナの本棚には、今や所狭しと本が並んでいた。

 言葉の勉強用の参考書はもちろんのこと、様々なジャンルの物語小説、貴族マナーに関する指南書、ファレーズ王国の歴史書、国内の勝景地を紹介する旅行本や、一週間分の新聞まで――。これだけあれば、出不精のセレナでも当分は退屈しないだろう。


「よりどりみどりですネ! でも、勉強熱心なセレナ様がいの一番にロマンス小説を読み始めるとハ。ちょっと意外でしタ」

「ぁ、それはその……男爵様のお心を知るヒントがあればなぁと思って」


 セレナは自身の生い立ちに引け目を感じ、もじもじと肩を狭めて言う。


「八年間も人と接することなく生きてきたからかしら……私、男爵様が何をお考えになっているのか、いつもよくわからないの。的はずれな会話をしてしまっているんじゃないかと思うこともしばしばだわ。お使いになる言葉が難しいからだけじゃないと思うの。実は今朝もね――」


 セレナは、今朝のジュードとの会話の詳細をミラに話した。

 

「……ナルホド。セレナ様は良かれと思って『気に病まなくていい』と言ったのに、旦那様が突然ゾンビみたいなお顔になられたト」

「えっ、うーん……まあそんな感じね」


 そこまでは言っていないのだが、話の本筋には問題ないだろうと思ったセレナは一旦同意して話を続ける。


「だから、男女の人間関係が描かれた小説を読めば何かわかるかもしれないと思ったの。結局まだわからず仕舞いなのだけど……」

「ミラは旦那様のお気持ちよくわかりますヨ」

「えっ?」


 驚くセレナの細い首にネックレスをつけながら、ミラは平然とした顔で言う。


「ミラはセレナ様のことがダイジですから、セレナ様が王宮にお出掛けになった際、何度も『早くお帰りにならないかナ~』と思ってましタ。だけど、なかなかお戻りにならなくて、今度はとっても不安になりましタ。つまり『帰りがどれだけ遅くなろうと構わない』と相手に伝えることは、その人のことがダイジじゃないと言っているのと同じことでス」

「っ! 私、そんなつもりじゃ……。お気遣いしていただくのが心苦しかっただけなのに」

「もちろんわかっておりまス。ですがセレナ様、おそらく旦那様はセレナ様に気を遣いたくて仕方がないのだと思いますヨ」


(気を遣いたくて仕方がない……?)


 それって一体どういう心理なの……、と心底怪訝そうに首を捻るセレナに、ミラは柑橘類を思わせる爽やかな笑顔で言う。


「セレナ様はもっと男爵様にわがままを言ってイイ。いや、言うべきなのでス!」

「わがままを……?」

「騙されたと思って、今晩の夕食後にこうおっしゃってみてくださイ。いいですカ――」


 ミラはセレナの耳元でとある台詞を囁く。セレナは一言一句聞き漏らさずにしっかり聞き取った上で、耳を疑った。


「そ、そんなこと、畏れ多くてとても言えないわ!」

「大丈夫、ミラを信じテ! きっととてもお喜びになりますかラ」

「でも……」

「さあ、オメカシ完了ですヨ! おや、噂をすれば旦那様。本当に早くご帰宅なさったみたいですネ」


 最後の仕上げとばかりに真っ赤な薔薇のカチューシャをセレナの頭へのせると、ミラは窓の外を眺めてそう言った。彼女に余計なことを吹き込まれたセレナは、邸の前で鳴り止んだ馬車の車輪の音にドキッと背筋を伸ばす。


「自信をお持ちになってくださいセレナ様。今日のお姿もとっても()()ですヨ……!」


 恍惚とした笑みを浮かべたミラは、先日ジュードから貰った感想の言葉をセレナへと丁重に贈り返す。

 時計の秒針に似た足音は、刻一刻とセレナの元へ近づいて来ていた。

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