お題【バスタブの染み】
「ちょっと。誰よ、雨女」
「私は違うわよ」
「私だって」
なすりつけ合いからの、雑談。
雨の話、それからまた雑談、そして最近の愚痴。
ペンションに着いた直後から凄まじい雨だったけれど、三人でとりとめもなくしゃべり続けていたら、それはそれで楽しい時間を過ごせた。
翌日も一日、雨。
今回の企画者であるエミが乗馬体験とか予約してたみたいだけど、予定は全部キャンセルして、地元の人が使う商店で色々買ってペンションでダラダラ飲み。
まあ、二日くらいじゃおしゃべりのネタは尽きないんだよね。
「あ、飲み物切れた」
「外はまだ暗くなってないし、買ってくる?」
「誰が運転するの? 三人ともアルコール入ってるでしょ」
「少し歩くけれど、ちょっと行ったとこにあったテニスコート、自販機あったよね」
「アルコールはなかったと思うけど」
「ね、見て、雨あがってる! お散歩兼ねて自販機まで行こうよ!」
ペンションが数軒ポツポツと並んでいる小道は緩やかな坂になっている。
ここを上に向かえば駅につながる国道、下に向かえばテニスコート。
ちなみに駅へは国道に出てから車で15分はかかる。
「わー! 高原って感じする!」
雨上がりのニオイが、都心とはまるで違う。この爽やかさたるや!
「ね、見て、アレ」
道の、ペンションが建っていない側は小高くなっていて雑木林の斜面なんだけど、そこが一部崩れていた。
しかもそこから白くて大きくて細長くて金色の小さな脚が四つついているものが、この道にまで滑り流れてきている……海外のお風呂場にありそうなバスタブ?
「あの斜面に埋められていたのかな」
「雨で崩れて……道路まで流れてきたってこと?」
バスタブ内には雨水が溜まっている。
雨で土砂が崩れたあと、このバスタブ部分に雨が溜まって、重さでここまで滑ってきた……という様相。
夕暮れ近い斜陽というライティングもあり、妙にアーティスティックな光景に感じられたから、私はなんとなくそのバスタブを撮影した。
時折吹く風が、バスタブに溜まった雨水の水面を揺らす様は情緒的で、映画のワンシーンのようだった。
「ね、これ……染み?」
ユーコがバスタブの内側を指差している。
角度を変えて見ると、確かにべったりと赤黒い染みが見える。
「気持ち悪い。だから捨てたんだね」
「ね、行こうよ。自販機行って、戻って来る前に暗くなっちゃうよ」
私たちは、その場を立ち去り、テニスコート脇の自販機で少し割高の飲み物をたくさん買い込んだ。
その帰り道、あのバスタブはもうなくなっていた。
バスタブがあのままだったら、車で通るときに邪魔だし、ペンションの管理人さんとか誰かが片付けてくれたのかな……その時はそのくらいに考えていた。
その晩はしゃべり疲れて寝て、翌朝は朝から晴天。
二泊三日の予定を最終日に改めて全部遊び倒し、ゼェハァ言いながら深夜帰宅というハードスケジュールにはなったが、とても楽しかった。
「また、行こうね!」
「だね!」
それが、エミと交わした最後の会話だった。
日常に戻って数日、エミが自宅で死んでいるのが見つかったのだ。
私とユーコは警察の事情聴取というものを生まれて初めて受けた。
何がどうなっているのかよくわからない。
というか、本当にエミが? どうしてエミが?
「あの、この動画はなんですか?」
現実感をまだ取り戻せていない私に、警察の方が尋ねてくる。スマホの中身を見て良いですかって言われたんだっけ……ああ、それは。
あのバスタブの動画だった。
「先週末の連休に……三人で山梨の高原に……貸しペンションに遊びに行ったときのものです。もの凄い雨で、ペンション近くの雑木林の斜面に埋まってたみたいなんですけれど……道路まで流れてきてて……」
「では、この水面に映っている人物についてお聞きしたいのですが」
「人物? 私と、エミとユーコ……あ、私は撮っているから映らないかな」
そういえばあの動画、見返してもいなかった。
「いえ、この、首を絞めている男性と、絞められている女性です」
「え? 首ですか?」
私は慌てて動画を見た。バスタブの水面に夕暮れと、それからうっすらと染みが映っている。この染み、ユーコが気持ち悪いとか言って……うぁ。
風が吹いて水面が少し揺れた後、染みだと思っていた部分に、もつれ合う男女が映っていた。モノクロ映像というかセピア色の男女が。
男の方は憎しみに満ちた表情で、女性の首を絞めている。この女性、苦しみで顔が歪んでいるけれど、多分とても美人。
「あ!」
突如、私はその男の顔を思い出した。
ペンションの鍵を渡してくれた……管理人さん……だった。
警察はすぐに管理人だった男を指名手配した。
あのペンションの雑木林の中から、若い女性の遺体も見つかったという。
私がすぐにあの動画を確認していたら、エミは死なずに済んだのかな。
でも、あの動画を、気持ち悪いって言ってすぐに消していたかもしれないし……エミの事件の前だったら、警察に持ち込んでもまともに取り合ってもらえたかどうかも分からない。
何が正解か分からない。
どんなにたらればの世界に逃げ込もうとも、最後は現実に引き戻されて、苦しくて、怖くて、眠れない、そんな日々。
だってこれは、まだ続いている物語だから。
私もユーコも、あの後すぐに仕事を辞め、引っ越しもした……けれど。あの管理人の男はまだ捕まっていないのだ。
<終>




