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ロックンロールは永遠だ!  作者: はまゆう


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14/21

第14回:1979年、変わりゆく世界——80年代への予感

こんにちは、みんな。俺だ。


いよいよ70年代編の最終回だ。長かったな。あの混沌の10年を振り返りながら、ここまでよく書いてこれたと思う。これもひとえに、読んでくれているお前さんのおかげだ。


今回は「終わりと始まり」の話をする。1979年という年が、何を終わらせ、何を始めたのか。


よし、ギターを静かに置いて、話を始めよう。


---


■ プロローグ:10年の終わりに


1979年、大晦日。


俺はニューヨークの小さなアパートにいた。一人でシャンペンを開け、ラジオから流れるカウントダウンを待っていた。


外では花火の音。カップルが抱き合い、酔っ払いが歌っている。


でも、俺の心の中はどこか曇っていた。


「10年が終わる」——その実感が、ずしりと重かった。


60年代の終わりは、あまりにドラマチックだった。ビートルズの解散、ジミとジャニスの死、ウッドストックからの転落。あれは「終わり」だと誰もがわかった。


でも70年代の終わりは違った。派手な終焉ではなく、じわじわと「何かが変わっていく」感覚だった。


その「何か」を、うまく言葉にできないまま、俺は1980年を迎えた。


---


■ 音楽業界の変化——ディスコ以前と以後


1979年は、音楽業界にとって「転換点」だった。象徴的な事件が2つある。


一つは、前述した「ディスコ・デモリッション・ナイト」。もう一つは、ソニーが「ウォークマン」を発売したこと。


この二つは、一見無関係に見えるが、実は深く繋がっている。


ディスコ・デモリッション・ナイトは、「公共の場で踊る文化」への拒否反応だった。みんなで同じ空間を共有し、同じリズムで身体を動かす——あの祝祭感が、70年代末には「古い」と見なされ始めていた。


一方、ウォークマンは「個人の音楽体験」を可能にした。自分だけのプレイリスト。自分だけの世界。公共の場から隔絶された、プライベートな聴き方。


つまり、この年を境に、音楽は「共有されるもの」から「所有するもの」へと変わっていったんだ。


あるプロデューサーが当時言っていた。


「これからはな、誰も一緒に踊らなくなる。みんなイヤホンをつけて、自分だけのリズムで歩くんだ。」


その予言は、見事に当たった。


---


■ サウンドの変遷——アナログからデジタルへ


もう一つ、決定的な変化があった。デジタル技術の登場だ。


1979年、シンセサイザーの価格が下がり始め、一般のミュージシャンでも手が届くようになった。それまでは「キース・エマーソンみたいな変態だけが使う楽器」だったシンセが、今やスタジオの標準装備になりつつあった。


音の違いは明白だった。


アナログ・シンセは「温かい」が、「ブレる」。温度や湿度で音程が変わるし、同じ設定でも毎回違う音が出る。それが「味」であり「個性」でもあった。


デジタル・シンセは「正確」だが、「冷たい」。同じ音を何度でも再現できる。でもそこには「偶然の美しさ」がなかった。


そして、その「デジタルの正確さ」は、リズムにも影響を与えた。


ドラムマシン。リン・ドラムマシンLM-1が発売されたのは1980年だが、そのプロトタイプは79年にはスタジオに出回っていた。


人間のドラマーでは絶対に出せない、完璧な4つ打ち。裏も表もなく、ただ均等に刻まれるビート。そこには「食い」も「タメ」もない。あるのは無機質な正確さだけ。


俺は最初、これを「音楽の死」だと思った。しかし、後にわかる——これは単なる「新しい楽器」であり、新しい表現の道具だったんだと。


---


■ 社会の変化——楽観主義の終焉


音楽の変化を語る時、社会の変化を無視できない。


1979年。イギリスではサッチャー政権が誕生し、アメリカではレーガンが翌年の選挙に向けて準備を進めていた。規制緩和、民営化、小さな政府——いわゆる「新自由主義」の波が、音楽業界にも押し寄せる。


それまで、レコード会社は「アーティストの発掘と育成」にある程度の時間をかけられた。しかし、利益重視の風潮が強まると、「すぐに売れるかどうか」が全てになった。


「契約して、1年以内にヒットが出なかったら、即解雇」——そんな話を、当時いくつも聞いた。


アーティストは「育てられる」ものから「使い捨てられる」ものへと変わっていった。この構図は、その後の音楽業界を長く苦しめることになる。


また、若者の意識も変わった。60年代には「社会を変える」という大きな物語があった。70年代半ばまでは「パンクでぶっ壊す」というエネルギーがあった。


しかし79年、その両方が使い古されていた。


「大きな物語」を信じなくなった若者たちは、小さなコミュニティに閉じこもり、それぞれの「サブカルチャー」を作り始めた。パンク、ニューウェイヴ、ポストパンク、スカ、2トーン……かつて一つのムーブメントだったものが、細分化されていったんだ。


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■ 80年代への不安と期待


1979年の暮れ、あるミュージシャンと飲んだ時のこと。


彼はロンドンのパンクシーンで名を馳せた後、ソロになって実験的な音楽をやっている男だった。名前は出せないが、今でも尊敬しているアーティストだ。


彼はウイスキーを一口飲んで、こう言った。


「80年代はどうなると思う?」


俺は答えられなかった。


彼は続ける。


「もっと速くなるよ。もっと冷たくなる。もっと……孤独になる。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからないけど。」


実際、80年代は彼の言う通りになった。テンポは速くなり(スラッシュ・メタルやハードコアの登場)、サウンドはよりデジタルになり(シンセポップの台頭)、そしてリスナーは個別化された(ウォークマンとMTVの時代)。


しかし、その全てが「悪いこと」だったとは思わない。新しい表現が生まれたのも事実だ。


ただ、失ったものも大きかった。


「みんなで歌う」喜び。「同じ空間を共有する」熱狂。「偶然のズレ」が生むグルーヴ。


それらは、80年代の音楽から徐々に希薄になっていった。


---


■ 70年代が遺したもの


ここで、この10年を総括しよう。


70年代は何をもたらしたのか?


一つは、「多様性」 だ。60年代まではロックと言えば「エレキギター、ベース、ドラム」がほぼ全てだった。しかし70年代は、シンセサイザー、サックス、ヴァイオリン、そして後にはドラムマシンやサンプラー——あらゆる楽器がロックに取り入れられた。


二つ目は、「自己表現としての音楽」 という価値観。60年代の音楽は「社会へのメッセージ」が強かった。しかし70年代、特に後半になると、もっと個人的な、もっと内向きな表現が増えた。他人に何かを伝えるよりも、自分自身を掘り下げる音楽。それは時に「自己満足」と批判されたが、逆に言えば「表現の自由」の拡大でもあった。


三つ目は、「商業主義との戦い」 という教訓。70年代、多くのアーティストが「売れること」と「やりたいこと」の間で引き裂かれた。その中で、インディペンデント・レーベルやDIYカルチャーという「第三の道」を切り開いた者たちがいた。彼らの精神は、今も受け継がれている。


そして最後に—— 「絶望の中での希望」 だ。


パンクも、ポストパンクも、ディスコも、その根底にあるのは「何とかしなければ」という切迫感だった。社会は閉塞し、経済は停滞し、未来は見えなかった。でも、それでも彼らは音楽を作った。


「変わらないなら、俺たちが変わる」——その姿勢こそが、70年代の最大の遺産かもしれない。


---


■ エピローグ:1980年の朝


大晦日が明け、元日の朝。


ニューヨークのアパートから見える通りは、ゴミと紙吹雪で汚れていた。新しい年を祝った名残だ。


ラジオからは、新しい音楽が流れ始めていた。


スーパートランプ。ブロンディ。ザ・ポリス。やがて来るMTV時代の予兆のような、洗練されたサウンド。


俺はコーヒーを飲みながら、思った。


「また新しい10年が始まる。怖いけど、楽しみでもある。」


70年代に別れを告げて、俺たちは80年代という未知の海に漕ぎ出す。


その船には、ロックンロールの魂が積んである。


誰も見たことのない場所へ、連れて行ってくれるかもしれない。あるいは、嵐に巻き込まれて沈むかもしれない。


でも、それでいい。


だってそれが、ロックンロールというものだから。


---


■ 今夜の一枚


70年代編最後の今夜は、デヴィッド・ボウイの「Heroes」をかける。


特にタイトル曲。あの曲は1977年に録音されたが、そのメッセージは70年代全体を象徴していると思う。


「We can be heroes, just for one day」


永遠じゃなくていい。たった一日でもいい。英雄になれる瞬間がある。


この10年、俺たちはその「一日」を何度も経験した。ウッドストックの泥の中で。マーシー・アート・センターの薄暗い照明の下で。ジョイ・ディヴィジョンの奇妙な熱気の中で。


ロックンロールは永遠じゃない。でも、「永遠に見える瞬間」を、俺たちは生きた。


それで十分じゃないか。


ロックンロールは永遠だ。そう信じていた時代は、もう終わった。


それでも、俺たちは歌い続ける。


---


■ 次回予告


70年代編、完結です。


次回からは80年代編に突入する。タイトルは「1980年代、デジタルと映像の時代」。


MTVの登場、シンセサイザーの氾濫、そしてロックの「商業化」が加速する時代。喜びと絶望が交錯するあの10年を、またゆっくりと掘り下げていこう。


少し休んでから始める。それまでに、70年代のアルバムをもう一度聴き直してみてくれ。


見えなかったものが、見えるようになるかもしれない。


ロックンロールは永遠ではない。でも——その「瞬間」を追い求める心は、永遠に消えない。


それが、俺たちの遺産だ。


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