第3話 テニス部のお姫様
「あー!やっぱキミ、同クラの人でしょ!えっと確か……真城くん!」
急にこっちに来てベラベラと話し出すあたり、彼女が柚波楓華なのだろう。
噂によれば、スキンシップ魔であり、目が合ったら誰にでも話しかけてくるらしい。ポ〇モンかよ。
「あ、そだそだ」
そう言うと、彼女はカバンから何かを取り出した。
「汗ふきシートあげる!あと、スポドリね!」
「ご親切にどうも」
俺はベンチに体を起こし、買ってきたばかりであろう冷たいペットボトルとシートを受け取った。
「そーだ、自己紹介しなきゃね!あーしは柚波楓華!てか何気に話すの初めてじゃね?よろっ!」
「真城凪月。よろしく」
彼女は俺の隣に腰掛け、まじまじと見つめてくる。
「……にしても、なんで俺の名前知ってるんすか」
「そりゃだって、キミ、クラスでは有名だよ?」
「有名?」
「教室のすみっこでいつも寝てるかヘッドフォンしてるかだし、話しかけちゃだめそーなオーラ出してるじゃん!ウチらの間で話題なんだよ?」
「不名誉な有名人だな」
「あはは! 違う違う、ミステリアスってこと! でさ、さっきの試合見たよ! 空振り連発してたっしょ!後半なんて立ってただけじゃん!」
「相手は桐島はプロで俺はビギナーみてえなもんだぞ?当たり前だろ」
「いやいや!キリケンはテニス歴まだ1年ぐらいだよ?」
「ん、キリケン?」
「あー、桐島くんの事!ウチ、他の人にあだ名つけるの趣味なんだよね~。ってか、ヒョドとマブなんでしょ?」
「兵藤のことか。まあ仲はいいな」
「じゃあついでに真城くんのあだ名も考えたげる!んー……ましろなつき……あっ!マッシーはどう!?」
「なんでもいい。好きに呼んでくれ」
「じゃあマッシーねっ!」
まだ喋って3分も経っていないのに、これほど距離を詰めてくるとは……。陽キャ恐るべし
「てかさ、マッシーってなんでテニスやろうって思ったの?しかもめちゃくちゃ急じゃない?」
まずい!『お前のことが好きなアホな親友の恋をサポートするためだ』なんて、口が裂けても言えるはずがない。
「テニスの漫画に触発された」
「あーね!ちなみになんて漫画?」
「『テニスのお嬢様』ってやつだ」
「え、テニジョ!? うっそ、マジで!? あーしも全巻持ってるし! 誰推し!? あーしはやっぱ友香ちゃん!」
柚波の目の色が変わった。よっぽどこの作品が好きなようだ。……というか、まさかこんな絵に描いたような陽キャの口から『テニジョ』なんて単語が飛び出すとは思わなかった。
「俺は沙織先輩だ。あのクールな佇まいがいい」
「あー! わかる! 渋いねマッシー! 沙織先輩のジャックナイフ、超かっこいいもんね! 伝説の第8巻の、あのライバル校との決戦シーンとかマジで神じゃない!?」
「ああ。あの絶望的な状況からの逆転劇は震えた。」
「後は、友香ちゃんが舞奈先輩からバギーホイップショット受け継ぐところも痺れた!」
「それが決め手でライバル校に勝ったんだっけか」
「そうそう!!でもさ、あそこで友香ちゃんが『先輩の分も私が打ちます!』って言うところ、マジで泣けたよね!」
「そこは確かに名シーンだが、沙織先輩がベンチから『お前のテニスをしろ』って静かに言うところのほうがエモい」
「出たー! 陰キャ特有の斜め上目線のエモさ! でもわかる! あれはズルい!」
「はいはい陰キャでごめんなさいね」
「あー!不貞腐れてるー!でも、テニジョ語れる男子がクラスにいたなんて、マジで大発見なんだけど!」
奇しくも、俺は楓華と好きな漫画が同じらしい。耀太にも勧めておこう。
ひとしきり笑うと、楓華はジャージのポケットからスマホを取り出した。
「あ、そだ。ほら、これ見てよ」
突き出された画面には、さっきの俺の無様な試合風景が映っていた。
神田先生に『最初がどれくらい酷いか記録しとけ』って言われて撮ったんだけどさ」
「いやいやいやいや!!黒歴史黒歴史!!消してくれ!今すぐ!」
「ダメ! 宝物にするから! でもさ、冗談抜きでここ見てよ」
楓華が動画を一時停止し、俺の顔の近くまでスマホを寄せた。
不意に、甘い柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
「キリケンのサーブ、時速150キロは出てるんだよ? 普通、未経験だと速すぎて目瞑っちゃうの。でもマッシー、ちゃんとボールから目を逸らさずに踏み込んでる」
彼女の指先が、画面の中の俺を指す。
「最後まで逃げずにボールを見てたのは、マジでエラい。そういう一生懸命なとこ、あーしはかっこいいと思うよ!本当だよ!」
そう言って、彼女は顔を上げ、俺に向かってふわりと微笑んだ。
夕暮れの光に照らされた、一切の裏表がない真っ直ぐな笑顔。
親友の恋をアシストするために潜入したはずだった。そのターゲットから、初日でこんな真っ直ぐな言葉を向けられるなんて想定外だ。
「……気が利くマネージャーだな」
俺はどうにかそれだけ絞り出し、画面から視線を外した。
「あはは! でしょ! じゃあこれ、自分のフォーム確認に使う? 神田先生から出た条件、2週間後にまた試合するんだから、客観的に自分を見たほうが絶対いいよ」
「ああ。頼む」
「りょーかい! じゃあ、LINE交換しよ! ふるふるでいける?」
俺は言われるがままスマホを取り出し、連絡先を交換した。
誰に対しても平等で人の頑張りをちゃんと見ている。彼女が、このテニス部の『お姫様』と呼ばれる理由が少しだけわかった気がした。
◇
部室棟の更衣室の扉を開けると、上裸のアホがいた。
「キャーッ!変態!」
「お前の裸なんて誰得だよ」
耀太が凄まじい勢いで距離を詰めてくる。
「にしても、ずいぶんと長話してたなぁマッシー」
「その呼び方、もう部内に広まってるのか」
「ったりめえよ!楓華さんがさっき『マッシーにスポドリあげてきた』って自慢してたぞ!羨ましいいいいいいい!」
「で、楓華さんがどんな人か分かったか?」
「うーむ……笑顔が素敵で漫画好きな女性としか」
「わかってるなぁ!楓華さんの笑顔は神!思い返しただけで……えへへ……」
耀太は鼻の下を伸ばし、あの気色悪い笑顔を浮かべた。目の前で繰り広げられる光景に、俺は無言で距離を取った。
「あ、そういえばLINE交換した。楓華さんと」
「は!?」
耀太の目が、物理的に飛び出しそうなほど見開かれた。
「お前だってクラスLINEで繋がってるし、交換しようと思えばLINE交換できるだろ」
「いやぁ、流石にキモすぎないか?」
「お前が言うな」
「俺は好きな人だから緊張するんだよ!**いきなりクラスLINEから個別に連絡するとか、ストーカーだと思われたらどうすんだよ!**お前みたいにクールに交換できないの!」
「じゃあ今度、自然な流れを作ってやる。それまで待て」
「……頼む」
耀太が急に神妙な顔になった。こいつは本当に本気なんだな、と改めて思った。
だが、こいつの恋路をアシストするには、まず俺自身が本入部しなければならない。今のところ、桐島に勝てる見込みはゼロに近いし、そもそも基礎体力がない。このままでは、キューピッドとしての任務を遂行する前に俺がクビになってしまう。どうすれば――
すると、更衣室のドアが静かに開いた。
「お疲れ様」
ジャージを着た蒼麻がふらりと現れた。
「お前、陸上部なのになんでここにいるんだ」
「凪月が屍になってるって聞いたから、見物に。……で、どうした?浮かない顔してるけど」
「ああ、実は――」
俺は神田先生から出された本入部の条件――『2週間後にまた桐島と試合してテニスの形を見せること』を、蒼麻に掻い摘んで説明した。
「なるほどね。技術以前の問題だ。まずは体力をつけないと話にならないね」
蒼麻は淡々と分析し、ポケットからスマホを取り出した。
「だから、鍛えるしかない」
画面にはスポーツジムのホームページが映っている。
「駅前に新しくできたジム、高校生割やってるらしいよ。俺も陸上の補強で行こうと思ってるんだけど、お前たちも来るか?」
「おっ、いいな! 俺も行くぜ! 楓華さんにいいとこ見せるために、体力をつけてテニス力をさらに磨き上げなきゃなんねえからな!」
「お前は脳みそ鍛えた方がいいと思うけど」
蒼麻の冷たいツッコミを無視し、耀太はすでにジムへ行く気だ。
俺も腹をくくるしかない。
「わかった。行く」
親友の恋をアシストするため。そして、あんな風に真っ直ぐに俺を見て笑った彼女にせめてテニスの形を見せるため。
俺はカバンを肩にかけ、更衣室を出た。




