お題【狭間禊】
昨日、友達の家で飲んだ時のこと。
とあるバラエティ番組の大阪特集で、壁と自販機の隙間に挟まっているおっちゃんの話をやっていた。
「おったわ、そんなおっちゃん」
大阪出身のヤツが笑いだすと他の連中もつられて笑いだした。
そんな和やかな空気の中でただ一人、僕だけが笑えていなかった。
人が挟まっている話ってやつは、そんな笑っていいものじゃないんだ。僕の中に唐突に思い出されたあの時の、あの人の目。
子供の頃、近所に「行ってはいけない」神社があった。
その理由は「危ない人が来るから」というもの。
大人たちはそれ以上教えてくれなかったけれど、情報のそんな小出しは好奇心旺盛な子供に対してむしろ「行ってごらん」って背中を押しているようなもの。
それに神社付近に咲いている山桜は遠目にもとても綺麗だったから。
まだガキだった僕らはこのお約束にまんまと応えたのだ。
はじめのうちは皆で肩を寄せ合って、境内をおっかなびっくり歩き回っていた。
でも特に「危ない人」みたいなのは出遭わなかったし、舞い散る桜吹雪が僕らのテンションを次第にあげてゆく。
やがて大胆に走り回るようになり、一時間もしないうちにかくれんぼが始まっていた。
集団ではなく個での行動が多くなる遊びは、「危ない人」に遭遇したときのデンジャー度がより高くなる。それなのにこの種目を選んだのは、僕らにとっていわばチキンレースのような感覚だったのかもしれない。だから皆の隠れる場所がどんどん、暗い、怪しい、ヤバい場所へと変わっていった。
そしてあれはショータローが何回目かの鬼になったときのこと。
まずタイチが見つかって、捕まった人が連れていかれる本堂前の手水場に移動していった。
その直後、タイチの「ぎゃぁぁぁぁ」と叫ぶ声が聞こえたのだ。
僕は、タイチがショータローと協力して僕らをあぶりだすための罠を一芝居打ったと思い込んでいて、ショータローまで叫び始めたってのに、沈黙を守り続けた。
他のやつらも同じく出ていかなかった。
しかし二人の絶叫は止まらなかった。
さすがに僕は不穏な気配を感じ、隠れ場所から抜け出して本堂前まで走り……そこで、地面に力なくへたり込んでいる二人を見つけた。
タイチは何かを指さしていて……その方向、境内から本堂へとあがる板張り階段の、段と段の間に知らない男の顔が挟まっていた。
挟まっている男は、やけに血走った目をしていて、僕らはその表情に完全に圧倒されていた。
男はしきりに何かをしゃべっているようだったけれど、内容はよく聞き取れない。
駆けつけてきた仲間が「逃げないと」と言ったのを合図に、へたり込んでいた二人を無理やり引っ張り起こすと、全速力で走って逃げた。
その日の夜。
僕は布団の中で寝付けないでいた。
昼間見てしまったものインパクトが強すぎて、あの男が自分を探しに来たらどうしようという考えがどうしても捨てられず、ほんの小さな物音にすらビクリ、ビクリと反応してしまう。
そうやって過敏になっていたからなのか、寝られずにいた僕の耳に、父と祖父とが話す声が聞こえた。
「今日、ハザマミソギに失敗した人が出たらしい」
「なんだとっ? 誰が邪魔した? ……まさかまたあの記者か?」
「いや、あいつはナカヤさんがアレしたらしいから、もう大丈夫なはずだ」
「じゃあいったい……」
「まあ、邪魔したってことは見たってことだろ。すぐにわかるさ」
そこまで聞いた時点で僕は完全に怖くなっちゃってて、布団の中に潜り込み耳をふさぎながら丸くなっていた。
今しゃべっていたのは本当に父と祖父なのだろうか。まるで自分の知らない人のように感じた。それに「すぐにわかる」って……僕は震えながら、それでもいつの間にか寝てしまっていた。
翌日は学校があった。
昨日聞いたことを仲間に知らせないと、と、少し早めに家を出た。父や祖父と顔を合わせづらかったのもあったし。
でもそんな時に限って父が後ろから声をかけてきた。
「おう、学校だな。途中まで乗せてやるから」
普段の僕はそう言われたら喜んで軽トラの助手席に飛び乗る派。
今日だけはそういう気持ちが欠片もなかったのだけれど、ここで断れば怪しまれると思い、できるだけいつものテンションで助手席へと乗り込んだ。
僕の通う小学校までは徒歩で30分弱。車で途中まで送ってもらえれば半分以上短縮できる。
父は「宿題やったか」とか「今日は何の授業があるんだ」とかいつもするような他愛ない質問をして、僕はそれにいつものように答えた。
その時、ふいにブレーキが踏まれ、軽トラは停まった。
いつも降ろしてもらう場所はまだまだ先というだけで手のひらが汗ばみ呼吸が浅くなる。のど元まで出かかった「どうしたの」という言葉を飲み込んだその時、目の前の交差点をトラクターが横切っているのが見えた。
危ない危ない。自滅するとこだった……と、胸をなでおろした瞬間。
「昨日、何して遊んだんだ」
父が鋭い質問を投げかけてきた。
「お、鬼ごっこだよ」
やばい、どもっちゃった……気付かれたかな、と父の顔を見ようとしたその時、父は急にアクセルを踏んだのだ。
しかも、トラクターが来た方向へと曲がる。こっちは小学校じゃない。もしやあの神社のナニカが父に化けているのかも?
僕はとっさに助手席のドアを開けて逃げ出そうとする。しかしドアレバーにかけたその手を、父にぐいっとつかまれた。
「黙って座ってろ!」
そう怒鳴った時の父の……もしかしたら父じゃないかもしれないそいつの表情は初めて見るくらいの荒々しさで、僕は半泣きになりながらただ怯えつつ助手席に小さく収まっていた。
軽トラはしばらくすると村を出て山道へと入る。
もしかしてこのまま山奥に連れて行かれて殺されるのかも。そんな考えが浮かんでもなお僕は助手席から逃げ出せないまま。
でも、山をいくつか越えた時、僕はハッとした。ハンドルを握る父の手が震えていたのだ。
そのことが僕の心にゆとりを取り戻してくれた。父なのか、父じゃないのか、この震えはどういうことなんだろうか。僕は黙ってその手の震えをじっと見つめ続けた。
「降りるぞ」
不意に父の声がした。いつもの父の声だった。
僕はいままでのは全て夢だったのかと自分にかかっているはずの布団を探す。しかし僕が居たのは家の布団の中ではなく、父の軽トラの助手席だった。
「東京のアキコ伯母さん、覚えているか」
覚えている。父のお姉さんなのに綺麗な人で、東京の人と結婚して東京に住んでいて、一昨年の春休み、一週間だけ遊びに行ったっけ。
いろんな乗り物に乗せてくれた。モノレールとか観覧車とか地下鉄とか、こっちにはないものばっかり。僕は少しだけ嬉しくなってうなずく。父は優しい表情で「よし」と小さく言うと、僕の手を引いて公衆電話へと向かう。
でも、ぎゅっと握りしめてくる父の手はまだ震えていた。
父は、まずアキコ伯母さんに電話をかけ、それから家にも電話をかけた。
小声でモゴモゴとしゃべっていて、よくは聞き取れなかったけれど、家にかけた電話の方で「街の大きな病院に入院させることになったから」と言ったのだけは妙にはっきりと聞き取れた。
その後、ちょうど来た列車に父は僕を連れて飛び乗った。
病院になんて行かなかった。
乗り継ぎ駅で別の電車に乗り換えて、新幹線が来る駅まで無言で僕らは電車に揺られていた。
僕はわけもわからず僕は父の手を握り続けていた。
新幹線のホームまで着いた時、父は僕をぎゅっと抱きしめた。
「東京で、アキコ伯母さんが待っているから」
「父ちゃんは来ないの?」
「一人で行くんだ」
「でも学校は……」
「言う通りにしなさい」
さっき怒鳴られたのとは違う、優しい声だった。
僕の肩を抱きしめる父の手の震えがさっきよりも強くなっていて、理由なんてわからなかったけれど、肩よりも胸がずっとずっと締め付けられた。
僕は言われた通り東京へと向かい、それからアキコ伯母さんの家で暮らすようになった。
小学校も東京の小学校に転校することになったし、苗字までアキコ伯母さんのとこのに変わっていた。
でも、東京での暮らしは真新しいものがたくさんあり過ぎて、違和感や実家への懐かしさなんてすぐに萎んでいった。
というより、聞いてはいけない雰囲気があったから、僕も無理に忘れようとした。
そうして僕は大学生になった。
伯母さんの家から通えるところ。
もう、言葉もすっかり標準語になったし……あんなこと、本当に忘れていたのに。
今日はやけに昔のことを思い出すな。ああそうだ。
あいつらがあの挟まったおっちゃんで笑ったりするから。
くそ。なぜか妙に思い出してくる。
細かいところまで……あの時見たもの、聞こえた音、緑の匂い、土の匂い、肌に感じた風、そして。
一時停止していた動画の再生を開始してしまったかのように、次々とあの謎に満ちた事件にまつわる時間が、脳内再生される。
脳内?
やけにリアリティのある記憶。しかも、あの神社で遊んでいたあの時間ばかり、ループするように。
何度目かのループで、あの挟まっていた男の言っていた言葉が聞こえた。
「……ハザマミソギ……」
前後の言葉はよくわからなかったが、その単語だけは耳の奥にこだまする。
結局なんだったんだろう。ハザマミソギってやつは……そうだ。僕は皆にそのことを伝えようとして……伝えられなかった言葉だからこそ、僕の中にずっと未消化のまま残っているのかもな。
「おいおい、ちょっと待てよ」
思わず声に出してしまったのは、更に次のループ。
記憶が再生される度に、より細かいディテールまでもを感じられる。
今は、あの綺麗だった山桜……の枝の隙間から、たくさんの目が覗いていたことを、突然思い出す。
思い出す?
これは本当に僕の記憶?
記憶の中に風が吹き、山桜の花吹雪があたりに舞い散る。その風があまりにも寒くて背筋がブルっと震えた。
なにかおかしい。
僕の「思い出したあの日」に、一緒に遊んでいたはずの皆が居ないんだ。
そういえば、鬼ごっこの途中だったはず。
みんなどこだよ……と、探し始める僕。どうして皆は居ないんだ……ふと、気付いてしまった。枝の隙間から覗いている目がどうにも、あの日一緒に遊んでいたはずの仲間たちの目に似ていることに。
<終>




