王太子殿下
納得がいかない。しかし、あのまま居残る訳にもいかない。
渋々退室して、最後の王太子殿下の元へ向かうことにした。
……『ミュー』と殿下に呼ばれたことは腹が立った。
が、先程も思ったが恋愛関係があったような雰囲気はなく……付き合ってた、とか元恋人とかそういう風には思えなかった。
元恋人。その響きを、自分で思い浮かべてムッとしてしまう。
学園時代にいたのだろうか。いや、いてもおかしくないんだけど。
今気にすることじゃないとも分かっているけど。
……そう言えば、結婚式が初めてのキスと言ってたし、付き合ってた人がいたとしても深い仲ではないんだろう。
うん、今夫である自分が気にする必要はない。
そう言い聞かすけど、こう言う時には脳内ミューの姿は浮かばないのだ。
殿下の対応に腹立ててた気分から、ミューのいたかも知れない元恋人への反発に変わり、最終的にはなんだか凹んだまま、王太子殿下の執務室への訪いを告げた。
◇◇◇◇◇◇
「ルシウス、しばらくぶりだな。……どうした?」
王太子殿下、ヴィンセント・フォン・ジークハイド様は気さくにも自分で受け取り、そのまま手でソファを示した。
学園時代の仲間である補佐たちに目礼をして座る。
部屋付きの侍女が殿下の好きな紅茶を出した。
さっきのコーヒー、全然手を付けられなかったな。
勿体なかったかな、と思いつつ殿下の仕事に切りが付くまで紅茶を味わうことにした。
「で?その不満顔は、結婚生活に関してなのか?」
ヴィンセント様が向かいに座る。
すぐさま出された紅茶を優雅に飲む姿はさすがに王族だが、言ってる内容は失礼なので眉を顰めて意思表示した。
「そうじゃないらしいな」
「結婚生活に問題はありません。総務室でも『惚気ることが出来るのか』と言われるくらいです」
「それはすごい。ルシウスが女性と接して惚気るとは。しかも相手はあのミュリエルだろう?」
殿下が笑った。
殿下は『ミュリエル』と言う。
あの、と言うくらいには知ってるようだ。
付き合いの長い第一補佐のリニは、名前に反応してない。
……兄弟で対応が違う?
「ルシウス?」
「……ヴィンセント様は、私の妻をご存知なんですか?」
第二王子殿下とは違い、それなりに知った仲なので疑問をそのままぶつけることにした。
殿下はキョトンとした。
「それは知ってるさ。グリフィス家の令嬢だろう?」
「そういう意味ではなく」
「わかってる。だが私が知ってるのは『グリフィス家の令嬢』だからだ」
グリフィス家の令嬢……すなわち家門に関係してる、と言うことか。
少しだけ知りたいことが分かった。
「……先程、第二王子殿下へ文書を渡したのですが」
「うん」
「私の妻を愛称で呼んでて」
「ユーリウス……!」
パシッ、と額に手を当てて天井を仰ぐ殿下。
周りの補佐たちも「何やってんだ」と言う顔をしてる。
「……ルシウスは、ユーリウスや私がミュリエルと知り合いだとは知らなかったんだな?」
「そうです」
「それで愛称か……」
「そうです」
「……弟が申し訳ない」
非公式だとしても、王太子殿下から頭を下げられるの落ち着かない。
「ヴィンセント様に非はありません。第二王子殿下は分かりませんが」
「弟の名誉のために言っておくが、ユーリウスとミュリエルの間に何かあった訳ではないからな?それは言ってなかったか?」
「なぜミューと呼ぶのかお聞きしたのですが、なんだか絶望的な顔をされたので詳しくは聞けませんでした」
「そうか……」
ヴィンセント様はなぜだか納得した顔をされた。
「ヴィンセント様?」
「いや、ユーリウスがそれ以上語らなかった事情もわかった。それは弟の先走りだな。本来ならきちんと説明を受けてから話をするべきだったんだ」
「先走り?ですか」
「そうだ。私もユーリウスの失敗を繰り返す訳にはいかないので、ルシウスに説明は出来ない。申し訳ない」
「いえ……」
重ねて言うが、王太子殿下に謝られることではない。
第二王子殿下にしても、『ミュー』と呼ぶことは許しがたいが、実際の間柄はわかってないので謝ってもらう話なのかもわからない。
「……妻に聞いてみます」
「そうしてくれ。仕事は切りがいいのか?どうせならルシウスの惚気を聞いてみたいし、ここで食事をしていけ」
「惚気って……」
自分としては惚気てるつもりは一度もない。
普通にミューとのやり取りを話してるだけなのだが、なぜだか全員に「惚気」と言われてしまう。
どの辺りが惚気になるのか、仲間たちに聞いてみたら良いかな?
食堂から人数分の食事を配達してもらえるよう手配してる補佐を見つつ、そんなことを考えていた。
「……ルシウス、それは惚気だ。盛大な惚気だ」
「そうですか?惚気てるつもりはないんですが」
「無意識に惚気られる人間だったんですねルシウス……」
「無意識と言われると困りますね。普通に報告をしたいです」
「まず何かにつけて妻の形容詞に『可愛い』と言うのは惚気だろう」
「あと、なんとはなしに離れ難い気持ちが滲み出てます」
「……可愛い、を付けずに妻を語るんですか?難しい……」
「幸せそうで何よりです、ルシウス」
◇◇◇◇◇◇◇
「ヴィンセント様、ちなみに第二王子殿下が私の噂を色々と聞いた、と言ってましたが。ご存知でしたか?」
「ルシウスの噂?どれだ?」
「一番長く言われていたのは、ヴィンセント殿下と恋仲って噂ですね」
「……(鳥肌)」
「アレなー。同じくらいリニも侍ってるのに、そっちは特に言われなくて。なんでかルシウスとの噂は根強くて消えなかったんだ」
「消そうとはしてたんですね……」
「私の婚約者は当時隣国にいたからな。嫁いで来て側近との噂がある夫とか駄目だろう?」
「それを第二王子殿下からぶつけられなくて良かったです。不敬と問われようとぶっ飛ばしてたかもしれない」
「ルシウスは膂力が美貌を裏切ってますからね」
「一番長く、とあるなら他にも?」
「私とリニは噂されないが、ルシウスとリニはあった」
「と言うより、ルシウスは仲間内でひと通り噂にされてます」
「……」
「あと教師もあったな」
「騎士科の方面もありましたね」
「女生徒との噂は逆に少なかったな。ちょっと原因を探ってみたら、『あの美貌の横に並ぶ勇気があるとは思えない』とか言う理由だった」
「なので、女性との噂はやはり大人が相手でしたね。食堂の給仕、医療科の職員、珍しい所では騎士科の講師の奥様とかありました」
「……もういいです」
(ミューに会いたい……!)




