お題【漬物石】
小さい頃、じいちゃんの家に遊びに行くのがとても楽しみだった。
じいちゃんは裏山を持っていて、カブトムシもクワガタもでっかいのがごろごろいたし、じいちゃんが裏山から採ってきたキノコを七輪で炙って食べるのも好きだった。
じいちゃんの家にはもう一つ、とんでもなく美味いものがあった。じいちゃんの漬けた漬物だ。
じいちゃんが畑で育てた水ナスやキュウリは、そのままでも美味しいんだけど、じいちゃんが漬物にすると箸が止まらないくらいにレベルアップする。お世辞抜きで世界一の漬物だと思っている。
じいちゃんには子どもが三人いて、上からオレのお袋、盛岡の叔母さん、一番下がじいちゃんと一緒に住んでいるタカユキ叔父さんだ。
タカユキ叔父さんは三年前に結婚して、お嫁さんも同居しはじめた。
その直後の正月に遊びに行ったとき、じいちゃんが漬物作りをそろそろ伝授しなきゃなぁ、とか言っていたのを覚えている。
だけど、タカユキ叔父さん夫婦はしばらくしたらじいちゃんとは別居しちゃったんだ。その辺の事情は詳しく教えてもらえなかったけれど、去年の暮れにじいちゃんが亡くなったあと、すぐにじいちゃんの家に戻って住むようになったから、お嫁さんとじいちゃんとがうまくいってなかったんだなってのは、さすがにオレでもわかった。
オレはじいちゃん大好きっ子だったから、タカユキ叔父さんには悪いけれど、お嫁さんの印象はいっきに最悪まで落ちた。
だけどお袋は言うわけさ。大学入ったオレが彼女出来た途端、彼女が実家に帰る正月以外はずっとじいちゃんの家に行かず、彼女彼女ってずっと夢中だったじゃないのって。
ぐぅ……それは事実だ。
でも悔しかったのは、反論できなかったことじゃなく、オレ自身がじいちゃんの所に全然遊びに行かなかったということに気付いたからだ。なんで俺はじいちゃんが生きているうちに、もっと顔見せに行けなかったんだろうって。
じいちゃんはもっと長生きすると勝手に思いこんでいた。いずれは自分の子どもを連れて行って、オレが子どもだった時の話をしながら一緒に裏山で遊んだり、キノコやじいちゃんの漬物を食べたり、そういう日が来ると決めつけて安心しきっていた。
タカユキ叔父さんのお嫁さんがじいちゃんの漬物を継がないなら、どうして俺が覚えなかったんだろうって。いまさらどうにもならないんだけどさ。
そんな後悔の日々が三ヶ月ほど続き、年度が変わる直前の3月末。タカユキ叔父さんとこのお嫁さんが、病気をこじらせて亡くなってしまった。
それを聞かされた時、お嫁さんを最悪だなんて思ったことがあるオレは、彼女の死に自分が若干でも関わっている気がして、毎晩、息苦しさでよく寝られなくなってしまった。
お嫁さん……アユミさんが亡くなった後の、タカユキ叔父さんのやつれっぷりったら見ていられなかった。それでまたオレの中の罪悪感が濃くなってゆく。
田舎の葬式は身内だけじゃなく近所の人も集まってくる。そのもてなしのため、葬式出した側はすごい忙しい。オレも労働力としてたくさんの雑用を押し付けられた。
こういう言い方は変だけど、じいちゃんの時ので慣れたというか手際がよくなったせいか、アユミさんの時はじいちゃんの時ほど忙しさを感じずに済んだ。
じいちゃんの時には休憩をするゆとりすらなかったけれど、今回はこうして仏壇でじいちゃんに手を合わせる時間もけっこう取れたりする。
(……じいちゃん、そっちではアユミさんと仲良くしてあげなよ……)
そうして何度目かの休憩をしていた時のこと。
「チー坊、ちょっとこの漬物、食べてみてくれないか?」
オレに声をかけてきたのはタカユキ叔父さんだった。
そうか。じいちゃんの漬物は、アユミさんじゃなく、タカユキ叔父さんが継いだのか。こんな時に不謹慎だけど、オレはちょっと頬を緩ませながら、差し出された小鉢からキュウリの漬物を一切れつまみ、口へと放り込んだ。
久々のじいちゃんの漬物……もう噛みしめるだけで涙腺が……あれ?
「……うん……なんか、酸っぱいね」
まるで違う味だった。
「そうか……ダメか……」
タカユキ叔父さんはガックリとうなだれる。
「実はさ……アユミがオヤジの漬物石、捨てちゃったんだ」
「漬物石?」
「やっぱりあの石じゃないとダメなんだ……」
漬物石って、漬物の味にそんなにも影響するものなのだろうか。
「なあ、チー坊。オマエも一緒にあの石を探してくれないか?」
タカユキ叔父さんは、オレの顔ではないどこか遠くを見つめながら、そう呟いた。
そういえば昔、じいちゃんが「この漬物石は特別な石なんだぞ」とか言ってたな。出すとこに出せばものすごい値段がつくとかも。
あんときはオレも小さかったから、漬物石の中には宝石が入っているんだなって勝手に思って……でもオレは石より昆虫に夢中だったし、漬物石からはすぐに興味を失ったんだっけ。
タカユキ叔父さんは両手でオレの肩をぐっとつかんだ。
叔父さんの指には、少し痛いくらいに力が入っている。
「チー坊、オマエはオヤジとも仲が良かったし、可愛がられていたから、漬物石のこともよく覚えているだろう?」
理屈がよくわからない。
でも、タカユキ叔父さんのテンションには『いいえ』とは答え辛かったし、もう一度じいちゃんのあの漬物が食べられるのだとしたら、その味にあの漬物石が影響するのだとしたら、探すのを手伝うくらいいいかな、なんて思ってつい、承諾してしまった。
タカユキ叔父さんは、アユミさんが漬物石を捨てたのが裏山だってとこまでは突き止めたんだけど、とか言ってる。裏山……よりにもよってあそこに、か。オレの記憶にある漬物石……あのサイズの石、裏山にけっこう転がっていたんだよなぁ。
「でもあの漬物石……そんなに特徴ないし、最後に見たのも5年以上前だし……オレ……見分けられる自信、ないですよ?」
「だいじょうぶ」
タカユキ叔父さんの口元がひきつるように歪む。
こんな表情、初めて見る。
父親とお嫁さんと続けて亡くして、ショックなのは理解しているけれど……この表情はいろんな意味で大丈夫だとは思えない。
「あの石はね、見分けがつかなくとも聞き分けはつくからね」
聞き分け? ますます大丈夫じゃない感じだ。
「耳をあてるとね、声がするんだよ。何を言っているのかまでは分からないんだけど、本当に声が聞こえる。一度でも耳をあててみたらすぐにわかる」
何を言い出すんだろうとオレは戸惑った。
こういう言い方は申し訳ないけれど、目がイっちゃってて、お話にならなさげな感じ。
オレは適当に相槌を打ち、早々に話を切り上げた。
漬物石がしゃべるだなんて、じいちゃんは一言も言わなかったし、幼き日のオレも石の声なんてまるで聞いたことはない……いや待てよ。じいちゃんがなんか言ってたな。漬物作る人以外は漬物石に触ったらダメだとか。
その日、帰りの列車のギリギリの時間までオレは漬物石を探したが、見つかりはしなかった。そうだよな。そんな気はしてたんだ。
タカユキ叔父さんには申し訳ないけれど、明日からはまた、オレにはオレの仕事がある。タカユキ叔父さんを励ましてから、オレは自分の生活へと戻った。
しかし、本当は戻れてなんていなかったんだと気付いたのは、あれから三ヶ月ほど経ってからのこと。
タカユキ叔父さんからの手紙が届いたのだ。
その手紙の中身を何度も読み返している時、お袋から電話がかかってきた。タカユキ叔父さんが亡くなった、と涙交じりの声が告げた。
タカユキ叔父さんの葬式を出して、その後オレは会社を辞め、じいちゃんの家に住んでいる。
じいちゃんの裏山で、アユミさんが捨てたというあの漬物石を毎日探し続けている。
手頃な大きさの石に片っ端から耳をあて……腰も耳も痛くなり、心も折れそうになり……だからと言ってやめるわけにはいかない。
じいちゃんが近づくなと言っていた裏山の祠に、三ヶ月ごとにあの漬物をお供えしないと、次に死ぬのはオレかもしれないのだから。
<終>




