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銃弾と祈りのシスター  作者: 猫じゃらし
第三章 鉄の聖女、現る
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第19話 越境

 夜明けの2時間前に、クラリスは動いた。


 セラの肩を軽く叩いた。セラはすぐに目を開いた。声を出さなかった。2人で荷物をまとめた。音を立てなかった。崩れた壁の陰から平原へ出た。


 星が出ていた。雲はなかった。



 前夜、クラリスは光のパターンを3時間かけて数えた。


 巡回の周期は一定ではなかった。しかしずれの幅は読めた。最短と最長の差が分かれば、安全に使える時間の下限が出る。理沙の計算がそこまで整理した時、クラリスの中で何かが決まった。決めたというより、決まった。計算が終わった瞬間に、次の行動が見えていた。


 障壁の起動装置がある。


 目に見えない障壁は、見える何かで動いている。魔法で作られた構造物は必ず魔素の供給源を持つ。供給を断てば障壁は止まる。全域を止める必要はない。一点でいい。一点だけ穴が開けば、そこを通る時間だけ作ればいい。


 目録の中で、バレットM82A1の輪郭が静かに浮いていた。


 グレーアウトしていた。昨日の狙撃で充填分を使い切っていた。ただ、前夜の巡回観察の中で1度、帝国軍の魔法使いが障壁の点検のために魔素を集める動作をしていた。その瞬間、目録の中でバレットの輪郭がわずかに濃くなるのをクラリスは感じていた。足りるかどうか、ぎりぎりだった。それでも、1発。



 平原を斜めに横切った。


 低い姿勢で歩いた。セラが後ろについてきた。足音がしなかった。セラが足音を消しているのか、それとも草地の感触に合わせて自然にそうなっているのか、クラリスには分からなくてよかった。結果だけが必要だった。


 目標の位置まで来た。


 丘の低い稜線に伏せた。双眼鏡を出さなかった。出す代わりに、目録の感触を確かめた。バレットの輪郭がある。薄いが、ある。


 前方130メートル先に、障壁の起動装置があるはずだった。


 見えない。しかし魔素の流れが、その位置に集まっているのを目録が読んでいた。あの地点に、何かある。クラリッサの記憶が魔法構造物の設置位置について知っていることと、理沙の計算が合わさった。答えが出た。


 セラが伏せたまま動いた。肘で地面を押さえて、顔だけをクラリスの方に向けた。


 クラリスは前を向いたまま、小さく右手を上げた。


 セラが止まった。



 撃つまでの時間は短かった。


 目標の位置を決めた。障壁は面で展開されている。面には芯がある。その芯に集まる魔素の流れを断つ。断ち方は一つではないが、最も確実なのは物理的に芯を壊すことだった。魔法的な探知には引っかからない。音速より速く飛ぶものは、到達した後でしか認識できない。


 引き金を引いた。


 硝煙の匂いが鼻をかすめた。


 前方の暗闇の中で、小さな光が散った。火花のような、それより小さな光だった。一瞬だけ見えて、消えた。


 障壁の帯の色が変わった。白から灰色へ。帯の一部が薄くなった。薄くなった部分が、ゆっくりと広がっている。


 クラリスは立ち上がった。


 「急ぎます」


 セラが立った。2人で走った。



 走りながら、理沙の計算が走っていた。


 障壁の再起動まで、どれだけあるか。魔法構造物が一点を失った後に自動で補填を始めるとすれば、最短で2分、最長で5分。ただし夜間か昼間かで魔素の供給速度が変わる。夜間は魔素の安定性が高い。再起動は早い方に寄る。2分を想定して動く。


 障壁の薄い部分を通り抜けた。


 何も鳴らなかった。


 警報の音がなかった。感触がなかった。ただ、地面が少し変わった。草の種類が違う。土の匂いが変わった。それだけだった。



 通り抜けた先は、帝国側と同じ平原だった。


 違うのは空気だけだった。目録の反応が、障壁のこちら側で少し変わった。ここはもう帝国軍の魔法障壁の内側ではない。それが数値として、かすかな変化として読めた。


 セラが肩で息をしていた。


 「大丈夫ですか?」


 「……はい」


 走りながら答えた。止まらなかった。まだ走っている必要があった。



 セラが先に気づいた。


 走りながら、突然左腕を伸ばした。クラリスの腕に触れた。触れた瞬間にすっと引いた。それだけだった。しかしクラリスは止まった。


 左の草むらを見た。


 人の気配があった。複数。動いている。こちらへ向かっている。


 目録の中でP90の輪郭が鮮明になった。


 クラリスはセラの肩を押した。低い岩陰があった。セラがそこへ滑り込んだ。クラリスは岩陰の外で草むらに伏せた。


 帝国軍の小隊だった。


 4名。松明を持っていない。暗闇の中を慣れた足取りで動いている。夜間巡回の訓練を受けた兵士たちだった。声を出さずに動いている。


 クラリスは動かなかった。


 向こうはまだ気づいていない。このまま通り過ぎるかどうか。計算した。通り過ぎない。進行方向がこちらに向いている。あと10秒で距離が詰まる。


 10秒では遠回りできない。


 P90の安全装置が外れていた。引き金に指がかかった。



 最初の2人が通り過ぎようとした瞬間、3人目がこちらを見た。


 目が合った。


 引き金を引いた


 短く鋭い音が夜の草地に走った。反響しなかった。平原の広さが音を吸った。しかし消えたわけではなかった。残り2名が動いた。クラリスはすでに起き上がっていた。残りの距離と動線が頭の中にあった。理沙の計算通りに動いた。計算通りに終わった。


 硝煙が草に流れた。


 静かだった。



 立ち止まる時間がなかった。


 クラリスは倒れた兵士たちを一度だけ見た。見ただけだった。膝をつかなかった。目を閉じなかった。今は閉じられなかった。越境の窓が閉じる前に、距離を稼がなければならない。


 後で。


 その一言だけが、頭の中を通り過ぎた。


 岩陰からセラが出てきた。クラリスの顔を見た。クラリスは前を向いていた。


 「行きます」


 セラが頷いた。また走り始めた。



 王国側の土地に入ったのは、夜明けのほんの少し前だった。


 地形が変わった。丘が連なっていた。草の色が少し濃い。水場が近いのか、朝露の量が多かった。


 クラリスは走る速度を落とした。


 歩きながら、呼吸を整えた。P90を背中側に戻した。目録の中でその輪郭が少し薄れた。充填分が減っている。使った分だけ輪郭が変わる。それを確認する癖が、いつの間にかついていた。


 クラリッサの記憶が動いた。


 王国という言葉に反応した記憶だった。100年前、スバランシカ王国はまだ小さな国だった。侯爵領の地図には名前だけがあって、実態はほとんど知られていなかった。クラリッサが聞いたのは父から一度だけだった。「魔力のない者が普通に生きている国が、西の端にある」と。それがどういう意味を持つか、その時のクラリッサには重さが分からなかった。


 今、その国の土の上にいる。


 記憶が退くのを、クラリスは待った。そのまま前を向いた。



 セラが足を止めた。


 今度は体ごとだった。両足が地面に張りついたように止まった。視線が正面に飛んだ。


 クラリスは先に動いた。


 セラの前に出た。両手を体の脇に出した。武器を持っていないことが見えるように。


 草むらから人が出てきた。


 3名だった。王国軍の軍服。全員が剣を抜いている。うち1名が弓を構えていた。矢が、クラリスに向いている。


 クラリスは動かなかった。


 「わたしたちは、あなた方の敵ではありません。確認していただければわかります」


 声は静かだった。荒げなかった。敬語の形を崩さなかった。3名が止まった。止まったが、剣を引かなかった。弓を下ろさなかった。


 沈黙があった。


 草原の風が通り過ぎた。


 クラリスは両手を上げたまま、動かなかった。セラがクラリスの背中の少し後ろに立っていた。こちらも動かなかった。


 斥候の中の1人が、目線でクラリスの背中を示した。もう1人が頷いた。



 夜明けの光が東の丘の稜線に滲み始めた頃、斥候の3名がクラリスを囲んだまま動いていなかった。


 1人がクラリスの背中を見ていた。


 シスター服の布地の下に、形がある。収納した銃の輪郭が、薄い布越しに見えていた。隠しきれる厚さではなかった。シスター服はそういう用途で作られていない。


 その斥候が低い声で言った。


 「……あれは一体……」


 クラリスは答えなかった。


 東の空が、ゆっくりと白んでいた。

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