第五幕|思想の揺らぎ
夜の前、風が少し落ちる。
焚き火のそばに、老女が座っている。
皮膚は薄く、乾いている。
だが目は濁っていない。
ケインを見て、言う。
「昔、甘い風が来たことがある」
遠い話のようでいて、
昨日のような口調。
「空気が重くなってね。
水が柔らかくなった」
村に円いものが増えた。
器を丸く削った者もいた。
だが。
「定着しなかった」
火がはぜる。
「ここでは、形が持たない」
湿度が低すぎる。
柔らかいものは、乾く前に割れる。
丸さは、維持できない。
甘さは、広がらない。
老女は否定しない。
ただ、事実として置く。
「悪いものじゃなかったよ」
それでも、残らなかった。
環境が、許さなかった。
夜は澄んでいる。
星がはっきり見える。
空が近い。
湿りがない分、光は鋭い。
音も遠くまで届く。
ケインは欠けた円環を膝に置く。
昼に割れた縁が、白く光る。
角がある。
滑らかではない。
指に引っかかる。
彼は思う。
乾燥は理想ではない。
甘さを否定する証明でもない。
ただの別条件。
湿度が違う。
保持力が違う。
円が成立しないだけで、
“正しさ”が証明されたわけではない。
ここにはここなりの均衡がある。
整わないが、崩れきらない。
丸くないが、壊れ続けるわけでもない。
風が吹く。
星は揺れない。
ケインは立つ。
欠けた円環を持つ。
縁の鋭さが、掌に触れる。
初めて生まれた“角”。
円の内部から生じた直線。
ナレーションが落ちる。
円は、割れる。
甘さは、届かない。
だが世界は、それでも回っている。
夜空は澄みすぎている。
湿りはない。
最後の一行。
乾燥は、解答ではなかった。




