2nd バトル『地球先輩、ヤバそうな相手と、つかみ合いの大モメ! 』
スクープが流れた日の夕刻、とある下町の溶接工場。大きな工場ではない。10数人が作業着を着て真っ黒になりながら黙々と働いている。ギューン、ギューンと鉄が鉄を削る金属音。バチバチッ、バチバチッと散る火花と溶接音。それらの音が交錯して、騒々しくも、活気ある風情となっている。
古い映画のロボットのような溶接マスクをかぶり、作業に没頭する社員が一人。溶接の火花がマスクの黒いグラスに反射している。
終業時間のベルが鳴った。マスクをとって、ふ〜っと息を吐く男。鉄粉で煤けた顔が見える。30歳前後、長髪のイケメン、だが眉間に皺の寄った気難しそうな顔つき。何か人に言えない秘密を持っているのか、過去に何か背負っているかのような、謎の履歴が重厚な漢の顔を創り出している。
この男の名は、鍬井厳侍。
工場の一角で、ベンチに座って缶コーヒーを飲む厳侍。横には、アルミ製の松葉杖が置いてある。足が悪いようだ。
そんな厳侍の元へ歩み寄ってくる男が一人、工場の社長、大賀鐘である。作業服は着ているが汚れていない。現場の仕事は社員が行い、自分は営業や社内の見回りが仕事のようだ。強面で、いかにも中小企業の社長という感じで、恰幅が良い。iPadを持って、巌侍のところへ来てこういった。
「うちの娘な、中学の新聞部やねん。」
「へ〜そうすか。」
厳侍は缶コーヒーをグビリとやりながら、興味うすそうにこたえた。大賀社長はお構い無しに厳侍の横にドスッと腰掛け、喋り続けた。
「今の新聞部すごいで。掲示板に貼り出すとか、印刷して配るとかやないねん。ネットニュースや。ほれ。」
と、持っていたiPadを厳侍に渡し、画面を指差した。
「なかなか派手で、オモロいやろ…」
厳侍は、興味なさそうに画面をちらりと見たが、次の瞬間に何か気になったようで、まじまじとその内容に見入った。少年の鼻血を流した顔面アップ写真が掲載されていて、スポーツ新聞のような派手な見出しが…。
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『我が校のブレイクダンスヒーロー、血みどろの大ケガ!』
辰院中学の三年生、米田地球先輩が、練習中に血みどろの大ケガに合いました!
地球先輩は、つい先日に、ブレイクダンス関西中学チャンピオンになったばかり。
インタビューでは、
『2年前にブレイクダンスを始めたけど、もともと運動は好きだったし、今回の優勝で一気に B-BOY として目覚めました。』
と語っていました。が、その直後に大流血の大ケガを負う羽目に!
いったい彼に 何があったのか !?!?
次期大会出場に影響してはいけないので、詳しいケガの原因はお知らせできませんが、あえて
『空中に飛び上がる大技か !?!?』
とだけ伝えておきましょう。
とにかく、地球先輩が B-BOY として真のヒーローとなるためには、まだまだ大きな壁が待っているようです。
辰院中学校 新聞部
文・葉留亜美
写真・大賀麗
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「この、写真・大賀麗っちゅうのがうちの娘や。」
と、大賀社長が嬉しそうにいった。社長は、自分の娘が新聞部で頑張っていることを、誰かに自慢したかったのだ。保護者として学校のメールマガジンに登録していて、今しがたこのニュースが自分のiPadに送信されてきたのである。最初は見出しと写真だけが速報として送られた。しばらくして、記事が追加された。そこに自分の娘の名前があったので、誰かに見せたくてしようがないところへ、ベンチに一人でいた巌侍を見つけ、早速見せびらかしに来たわけである。
一通り記事を読んだ厳侍は何かが気になるようで、画面を拡大して地球の瞳をじっくりと見た。誰かの顔が映り込んでいるような…。右手であごひげをさすりながら、しばし考え込んだ。
社長は、思っていた以上に厳侍がニュースに食いついたので、嬉しかった。
「どや、この写真ええやろ? ケガした学園のヒーロー、迫真の表情や。うちの娘、ピューリッツァー賞とれるんちゃうか?」
と、写真を褒める時のおきまりのジョークを飛ばした。普通の社員なら、社長におべっかを使って、「素晴らしい写真ですね、娘さんは才能に溢れていますね!」などというのだろうが、厳侍はぐっと考え込んだままだった。やがて何か確信したように小さく頷くと、こういった。
「この中学生のこと、社長は知ってるんですか?」
「オレは直接知らんけど…。」
と、大賀社長は答えた。厳侍のネットニュースへの反応が期待した感じと違がったので、少しあっけにとられた。
巌侍は続けて聞いた。
「こいつと会えませんかね?」
「さぁ、娘に聞いてみんと。」
「じゃぁ、娘さんに頼んでください…この中学生とオレが会えるように。」
「おう…わかった。娘にいうてみる。」
大賀社長は、巌侍の気迫に押されるように返事をした。
次の日の朝、市内の中学校…。校門を見ると、辰吉学院中学校とある。通称『辰院中』、あの二人の新聞部員や、地球が通う中学校である。
体育館からは、朝練のバスケ部がボールをつく音が、ダンダンと響いている。校舎の入り口には、下駄箱が学年ごとに並んでおり、登校する生徒たちが次々と靴を履き替えて、教室へと向かっていく。亜美と麗が誰かを探すように、柱の陰に隠れて3年生の下駄箱の方に目を向けている。麗はiPadを抱えている。常にこのiPadを抱え、写真を撮ったり文章を書いたりするのが、新聞部である麗の習慣となっているのだ。
「あんな写真載っけたから、絶対怒ってはるって…。」
麗、おどおどした感じで、つぶやいた。亜美は相変わらず、お気楽な感じで麗の言葉を受け流している。
「ええやん、べつに。大丈夫やって。昨日かって自分で歩いて帰らはったやん。大したケガとちゃうわ。ほんまの大ケガやったら、学校のニュースとかにできひんし!」
「それもそうやけど…」
麗は心配顔で口をとんがらせた。麗にしてみれば、地球先輩の血を見て自分が卒倒するかと思うほどだったが、亜美にしてみれば軽いケガ、ちょいと校内新聞のネタにしても笑って許してもらえる、くらいの感覚らしい。
「あ、来た!」
と、亜美が三年生の下駄箱の方を指差した。麗もその方向に顔を向けた。地球が歩いてくるのが見える。地球の顔には派手に絆創膏が貼ってある。絆創膏の端から、蒼く腫れ上がった頬が見える。上履きに履き替えた地球が、麗たちのいる柱の方へ迫ってきたが、柱の陰にいた女子二人には気付かず、廊下の方に歩いて行った。
「ちょっと、行ってしもたやんかッ!」
亜美が麗を小突いた。
「だって…」
「あんたの知り合いに頼まれたんやろ? 地球先輩に会いたいって…」
「でも…私その社員さんのことよう知らんし…パパに頼まれたから仕方なく…。」
「とにかく追いかけよ!」
亜美に引っ張られるようにして、麗も地球の行く先を追いかけた。
泥棒のように柱や物陰に隠れながら、地球をコソコソと付け回す女子二人。地球が廊下の角を曲がった瞬間、亜美と麗は見失わないように一気に歩を進めて、勢いよく角を曲がった。曲がった直後の水道で水を飲んでいた地球が、突進してきた女子二人に気づいて振り向いた。
「あ!」
曲がったすぐそこに地球がいたので、思わず驚いて声をあげた麗。いきなり、「あ!」と言われ、地球も少し驚いて、
「なに?」
といった。
「すみません、ちょっと麗から話がありまして!」
と、いった亜美は、麗に早く話せと、肘でついてけしかけた。
「あの〜、え〜と、その〜…」
麗はドギマギした様子で、なかなかいい出せない。
もともと人見知りで、スラスラペチャクチャ喋れないタイプである。しかも、目の前にいる地球の昨日の惨状を目撃しながら、助けもせずに写真を撮ってネットニュースにしてしまったのである。そもそもそれは隣にいる亜美の指示ではあったが、責任は自分にもある。そのことを地球先輩が怒っていないか、麗は気になって気になって、昨晩もあまり寝られなかったほどである。
一方の亜美は、昨日のことは昨日のことで、今日は今日と完全に割り切っているというか、一晩寝たら寝る前のことを忘れるというか、べつだん悪びれもせず、逆に弱り切って困っている麗をなんとか助けたいという意気込みである。父親から、鍬井巌侍と米田地球を会わせる段取りを頼まれ、一人ではどうにもする勇気が出ない麗から相談を受けた親友の亜美は即断で、「じゃぁ明日の朝一番で、登校時の地球先輩を捕まえて話そう。」と、いうことになったのである。
「あんた、告白するわけちゃうんやから、サッサと用件いい!。」
亜美は麗に叱るようにいった。どう見ても、奥手の女の子が親友に背中を押されて、好きな男子に告白するかのような図であったが、どうやらそれは違うということがわかり、地球もふっと軽く息を吐いて改めて二人を見た。麗は、一つ頷いて深呼吸したあと、オドオドと小さい声で喋り出した。
「あの〜、私の…父の…工場の…社員さんが…地球先輩と会いたいそうです。」
「え? 誰?」
地球は聞き返した。麗、iPadをトントンと叩き、とある写真を画面に出した。工場作業着の姿で、大賀社長と巌侍が自撮り風に写っている。昨日の会話の後、社長が娘の麗に送るために撮った写真のようだ。麗は、画面を触って巌侍の部分を拡大して表示し、地球に見せた。
「昔ブレイクダンサーやった、鍬井巌侍さんていう人らしいです…。」
地球は差し出されたiPadを手にとって、その写真をじっくりと見た。
「巌侍さんか。時々バトルのジャッジやってはる人やな…。直接喋ったことはないけど、知らん人やない。」
と、地球はiPadを麗に返した。
「この人が、昨日のネットニュースを見て、地球先輩に会いたがっているそうです。」
麗は、モジモジと地球の表情をうかがいながら喋った。
「わかった。いつもの場所で毎日練習してるし、今日も学校終わったら行くから、そう伝えといて。」
と、地球は答えた。
「はい…わかりました。あと、それと…、昨日のネットニュースのこと、怒っていませんか?」
麗はますますオドオドした声で、寝られないほど気になっていたことを地球に聞いた。地球は、麗の方に少し顔を寄せて、
「オレ、ネットとか見いひんし、べつに怒ってへんよ。同級生からはだいぶ冷やかしのメールが来たけどな!。」
といって、ニッと笑顔を見せた。絆創膏が痛々しい、笑顔も無理やりっぽく引きつってはいる。が、何か責任を感じている様子の麗を気遣ってか、優しく笑顔を見せた。
自分たちの作ったデジタル新聞を、嘘か本当かはともかく地球先輩が見ていないということは、制作者として若干寂しくもあったが、同級生から冷やかされたということは、だいたいの内容を地球先輩は知っているということである。兎にも角にも、その地球先輩が気にしていないといってくれたので、麗は心底ホッとした顔になった。
そんな麗を見て、亜美も「良かったね」という表情で麗の背中をポンポンと叩いた。そもそもの事の発端が自分にあることはすっかり忘れて、親友の麗が安堵したことを素直に喜ぶところが、また亜美のいいところでもある。
同じ日の午後、複合商業施設、通称PDOGの吹き抜け広場の中央…。
鍬井巌侍が、アルミ製の松葉杖を左手に突いて立っている。巌侍は、何か思い出を手繰るかように、ぼうっとした表情でどこを見るでもなく、広場を眺めている。ふと、ゆっくりと目をつむり、右手を軽く握って前に差し出した。その拳に、トンとグータッチをする何者か…。グータッチとは、ブレイクダンサーが挨拶がわりによくする、互いの拳と拳を付き合わせる仕草のことである。握手よりもシンプルだが、戦友であるかのような意味も込める挨拶なのである。巌侍がグータッチした相手は、菅井王華であった。巌侍は、目をつむったまま、ぼそりとこういった。
「久しぶりやな…。」
「おう。」
王華もぼそりと答えた。
「いつ帰って来た?」
巌侍はようやく目を開いて、王華の方を見た。
「ずっとウロウロは、しとってん…。」
と、王華は答えた。そしてぐるりとPDOGを見渡し、こういった。
「この辺も変わったな…。」
「2年も経てば、少しは変わるわな…。それより、昨日ここに来たんやろう…?」
と、巌侍が王華に聞いた。王華は、ただニヤリと笑った。
ふと巌侍は、広場の入り口からこちらに向かう少年を見つけた。そして「来たで。」と小さくいって、アゴで少年を指した。険しげな表情で地球が歩いてくる。顔は絆創膏だらけだが、足取りはしっかりしていた。今朝の麗と亜美とのやり取りから、この広場に鍬井巌侍がいることは想像できた。しかし、昨日練習場所を取り合って喧嘩になり、ボコボコにされた暴力野郎も一緒に並んで立っているではないか。地球は眉間にしわを寄せ、唸る猟犬のような表情で、二人の前に立った。
「米田地球か?」
と巌侍が地球に聞いた。巌侍にとって、昨日ネットで見せられた写真の少年、顔は知っていても初対面である。地球は地球で、ダンスバトルのジャッジで巌侍を見かけたことはあっても、対面して喋るのは初めてである。とりあえず敬語で、「はい。」と、答えた。
「おれは鍬井巌侍、今はこの通りやが、元 B-BOY や。」
と、アゴで左手に抱えた松葉杖を指した。左ひざには、頑丈そうな鉄製のサポーターが巻かれている。しかしそれよりも、王華のことが気になる地球。それを察して、巌侍が地球に聞いた。
「菅井王華のことは知ってるか?」
と、アゴで王華を指す巌侍。
「昨日、おれを殴った奴やッ!」
と、地球は王華を睨み付けながらいった。今にも噛みつきそうな表情の地球に対し、王華はこう答えた。
「殴ってへん。自分ですっ転んだんやろが!」
散々人を殴っておいて、自分で転んだといい放った王華に対し、地球は完全にブチ切れてしまった。昨日ボコボコにされたのに、今日会えばまた牙を剥く、なかなかいい根性ではあるが、無謀とも言える。いや、ただ単にカッとなると見境がつかなくなるタイプなのか。「なんやと!」と言った瞬間、地球は王華に掴みかかった。とっさに巌侍が間に入って制した。
そんな広場中央のやりとりの向こうに、またコソコソと柱の間を移動しつつ、覗き見するように様子を伺う麗。後ろから嫌々感丸出しに、亜美がついてくる。
「亜美、ダラダラすんな!」
と、麗が亜美を睨んだ。
「今日、映画行きたかったのに〜…」
と、亜美は両手を頭に乗せて、お手上げ状態でブラブラと麗に従った。
麗にしてみれば、自分を介して地球先輩と鍬井巌侍が会うとなると、何はともあれ成り行きが気になって、気になって、学校の授業など上の空。昨日もよく眠れなかったこともあり、午後の授業は、真面目でがり勉タイプの麗にしては珍しく、うたた寝、先生に怒られてしまった。それを見てクスクス笑っていた亜美…。は、さておき、放課後さっそく麗は亜美を捕まえて、「PDOGに行こう」といった。亜美はもう大してその後の成り行きに興味はなかったが、無理やり麗に引っ張られて来てしまったのだ。
麗は柱の陰からマジマジと広場の中央を覗き見ている。亜美もチラリとその方向を見ると、何やら地球が、男同士でもみ合っていることが分かり、急に嬉しそうに表情を変えた。
「なんかヤバそうなかんじヤン!。またオモろいニュースになるかも!」
と、ニヤニヤ、興味津々の顔になって、亜美は麗に沿って柱の陰に隠れた。亜美は好奇心が行動のタネ。麗は心配が行動のタネだった。
再び広場の中央、王華に掴みかかった地球を、巌侍が必死に食い止めている。片手が松葉杖に取られているとはいえ、そこは大人の腕力である。地球を王華から引き剥がし、こういった。
「やめとけ、やめとけ、王華がこっちに帰って来るんは、久しぶりやから知らんやろうけど、お互い B-BOY 同士や。オレが間に入るし仲直りせえッ!」
昨日、練習場所を取り合って喧嘩した相手である。ダンスは見ていないが、王華がブレイクダンサーであることは、察しがついていた。しかし改めて B-BOY という言葉が巌侍から出たことで、地球は少し気を鎮めた。
ブレイクダンスをする男子のことを B-BOY というが、そこには B-BOY 同士のリスペクト(尊敬)の念や、仲間意識の思いも込められる。他のダンスとは一線を画すのだという、尊厳と誇りを持って、自分たちを B-BOY と呼ぶのだ。
巌侍は足を引きずっているとはいえ、ブレイクダンスバトルのジャッジをするほどだから、かつては名の売れた B-BOY だったのだろう。地球からしてみれば B-BOY の大先輩である。だから否応なく、巌侍の言葉に従った地球なのであった。
「お互いグータッチでハグして、仲直りや。こうやるんや!」
と、巌侍はいって、王華の方を向いた。そして、王華と右手同士でパチパチと角度を変えながらタップし、最後にゴツンとグータッチして、その勢いのまま右胸同士を当てて、背中を叩き合ってハグをした。
ストリートダンサー特有の、特に B-BOY が好むこのタップからのハグ。タップの方法は無限にあり、特定の相手と特定のタップをする場合や、単にハイタッチからのグータッチなどシンプルなものもある。いずれにせよ、気が合っていないと、うまく出来ない挨拶なのだ。逆にいうとこのタッチ・アンド・ハグが上手くいけば、この上ない連帯感が生まれる。
「さぁ!」
と、巌侍が二人に促した。
地球は、今しがた見たように、王華と右手でタップをしようとしたが、どうも呼吸が合わず、ちぐはぐになってしまい、グータッチまでたどり着かない。お互い何度かやり直すうちに、地球はイライラとしてきた。なぜこんな嫌な奴と、無理やり仲直りしなければならないのだ。こんな奴とハグするくらいなら、恨み合ったままの方がマシだとさえ思えてきた、その瞬間だった。イライラの熱が沸騰したのは王華が先だった。バチンと大人気なく地球の右手を叩きはらうと、両手でドンッと胸を突き放した。
「そもそも、女にチヤホヤされてチャラチャラしとる奴を、オレは B-BOY とは認めへんッ!オレ様が真の B-BOY や。お前は B-BOY ちゃうッ!」
王華はギョロリとした目で、地球を睨み付けながらそう怒鳴った。
「なんやとッ!」
B-BOY としてのリスペクトを込めて、無理やり仲直りしようとしたものの、その B-BOY を否定されては、地球の我慢も限界であった。怒り狂って「うらぁ!」と王華につかみ掛かる地球。「やめんか!」と、巌侍が体を張って止める。また振り出しに戻ってしまった…。
柱の陰で、亜美がキャッキャと喜んでいる。
「もめとる、もめとる!オモロなって来た! 麗、写真、写真!」
野次馬根性満載の亜美にとって、他人の喧嘩は激しくなれば激しくなるほど面白いのである。しかも新聞部の身としては、事件が派手なほど読者が喜ぶことも、亜美は知っている。麗は亜美にいわれるがままにiPadで写真を撮っていたが、ハッと我に返り、
「どうしよ、助けにいかんと…。」
と例の心配顔でいった。亜美はそれを制し、
「待って!スクープや! タイトルはこう!
『地球先輩、ヤバそうな相手と、つかみ合いの大モメ! 』
どやッ!」
と、ドヤ顔でいった。自分の見出しタイトルに、相当自信があるようだ。
どや、といわれても、麗は昨日の今日であるから、また、その記事を地球先輩が見るか見ないかは分からないとしても、クラスメイトに冷やかされたりすると思うと、躊躇して、タイプもできないでいた。もちろん、新聞部として読者の気を引くことは重要だし、亜美の指示通りに撮った写真や見出しが、視聴数を増やすことは分かっているけど…、と、頭の中でグルングルンと葛藤が回り始めた麗の心配顔を見て、亜美はイラっと来た。
何でもかんでも思いつきで速攻決めてしまう亜美にとって、決断の遅い麗の態度には親友とはいえイライラするのだ。ましてや自分が自信たっぷりに叫んだ見出しを、麗は一文字も打とうとしないので、亜美は即座に麗からiPadをもぎ取った。そして先ほど自分がいった通りの見出しをタンタンと打ち込み、写真を添えて淡々とした表情でこういった。
「はい、送信ッ!」
麗が、あ、あ、と制する間もなく…。『アップロード完了』の文字が画面に出た。
写真には必死の形相の地球と、それを制する巌侍が写っている。
再び B-BOY 三人。正確には、元B-BOYと、B-BOYと、B-BOYを否定された少年。つかみ合う王華と地球を何とか制する巌侍。
「わかった、わかったから!どうやら体力も血の気も有り余ってるようやな。それやったら、ケンカやなく、バトルせぇ、ダンスバトル!。」
と、巌侍が元 B-BOY らしい一言を放った。
「オモロい、やったろ! その鼻、へし折ったるわッ!」
と、B-BOY 王華がギョロ目で叫んだ。
「こっちのセリフや!オレが勝ったら、ちゃんと B-BOY として認めぇ!」
と、B-BOY を否定された少年が、ギョロ目を睨み返した。
「このオレ様に…勝てたらな!」
と、王華はますます地球を見下すようにいった。
「よぅし、ダンスバトルや!3本勝負!ジャッジはオレッ、いくでッ!」
と巌侍が睨み合う双方を見ていい放った。そして、ペットボトルを横向けに地面に置いて、グルンと勢いよく回した。クルクルと小気味好く回転したボトルは、やがて地球の方に口を向けて止まった。
これは、ダンスバトルの先攻後攻を決める一般的な方法である。口が向いた方角にいる者が先攻である。先攻が決まると、巌侍はスッとボトルを横にやり、スマホを取り出した。そしてまるでこの展開を予期していたかのように、ボリューム限界にブレイクビーツを鳴らした。
ノリが良く、リズムがわかりやすいブレイクビーツ。それもそのはず、様々な曲の、人が踊りやすいドラムビートの効いた部分をつなぎ合わせて作られたのが、ブレイクビーツで、そもそもは、このブレイクビーツが先にできたのだ。そしてそのブレイクビーツに合わせて踊る人々が、B-BOY、ブレイクダンサーと呼ばれるようになったのである。それは、遡る事、1970年代のお話…。
は、さておき、そのブレイクビーツに乗せて、先攻の地球が、自信ありげに踊り始めた。
まずはトップロック。スタン、スタンと立ったままリズミカルに両足をステップさせ、軽く額に手をやったりして、相手を威嚇する。エントリーともいわれ、本格的な技に入る前の予備動作的なステップである。ボクシングでいえば、ジャブといったところか。しかし侮るなかれ、ジャブといえども、見る人が見ればその者のスキル、ポテンシャルはある程度分かるのだ。
巌侍は初めて地球のダンスを見る。しかしトップロックの時点で、こいつがやはり只者ではないことを見抜いた。音楽に合わせた軽快なリズム。一歩一歩に鹿のようなバネがあり、移動幅も大きい。腕の振りもシャープで、体全体から運動神経の良さが伝わる。軽快でキレがある、これに尽きる。
地球はトップロックから、スッと地面に手をつき、そこから開脚旋回の大技、トーマスに入った。両手を交互について開脚した足をグルングルンと回す、体操選手が床やあん馬の演技で良くやるアレである。体操と違うのは、これらの動作が音楽にハマって、「ダンス」になっていないといけない。
ブレイクダンスは、立った状態での導入部『エントリー』、かがんだ状態で素早い足の動きを見せる『フットワーク』、主に上半身を使って回転したりアクロバティックな技を見せる『パワームーブ』、そして、一連の流れから体を固めて止める『フリーズ』、これら四つの要素を巧みに組み合わせて、一連のダンスムーブを作る。ブレイクダンスのバトルでは、決められた時間ごとにムーブを出し合い、最後にその優劣をジャッジが決めるのである。技の難易度や完成度だけではなく、かく技のつなぎや全体的な盛り上がりなど、総合した評価が求められる。
今回、巌侍が3本勝負といった。お互い3ムーブを出し合い、最終的に勝敗が決められる。特に時間の制限はないパターンで、攻めたいところまで攻め、自分の区切りのいいところで相手に時間を渡すことになる。
地球は、考えた。とにかく、勝負事は先手必勝である。
つい先日、中学生の関西チャンピオンになった時も、まず最初に大技を出して、相手をビビらすという作戦が功を奏した。
そして今回も、同じ作戦をとることにした。トップロックから、普通はフットワークに繋ぐのが通例だが、自分の一番得意なパワームーブ『トーマス』をいきなり出した。綺麗な開脚でスピーディーな旋回。上半身の筋力を大いに必要とするこのパワームーブは、中学生レベルでは、バタバタと暴れているだけの、形だけのトーマスになってしまうことが多い。細身のわりに腕力が強いと見られる地球のトーマスは、頬の絆創膏が吹き飛ぶかと思うほど激しくも、美しく旋回した。
そして得意のパワームーブの後に、少しヘッドスピンを練り込み、フリーズを決めると見せかけて、シックスステップの高速フットワークを披露。最後にビシッと半ひねりのチェアー型フリーズを決めた。この技の組み合わせ、一連の流れ、ダンスとしての表現力、その総合力が評価の一般的なポイントである。
低年齢層のブレイクダンサー、キッズや中学生のレベルはどんどん上がって来ている。そしてそれを突き抜け、関西中学チャンピオンになるだけの、地球の技術と度胸は、巌侍の想像よりも上をいっていた。厳しくも感心したような目で、地球のムーブを見守った。
が、相手は王華である。王華がどういうダンサーか、巌侍は知っている。この意地っ張り同士の戦いがどのように展開するのか、期待で胸が熱くなる感覚を、巌侍は覚えた。
ワンムーブ目を踊り終え、自信のあるダンスができたようだ。どや顔で王華を睨みつける地球。
王華は「ふんッ」と、アゴで相手をバカにすると、中央から地球を追いやり、ド真剣な顔で踊り始めた。
まずは定石通りのトップロック。が、なんだろう、縦にくる圧力が凄い、出入りのあるトップロック。ジャブはジャブでも重みのあるジャブ。様子を見るためのジャブではなく、あわよくばジャブで倒してやろうという、気迫と重みのあるジャブ、それが王華のトップロックであった。
小柄だがプロレスラーのような体格も相まり、体は触れていないのに、ガツン、ガツンと突き押されているような感覚を、地球は覚えた。地球のトップロックが軽快でキレがあるのなら、王華のそれは豪快で圧力があった。
王華は、トップロックから一気に背中で回転するウィンドミル、そして一瞬でヘッドスピンの形に持っていき、超高速で回転し始めた。頭頂の一点で体を支え、開いた両手と腰のひねりで勢いをつけ、ぐんぐんと回転力が増す。ブンッブンッと風を切る音が実際に聞こえ、風圧で近くにある埃などは飛んでいってしまう。まさに竜巻の発生源のような、ミキサーの刃のように、触れたものは粉々に切ってしまうというか、とにかく危険な回転力であった。
巌侍は2年ぶりに王華のムーブを見て、全身の毛が逆立ち、身震いする思いだった。触れたものを抹殺するほどの勢いを持つ、ブレイクダンスである。王華のダンスを、ベトナム戦争映画に出て来る戦闘ヘリコプターに例えるなら、地球のダンスはどんなに美しくても、所詮、竹とんぼである。
自信満々で王華にチェンジした地球であったが、そのムーブに圧倒され、頭の中が混乱していた。
やがて王華のフリーズが決まり、地球の第2ムーブの番が来た。先ほど自分の最も得意な技、トーマスは出してしまった。もちろん、その得意技を軸に、第2、第3ムーブと、異なるコンビネーションで相手を圧倒するつもりだった。が、己の主砲の上を行く大砲を出されてしまったので、もう地球がトーマス出しても、なんの効き目もない。
頭が混乱するまま、とりあえず、トップロック、からの、とりあえずフットワーク…、の、とりあえずがいけなかった。基本中の基本の技であるが、それだけにリズムを外すと手足が絡まってただ地べたでバタバタする人、になってしまう。同じフットワークを最初からやり直す羽目になった。技に失敗してやり直す、これほど不恰好なことはない。動揺した地球は、そのあとのパワームーブも中途半端、フリーズはバランスが保てず止まり切らなかった。
柱の陰から、女子二人。地球のダンスを見ている。
「地球がおどる、地球が回る。よく目がまわりませんね〜」
そんな、茶化したような亜美の言葉は無視して、麗は心配そうな顔でいった。
「地球先輩、なんかキレがない…。」
「やばそうな大人に睨まれて、ビビってるんちゃう?」
と、面白がっている亜美を、麗が口をとんがらせてにらんだ。二人で肩入れしているはずの地球先輩を、茶化し始めた亜美に、少しイラっときたのだ。
亜美は亜美で、麗が昨日から地球先輩のことで悩みまくり、心配するあまり、次第に心惹かれていっている感を薄々感じたので、そういうのを見るともう、茶化したくて茶化したくて、しようがなくなる性格なのだ。
ガクッと調子を崩した地球に対し、王華の攻撃ヘリのようなアタックは続き、第2ムーブも終了した。
いよいよ最終第3ムーブである。
地球はとにかく、このままでは勝てないと感じていたが、このままあっさり負けるのも絶対に嫌だと思っていた。これまで練習で成功したことはないが、研究中の大技を、一か八か出すことにした。片手倒立からの回転技である。失敗すれば顔面から地面に叩きつけられる、危険な技である…。
地球にはもう、音楽は聞こえていない。ダンスにもなっていない。ただ目の前のにっくき B-BOY に、大技で一矢を報いてやろうという特攻精神だけが残っていた。
南無三ッ!で技に入った地球。次の瞬間、片手倒立からの回転不足で転倒、受け身も取れず顔面から地面に落ちた。グシャッという音とともに、そのまま倒れ込んだ地球。思わず巌侍が駆け寄り、地球を抱きかかえた。地球の鼻から、ドッと鼻血が吹き出した。
「おい、相手、中学生やぞッ。ちょっとは手加減したれや!」
巌侍が、王華に向いて怒鳴った。
「ダンスバトルに大人も子どももあるかッ! 真剣勝負あるのみッ!」
王華は厳しくいい放った。
柱の女子二人。
「うあぁ、また血まみれや!『地球先輩、鼻をへし折られ、大量出血!』」
と、亜美。麗は、いちいち亜美の見出しぐせに付き合っていられないという感じで、地球たちの方を見たまま、
「何か話してはる…、よう聞こえんな〜、何話してはんのやろ…」
と、つぶやいた。
「日々己を鍛えて、勝っておごらず、負けて腐らず、それがブレイクダンサー、B-BOY ってもんやッ。お前にはその気概も精神力もない。お前みたいな奴が B-BOY を語ったら、ストリートダンスがチャラいと思われるわッ!」
仁王立ちの王華が見下ろすように、地球に向かってまくし立てた。地球は、巌侍に介抱されながら悔しそうに唇を噛んでいたが、やがて目を剥いて怒鳴り出した。
「一ヶ月後にもう一回勝負させろッ!一ヶ月でお前を抜いてやるッ!」
地球にとって、間も無く始まる夏休みが一ヶ月あった。その間、死に物狂いで鍛えれば…そんな思いからとっさに出た言葉だった。いや、今失敗した技が全てうまくいったとて、王華に勝てる自信はない。ただ、ここで負けを認めたら、自分は一生 B-BOY と名乗れないかもしれない。鼻は折れても、心までは折れていない。そんな意地から出た一言だった。
フン、という顔をする王華。巌侍がすぐさま言葉を挟んだ。
「よっしゃ分かった。一ヶ月後にもう一回バトルさせたる。それでええなッ!」
「おうッ!」
と、地球は口から血を吹き飛ばすようにいった。
「今の百倍練習してこいッ! せやないと一生オレには追いつけんぞ!」
王華の怒号が飛んだ。
「千倍やったるわッ!」
地球は、王華のギョロ目の、その奥を睨みつけるようにいい返した。
3rd バトルへ つづく…




