1st バトル『我が校のブレイクダンスヒーロー、血みどろの大ケガ!』
少年は一人、倒立回転しながら、スローモーションの様に見える天地逆転の景色を楽しんでいる。
ここは京都市の複合商業施設、通称PDOG。施設内の吹き抜けの広場には、銀色に輝く近代オブジェや壁があり、ゆったりとしたスペースが広がっている。シーズンには、ステージイベントも多数開催される、京都の若者にとってフラグシップ的空間。そして多くのストリートダンサーが集まり、練習をする事で有名なスポットでもある。銀の壁は自分の姿を映す鏡がわりになり、ダンサーには絶好の練習環境となる。本来このような公共の場にダンサーが大勢たむろすると、迷惑がる人や、施設から禁止令が出ることもあるのだが、若者が集まり活気が出るということで、ここPDOGではダンスの練習が暗に認められていた。
日がサンサンとさす夏の午後。そんな広場で練習をしている一人の少年がいた。
ブレイクダンスのヘッドスピン…。あえてゆっくり、ゆっくりと、景色を楽しむように回転する少年。ベースボールキャップで頭を保護し、動きやすそうなジャージとデザインTシャツ。トレンディなスニーカーは、まだ新しい。若者に人気のゴツ目のスポーツウォッチが、手首に存在感を与えていた。黒系統が好きなようだ。全体的に忍者のようなイメージで、統一されていた。
少年の名は…、米田地球。
中学三年生。いかにも運動神経の良さそうな、均整のとれた細身の体。身長は170センチ弱か。顎と鼻筋がシャープで、目元は細めで釣り上がり、獲物を狙う草原の狩人、ジャッカルのように鋭い。
足を広げてゆっくりと倒立回転する地球の視線に、制服姿の女子二人が近づいて来た…。地球が回転するごとに、その足が接近して来る…。
地球は逆立ち状態のため、目線は地面スレスレである。女子学生の短めのスカートが、微妙な角度で地球の目に入った。自分が練習している時に、こんなに女子に接近されたのは初めてであった。地球は思わずバランスを失い、倒立の体勢を崩した。慌てて立ち上がり、あらためて女子二人の方へ向き直った。
「あの〜、練習中すみません、サインください!」
と、お辞儀しながら色紙とサインペンを地球に差し出したのは、ショートカットの方の女子。慌てて一緒にお辞儀をするもう一人の女子は、三つ編みのおさげで、大事そうにiPadをかかえていた。
地球は腰のあたりの埃を払いながら、
「サインか…ええで!」
と、ニカッと笑った。
手慣れた感じで色紙にサインをする地球。まるで芸能人気分ではあるが、実はこれが生まれて初めて人にするサインであった。しかし、いつかこういう日が来た時のために、密かにサインの練習をしていたのである。
サインされた色紙を受け取って、キャピキャピと喜ぶ女子二人、
「写真もお願いします!」
と、いって地球の横に並んだ。おさげの子が、iPadで3人の自撮り写真を撮る。有名人と一緒に写真を撮れた感じで、喜ぶミーハー女子。可愛い女子中学生に挟まれて、まんざらでもない表情の地球。この子たちは、誰なのか?
「わたしたち、米田地球先輩と同じ中学の新聞部、2年の葉留亜美と大賀麗です!」
と、ショートカットの亜美が自己紹介をした。三つ編みおさげの麗もペコリと頭を下げた。
地球は、
「よろしく!」
と、少し格好をつけて人差し指を眉につけて挨拶をした。ゴツ目のスポーツウォッチが、その手首にキラリと光る。
「あ、あの、地球先輩が、ブレイクダンスの関西中学生の部で、優勝したというのを聞いて、練習場所まで取材に来ました。」
と、麗が少しオドオドした感じでいった。お嬢様育ちで、引っ込み思案の様子。おでこの形が綺麗で、目がクリリとして可愛い。
地球は、
「それはありがとう!」
と、勢いよく返事した。麗はiPadを持ちながら、
「これで撮った写真を、学校のネットニュースにしてもいいですか?」
と聞いた。
「もちろんOK!」
と、地球。
すかさず、ショートカットの亜美が勢いよく喋り出した。
「それではインタビューです。ブレイクダンス、関西中学チャンピオンになった感想を、ズバリお願いします!」
先ほどサインをしてもらったマジックペンを、マイクがわりにして亜美が聞いた。亜美は目がキラキラとして、歯並びの良い大きな口が特徴。少女ならではの好奇心が顔面に溢れた、何事にも小回りが効きそうな元気ガールである。
「そうやな〜、ブレイクダンスを真剣にやり始めたのは2年前なんやけど、もともと運動は好きやったから、一気に B-BOY として目覚めたかな!」
と、地球はマジックペンを相手にそれらしく語った。
二人の新聞部員は、
「B-BOY やって!かっこいい〜!」
と、向き合ってはしゃいだ。
B-BOY というのは、『ブレイクダンスをする男子』と、いう意味である。
B は、不良を意味する BAD の B だとか、黒人を意味する BLACK の B だとかいう説もあるが、単純にブレイクビーツで踊る人、ブレイクダンサーを指すと言っていい。
ブレイクダンス、通称『ブレイキン』は、ストリートダンスのジャンルの中でもかなり歴史が古く、頭でクルクル回転したり、足を広げて背中で回転したり、体操競技のようなアクロバティックなダンスとして、若者に人気である。運動神経が良く、少し不良じみた雰囲気を醸し出しつつ、ガツガツ踊るのが B-BOY のスタイル。このダンスが踊れると、女子にモテてチヤホヤされる事、間違いなしなのである。
そんなブレイクダンサー同士が踊り合って、勝敗を決めるダンスソロバトルの大会で、つい先日見事に優勝し、関西中学生チャンピオンになったのが米田地球なのだ。
「同じ中学から、関西チャンピオンになったとか、学校のヒーローです!」
亜美がミーハーぶりを発揮して、瞳の中にハートをキラキラさせながら、地球を讃えた。麗もウンウンとうなずきながら、ネットニュース用の写真をiPadで熱心に撮った。
地球は、気分が高揚するのを…明らかに感じた。
小学生の頃から、人並みはずれた運動神経の良さで、スポーツは何をやってもレギュラークラスだった地球。裕福ではない母子家庭で、ギリギリの捻出で支払われた月謝で通った、野球やサッカークラブ…。しかし、地球の我が強すぎて、チームスポーツでは必ず味方と揉める羽目になり、保護者や同僚から悪者扱いされた上に、泣く泣くクラブを去るという最悪の結果が続いた。
無駄になったグローブ、スパイクを、悲しげに見つめる母親の顔が忘れられない。
中学生になり、個人スポーツに体力のはけ口を求めた地球…、柔道教室、空手教室、テニス、卓球、水泳、個人スポーツの選択肢はいくつもあったが、どれも、入会金、年会費がかかり、親に対する気が引けた。
そんな時に偶然、ストリートダンススクール、『体験無料』『入会費無料キャンペーン!』の看板を見つけた地球。ストリートダンスなら、競技用のユニフォームや、道具類も購入する必要はない。無料で汗を流せるならば何でも!という思いで、スクールに飛び込んだのだった。そして個人技のイメージが強いブレイクダンスが自分に合うと考え、無料体験クラスを受け、それからドップリとハマってしまった、というわけである。
とにかく、月謝を親からもらえた月はレッスンに通い、もらえなかった月は、近所の公園にダンボールを敷いて、練習するという日々が続いた。誰かに、PDOGが練習しやすい、と聞き、少し遠かったが自転車で通い、心ゆくまで練習できる環境が整ったのだ。
ダンススクールの壁には、大規模なダンスバトル大会のポスターが貼ってあった。ソロバトルの日本一になると、優勝賞金はなんと百万円!である。こんな賞金があれば、親に苦労をかけずに、好きになったダンスを好きなだけ習える…。そう思った地球のバトル挑戦が始まった。
が、どの大会に出ても、ほぼ1回戦負け。ジャッジは俺に意地悪をしているんじゃないかと、自分の実力を棚に上げ、他人を疑う日々。賞金を手にするどころか、エントリー費と移動費ばかりが消えていく。
しかし持ち前のしつこく食らいつく性格と、研究熱心さ、何より練習量がものをいい、徐々に上位に食い込めるようになってきた。
そしてついに、中学3年になった今、関西中学生チャンピオンを決めるブレイキンバトルで、優勝したのである。賞金は3万円。スポンサーについた企業のスポーツウォッチも、副賞でゲットした!欲しかった新しいスニーカーも、賞金で買った!親からもらった金ではない。全て自分で手にしたものだ!
夢描いた百万円からはほど遠かったが、とにかく、初めて手にした栄誉に、地球は恍惚となった。
このままいけば、いずれ日本一となって百万円を手にする日も遠くはない、楽勝だ。チームスポーツや、お金のかかる個人スポーツからは、虐げられた自分だが、己の力でそんな雑魚どもをひれ伏させられる!
オレは、ブレイクダンサーとして成功するのだ!
B-BOY として名を馳せるのだ!
そういう思いで、地球の心は充満した。
そして大会から数日を置かず、こうして可愛い女子が自分にサインを求め、写真を求め、学校の新聞部としてインタビューまでしてくれている。
俺はスターなんだ!
努力と結果を世間に認められた、確固たる存在意義を持った男なのだ!
自制心でなんとか抑えよう、抑えようと思いつつも、地球は膨らんでいく自信を、抑えきれない思いでいると同時に、その感覚をとても気持ちよく感じていた…。
広場の遠くの柱の陰で、その様子を見ている何者かの背中があった。
その男の背中越しに、女子中学生二人にチヤホヤされて、ニンマリした笑顔で応対する地球の顔が映っていた。
「今日は取材、ありがとうございました!」
と、麗。
「サインもありがとうございました! 部室に飾りま〜す!」
と、亜美も続けた。
「OK〜、また取材してな!」
と、地球が笑顔で応えた。
「はい、じゃぁまた、学校で!」
と、亜美、麗が去って行った。
満面の笑顔で見送る地球。
その地球の背後に、男の睨みつける顔が…スッと現れた。
男は…
菅井王華。
キャップをかぶって、ギョロリとした目で地球を睨んだ。
ギョッとして振り返る地球。
「なんや、あんた!」
と、急に背後に立っていた男に驚き、思わず叫んだ。
王華は、ケンカを売るような口調で地球に迫った。
「米田地球〜、ずいぶんチヤホヤされとったやんけ!」
王華は、20代中頃の男。背は低めだがガッチリとして首回りが太く、プロレスラーの様な体型。目と口が大きく、好戦的な顔つきで、挑発する様な喋り方をする。白を基調とし、胸元に赤い丸がデザインされた、日の丸をイメージさせるスポーツシャツを着ている。
地球は、王華の凄みに一瞬押されたが、すぐに負けん気の強さを発揮して、中学生なりに凄んだ表情でいい返した。
「お前、誰やッ!」
「オレは B-BOY 菅井王華や。ここはオレの練習場所や!お前はどけ!」
「知るか。先に来たもん勝ちや!」
と、地球は怒鳴った。2年間この PDOG で練習し続けて、こんな奴は見たことがない。自分の居場所を、やすやすと譲る気は無い。
「オレはな、チャラチャラした奴を B-BOY とは認めん!よって、お前は去れいッ!」
「オレは B-BOY や!関西の中学チャンピオンになったんや。練習場所はどかんでッ!」
「関西中学チャンピオンくらいで、いい気になんなッ!」
と、王華は激しい口調で地球を突き飛ばした。
もともと短気な地球は、一瞬で頭に血が上り、カッとした表情で王華に殴りかかった。その拳を紙一重のタイミングで悠々とかわした王華は、同じタイミングで強烈なカウンターパンチを地球の鼻に叩き込んだ。ものすごい勢いで後方にひっくり返り、一回転して地面に叩きつけられた地球。パンチの衝撃で一瞬何が起こったか分からなかったが、思わず自分の鼻を押さえると、大量の鼻血が!
「おぉぉぉぉぉ〜〜やじにも殴られたことないのに!」
死に別れた親父にも殴られたことがなかったのに、初対面の見知らぬ奴に B-BOY を否定された上、顔面パンチを受けるとは!
血を見てますます逆上した地球は、立ち上がって怒りの表情で再び王華に殴り掛かった。そしてパンチを数発空振りし、逆にまたカウンターをもらう。完全にブチ切れて、殴り掛かっては跳ね返される地球。王華は喧嘩慣れした大人だ。身長は地球の方が少し高いが、筋力も体力もまるで王華にかなわず、もんどり打っては地面に叩きつけられた…。
広場から帰りかけていた亜美と麗、遠くで地球が暴れ始めたことに気づく。
「なんかヤバいことになってんで!麗、写真!写真!」
と、亜美が好奇心旺盛な様子で目を見開いて、麗に写真を撮るよう促した。
麗、iPadでパシャパシャと写真を撮る。ズームして撮影すると、ひっくり返って血だらけになっている地球のアップが写った。
血を見て一瞬、ひ〜ッとなった、麗の表情。我に返り、人として人を救わねばという思いで、こう叫んだ。
「血が出てる、助けにいかんと!」
そんな麗を制して、ある意味、敢然と亜美が叫んだ。
「待って!スクープや!派手な記事にしよ!見出しはこう!
『我が校のブレイクダンスヒーロー、血みどろの大ケガ!』」
先ほどまで地球のことを取材して、ミーハー根性でキャッキャといっていたのに、血を流して倒れているとなると、助けずにスクープにしようという亜美の芸能リポーターというか、ゴシップ雑誌記者ばりの根性は、見事というか、呆れるというか…。
麗は亜美と仲が良いものの、もともと気弱な性格で、何か言われたら言われたままになってしまうところがある。優しい気持ちから地球を助けるべきだと心では思いつつも、亜美に制され、言われたままに iPadで見出しを打った。
「『血みどろ』とか、文章エグすぎひん?」
「ええの、ええの! 派手な方がええの!送信ッ!」
と亜美、iPadの送信ボタンをポチッと押してしまう。
麗、「あ!」といってたじろぐ。
『アップロード完了』の文字が、画面に出た…。
鼻血を出し、顔面が傷だらけになった地球のデカデカとした写真と、派手な見出しが、校内のネットニュースに『速報スクープ!!』として公開された…。
2nd バトルへ つづく…