魔女のビジネス
物心ついたばかりの頃の記憶だと思う。
私は、大叔母の家を訪ねていた。もう辺りも暗くなってきたころ、昼寝から覚めた私の周りには誰もいなくて、不安になって誰かいないか家じゅう探し回っていた時のことだ。
大叔母の屋敷は広く、たまに私以外のお客さんもいるようだった。その日も、私を泊めてくれる部屋よりずっと奥の方の部屋に誰かいたようだったので、その人のところに大叔母がいると思った。
そこは、小さい部屋だった。実際はそこそこ広い部屋の筈だったが、壁に沿うように取り付けられた分厚い本棚(今思えば書架だろうか)に本がぎっしり詰まっていて、床にも所狭しと厚みのある本が積まれていたため、狭く見えたのだ。
私は部屋には入らず、顔だけ中にのぞかせていた。なぜなら、部屋は無人ではなかったから。
一人の男の子が、自分の顔の大きさより三倍はあろうかという革の本を抱えて立っていた。彼は暖炉の近くに座り込むと、本を開いて読み始めた。遠くから見ても整った顔立ちをしていて、でもそれは、人形のように固まった美しさだった。
彼は凄まじいスピードでページをめくっていく。本当に読んでいるのか疑ってしまうほどだった。
ある一ページにたどり着いたとき、男の子は口の中で何かを呟いた。
本の上に手を置き、すう、と息を吸うと、ふうっ……と紙の上の文字に向かって息を吹いた。
そして、目を疑うようなことが起こった。
それは私が生まれて初めて見た魔法だということに、そのあと、気づいたのだ。
どうしても物申したくて、というか黙っていられなくて、思わず立ち上がってしまった。
「お客様は魔法をご所望なのでしょう!? どうして科学班の案件になっちゃうんですか!」
困った顔のパパ。溜息をつく面々。そして、
「やめましょうよう、せんぱあいぃ」
あたしの服の裾を引っ張っぱり涙目で抗議する後輩。彼女はまだ入社一年目だから、ここで声を上げないとずるずる飲み込まれていくことを知らないのだ。
「いやあ、あのね、エリカ、じゃない小田くん。そうじゃないんだよ」
禿げ上がった自分の頭を優しくさすり、パパはあたしに着席を促した。
「確かにクライアントは魔法をご所望だ。でも、魔法班には他の案件を任せてしまっているし、この仕事は本当に時間がなくてだね」
「他の仕事ったって、老人ホームか幼稚園でしょ!!」
「そんなことないよう」
「……どこ?」
「デイサービスセンター」
思わずどっと座り込む。結局ぼけたじーさんばーさん相手じゃない。
株式会社「びっくり箱」。できたてほやほやの、サプライズ専門の会社である。
主な依頼は、誕生日に友人を驚かせたいだとか、両親の結婚記念日を祝ってあげたいだとかいうもの。あたしたちはクライアントを満足させられるように、きらびやかな魔法や最新の技術で華やかなパフォーマンスをするのがお仕事。ちなみに社長はあたしのパパ。
でも、あたしはこの会社のやり方が不満だった。
「あーもーしんっじらんない!!」
だあん、と空のコップを机にたたきつける。食堂にはもうあんまり人がいないから大丈夫だろう。
「先輩……また科学班の人に喧嘩売ったらしいですね」
会議であたしを止めようとしていた後輩は胃が痛いとかで早退した。今目の前でカレーを食ってるのは別の後輩で、実はこっちが本来のあたしの相棒。つっても魔法班はあたしとこの子と胃が痛い子の三人しかいないんだけど。
「しょうがないでしょ! 依頼は『孫の誕生日に素敵な魔法を見せてやってほしい』なのよ!?」
なのに、あの社長は汗をふきふき、
「『魔法班は忙しいから、科学にこの案件を回そうとおもう』だって! 科学に何ができるってのよ!」
忙しいっていったって、幼稚園児や老人に簡単な魔法を見せるだけ。サプライズ専門を謳っているくせに、魔法班に回って来た仕事は今のところそれだけ。
「頭くるわあー。あの顔見た!? 化学班のあの男の、すました顔!」
「……」
「銀縁の眼鏡なんかしちゃって!似合ってねえっつうの」
「……あ」
「大体科学者に人の心の何が分かるのよ。冷たい機械いじってばっかりのオタクがさ」
「先輩」
「科学じゃ温かみのあるサプライズなんてできないわよ! 失敗すればいいんだわ」
「先輩」
「なによ」
後輩に後ろを指さされて、ようやく、背後から冷気が漂ってきていることに気が付いた。
「……随分な言いようですね。成功率は大して高くない、営業も碌にできない魔女さん?」
細い銀のフレームの、眼鏡。私の真っ黒い魔女服とは対比的な、科学者らしい白衣。
「東城登場……」
「何か言いましたか」
この嫌味たらしい話し方、全身から漂う冷血感、ああもう、むかつく。
実はこの男こそ、「びっくり箱」で一番稼ぎがある男。科学班班長の、東城である。
「科学班に仕事を取られたくないのなら、ご自身の魔法成功率を上げたらどうです」
「うっさい。魔法は科学みたいに電気が必要だったり、燃料が必要だったりしないもん」
「魔法班が幼稚園と老人ホームに回されるのは、そこなら失敗しても笑ってごまかせられるからでしょう」
事実を突きつけられて、思わずぐう、と唸る。
確かに、魔法は百パーセントではない。詠唱をちょっとでも間違えれば、魔法は発動しない。
そしてあたしたち魔法班は、とにかくその失敗が多かった。だから実践経験を積むという意味合いも込めて、こうしてボランティア団体みたいなことをしているのだ。
でも、今回は、魔法班に直々の指名が入った。なんとしても、魔法班に担当させてほしかった。
「なによ……この……冷血漢!」
「熱血バカよりはましです」
「どうせ魔法をちゃんと見たことないくせに!」
そう言ったとき、どういうわけか東城がほんの少し表情を変えた。でもすぐにまた無表情に戻って、凍ったナイフみたいな言葉を投げつけてきた。
「あなたのその、幼稚園児の手品みたいな魔法は何度か拝見しましたよ」
「て、手品あ!?」
完全に頭にきた。
「今度の依頼、絶対あたしたちの魔法で成功させてやる!」
「……佐々木様のサプライズ依頼は私たち科学班の担当になったはずですが」
「こうなったら、背に腹は変えられないでしょ」
「社長も科学班にとおっしゃっていたではないですか……あ、」
ふふふふふふ……、と暗く笑うと、さすがの東城も感づいたらしい。
「まさか、あなた……」
「ええ。ママにお願いしてやるんだから」
あたしのパパは会社の社長、
ママはこの会社の、会長なのだ。
佐々木さんのお家は、ママの実家を思わせるほど大きなお屋敷だった。出迎えてくれた佐々木恵美子さんは人の好さそうなおばあちゃんで、三人しかいないあたしたちを優しく案内してくれた。
「今日はよろしくね、かわいい魔女さん」
「かわいくても、仕事は一流ですから! 安心してください」
そういいつつ、あたしは内心びくびくしていた。なんせ、本当のサプライズを担当するのは初めてだったから。
「佐々木さんは魔法についてどのくらい知ってらっしゃるんですか?」
あたしが尋ねると、佐々木さんは少女のようにはにかんで照れくさそうに笑った。
「実は……一時期、魔女を目指したことがあるの」
ええ、と後輩二人が声を上げる。
「でも、魔女検査では全くの適性なし。結局、普通にOLやってたわ」
魔法使いになるには適正検査を受けて、学校に通わないといけない。現在の日本で魔法使いの人口は左利きの人と同じくらいだって聞いたことがある。
「やってほしい魔法は前お話した通りなんですけど……お聞きになったかしら?」
彼女の依頼は、本が好きな孫を喜ばせたいから、本を使った魔法を使ってほしいとのことだった。そしてあたしはそれを徹夜で考えてきていた。
「はい。今回わたくしたちが行いますのは、本の内容が宙に浮かび上がる魔法です」
紙の上に描かれたイラストや文章を現実に投影するという魔法は、結構難しい。ここに来るまでに何度かチャレンジしたけど、成功率は五十パーセントを上回らなかった。
あたしは焦る心の中を悟られないようににっこりと笑いながら話をつづけた。
「お孫さんがこの部屋で本を読んでいると、どこからか声がします。声のする方を探すと、本が出てきて、それを手に取って、広げると、空中に文字が蝶のように舞うというものです」
「……すてきね」
まるでその光景が見えるかのように、頬に手を当ててうっとりする佐々木さん。
「さっそくですが、リハーサルを行いたいと思います。お孫さんがいらっしゃるのは、いつ頃ですか?」
「そうねえ。午後の三時ごろかしら」
今は午前十時だから、まだ時間は十分にある。
「じゃあ、それまでに支度を整えますね」
あたしたちは準備にとりかかった。
これはどういう状況だろう。
壁にかけられた時計の針は、あと一時間でお孫さんが来る時間を告げている。その真下で、佐々木さんが困ったような、残念そうな目でこちらを見ている。
「すみませんでした……こちらの、確認不足でした」
「じゃあ、魔法は……」
「……すみません」
うずくまるあたしの目の前で、あたしの代わりに頭を下げる後輩。もう一人は本社に電話をかけている。
魔法は、とうとう一度も成功しなかった。紙の上の文字はピクリともしないか、浮き上がってもばらばらと落ちてしまった。
「まって、最後に、もう一度だけ……」
「無理ですよ先輩。諦めましょう」
電話をかけていた後輩があたしの肩をつかむ。あたしはそれを振り払って、本に向きなおろうとする。
「どいて、邪魔しないで」
「魔女さん、もういいのよ」
本に手をかざしたあたしに、佐々木さんがやっぱり優しく声をかけてくれた。
「わたしの自己満足なの。むかし、とっても素敵な魔女さんに助けてもらって、そのとき、魔法ってなんて綺麗なんだろうって思ったの。孫にもみせてあげたいっていうのは、実はただの名目で、本当はわたしがもう一度見たいだけなの。どうしても魔法じゃなきゃ、っていうわけではないのよ」
あたしは知らないうちに涙を流していた。悔しくて、情けなくて、涙が止まらない。
「でもっ」
……顔を上げたとたん、涙が止まった。代わりに頭の中が真っ白になる。
「……と、」
「なんですか、幽霊でも見たような顔をして」
銀縁眼鏡、しわ一つない白衣。
「初めまして、株式会社びっくり箱の東城と申します」
今一番見たくない顔が、きょとんとする佐々木さんに名刺を渡した。
「あなたのサプライズ、必ず成功させてみせます」
そして、部屋の中に大きな機械が次々と運び込まれていった。
午後三時。玄関のベルがじりり、と鳴った。緊張なんて微塵も感じさせず、佐々木さんがお孫さんに声をかける。
「いらっしゃい、ケイちゃん」
「ご無沙汰しております、おばさま」
礼儀正しく礼をする男の子。いやに大人びていて、とても小学生には見えない。それに、せっかくおばあさんに出迎えられたのに、にこりともしない。
「随分怖いこどもですねえ」
モニタールームで画面をのぞき込んでいる後輩の声がイヤホンから聞こえた。あたしの方はというと、サプライズの舞台ともなる、本だらけの部屋で透明になれる魔法を使って化学班の機械もろとも隠れていた。
東城はあたしに向かって、一番成功率の高い魔法は何かを聞いた。あたしは、物を透明にして隠す魔法だと答えた。魔女が一番最初に習う魔法だから。
そうしたら、ここで機械と一緒に透明になっていろと言われたのだ。
透明になるのも楽じゃない。部屋の隅に設置されたカメラごしに、こちらを覗っているであろう東城をにらむ。あたしをここに置いて、何をみせようというんだ。
お孫さんはいつも、玄関からまっすぐこの部屋へ来るらしい。そしてここで本を読んで、しばらくして帰っていく。その間、佐々木さんはキッチンでおやつをつくるらしい。
「あっ、来ましたよ先輩!」
「くれぐれも魔法を解かないでくださいよ」
東城のすました声がして、あたしはますます不機嫌になった。
あたしがしようとした魔法の内容は一応パパが東城に伝えたらしいけど、あんなこと、科学でどうにかできるわけがない。
そしてとうとうその時がきた。
「じゃあ、おばあちゃん、キッチンにいるからね。何かあったら、声をかけて」
「はい」
あたしの胸あたりくらしかない背の子供が入って来た。そして、さっそく本を物色し始める。
そして、机の上の開かれた本に気が付いた。いぶかしげに近寄り、そのページを覗き込む。しばらくそのまま文字を追っていた。その時。
「うわっ!」
お孫さんはこの屋敷に来て一番大きな声をだして、本から飛びずさった。あたしも思わず驚いて、本のページを見た。
「……ええ?」
お孫さんが驚いている理由が分かった。
「……動いてる、」
紙の上の文字がぶるぶると震え始め、急に紙の上から飛び上がった。文字は壁や天井を移動し始め、少年の肌の上を踊った。すぐに部屋の中が文字でいっぱいになり、それはまるで、魔法のようだった。
「凄い……」
あたしも彼と同じ意見だった。これは、すごい。
イヤホンの向こうから後輩の歓声が聞こえ、すぐに会話が始まった。
「どうやっているんですか、これ!」
興奮気味の後輩に、東城は聞いたこともないくらい優しい声で説明した。
「プロジェクションマッピングですよ」
あたしが隠した機械から出た光が、何も書いていない紙の上に文字を写し、その映像が壁や天井を動いているように見えるのだそうだ。
それを必死で目で追うお孫さんの顔は、少しずつほころんでいった。最初はあんなに、怖い顔してたのに。
文字は少しずつかたまり、やがて一つの文になった。
『ケイちゃん、お誕生日おめでとう』
佐々木さんにケイちゃんと呼ばれた少年は息を呑んでそれを見つめ、はっとしたように「おばさま!」と叫び部屋を飛び出していった。きっと、キッチンに行けば、すばらしくうつくしい誕生日ケーキがまっているだろう。
イヤホンから東城の声がした。あたしに話しているとは思えないくらい柔らかい声で、思わずまだ涙がでそうだった。
「完璧でした、小田さん。お疲れ様です、もう解いていいですよ」
やめてよ、優しくしないでよ。
「あなたの魔法がなければうまくいきませんでした。プロジェクションマッピングの投影機はとてもサイズがでかいんです。こんなに部屋が狭いとはおもわなかったから、助かりました」
あたしはそれになにも返さず、部屋を出てイヤホンを外した。
「小田さん。他の魔法班の人、帰りましたよ」
佐々木さんにはまた明日会って、片付けとか、値段交渉とかをすることになっている。
「……そうですか」
あたしは佐々木さんの家の庭の隅で、一人で、膝を抱えて蹲っていた。
今は一人でいたいのに、隣に東城が座り込んだことは、だから、嫌がらせでしかない。
「……私の話をしてもいいでしょうか」
「好きにしてください」
「……実は私は、一時期魔法使いを目指していました」
驚いて声がでなかった。あの東城が? 機械オタクで、お湯の温度が一定になると勝手にカップラーメンを作ってくれる機械を発明した東城が?
「昔、大叔母の家で魔法を見たことがあるんです。奇しくも、今日私が見せたような、本の文字が浮かび上がるような魔法です。それはとても美しく、私は魔法に夢中になった」
でも、今東城が着ているのは魔法使いの黒い服じゃない。彼は、白衣を着ている。
「お分かりの通り、適性はゼロ。私は魔法使いにはなれなかった」
「……そうなの」
「しかし、私は諦めませんでした。なんとかして、魔法使いでなくても、魔法のようなことができるようにしたいと思ったのです」
今日見た東城のサプライズは、美しくて、綺麗で、まるで魔法のようだった。
「私は今でも、魔法に憧れているんです。魔法班の成功率の低さを悔しく思っているのは、あなただけではないのですよ」
東城は立ち上がり、白衣の裾を軽く払った。
そして今まで見たことのないくらい優しい笑顔で、あたしに言った。
「一度きりのサプライズは成功率が命です。今日のように、魔法班と科学班が助け合えば、もっと多くの人を驚かせられるはずです。……私は、魔法の力を信じている人間の一人なんですから」




