Day27:鎖がつなぐ夢、走り出す未来
食堂に戻った私たちは、その日の釣果を存分に味わった。
テーブルに並んだマリネと塩焼きには色とりどりの野菜が添えられ、まるで絵画のように鮮やかな模様を描き出している。
「うわぁ、綺麗……食べるのがもったいない気がする」
思わずつぶやいた私は、ついカメラを探してしまったが、この世界にそんな便利なものはまだ存在しなかった。
春のブリは冬のものに比べて脂は控えめだが、その分すっきりとした味わいで、引き締まった身には十分な食べ応えがある。
「これ、ユリカちゃんが釣ったんだって?」
「お前さん、やりよるわい! 酒が進むのぉ」
あちこちから感想や称賛の声が飛び交い、その光景が嬉しくて、私もついおしゃべりに加わり、気づけば長居をしていた。
食堂はすでに宴会場と化し、笑い声と食器の音でにぎやかに満ちている。
それでも私は、井戸で得たひらめきを忘れないよう、心の中で「ローラーチェーン、ローラーチェーン……」と唱え続けていた。
その横では、マルセルたちが「あの釣り道具はどこで手に入れたのか」と興味津々に尋ねてきた。どうやら彼らの知っている釣りとはまるで違って見えたらしい。
「それはね、私が自分で作り上げたものだから、どこにも売ってないんだよ」
そう告げると、ヨアヒムは「おぉ……」とつぶやき、その表情からどう受け止めてよいのか戸惑ったが、恐らく感心してくれたのだろう。
ペーターは「ユリカちゃん……すごいや」と素直に目を輝かせてくれる。
そしてマルセルはといえば、「ふ、ふん。釣りの腕は認めてやる」と、なぜか上から目線を崩さない。
三人の反応は三者三様だったが、驚きを隠しきれないのは同じだった。
それからは「あの回るやつはなんだ?」「餌じゃなくて、疑似餌なのか?」と矢継ぎ早に質問が飛び出す。どうやらブリ料理がたいそう気に入ったらしく、エールの杯を重ねるごとに表情も無邪気になり、普段よりも口数がずっと多くなっていた。
そのたびに私もつい説明に熱が入り、手振りを交えて語ってしまう。そんな私を横目に、リアがそっと葡萄酒に手を伸ばした。
「リア! 何してるの?」
じとっと睨む私に、彼女は肩をすくめて「何って、みんな楽しそうだから、どんなものなのかなって思って」と悪びれもなく答える。リアらしいといえばリアらしいのだが、ダメなものはダメだ。
「成人するまでお酒はおあずけだからね!」
私がそう注意すると、リアは「シシシ……」と子どもみたいに笑ってごまかした。
やがて料理もすっかり平らげられ、急遽始まった宴もお開きとなる頃には、夜はすっかり更けていた。私はリアを下宿先まで送るため、まだ浮かれ気分のマルセルたち三人を半ば強引に引き連れ、肌寒さの残る石畳をマナ灯の明かりを頼りに歩いた。
「今日は楽しかったね。また行こうね」
リアを送り届けた帰り際、彼女が振り返って笑う。その笑顔を見届けてから踵を返すと、横で酒の勢いを借りたマルセルがふらつきながら口を開いた。
「お前は……チビなのにすごいよな。自転車工房もあって……。でもな、叔父さんの後を継ぐのは俺だからな!」
その言葉に、私ははっとした。――もしかしてマルセルは、私が工房長の後釜を狙っていると勘違いしているのかもしれない。そう考えると、これまでの妙な敵対心にも説明がつく気がした。
寮に戻り、三人に部屋の前まで送ってもらったあと、私は机に向かって紙を広げ、ローラーチェーンの図を起こしはじめた。
まず、紙の中央に二つの小さな円を描く。互いに間隔をあけて並んだその円が、やがて軸心の位置となる。そこを細い線で結び、長円を加えると、内側に収まる軸の姿が浮かび上がった。
さらに外周に、もうひとつ小さな円を重ねる。
「これがローラー……。歯車の歯が当たるのは外側だけ。摩耗はここに集中するけど、軸には直接力が伝わらない。その分、ローラーが回って受け流し、動きが滑らかになるはず」
独り言をつぶやきながら、紙の上に二重の円をいくつも並べていく。それらをプレートで繋ぎ合わせていくと、まだ寸法も定まらない粗い線の集まりでありながら、確かに「歯車に噛み合い、力を伝える鎖」の姿が見えてきた。
ようやく辿り着いた形に、胸の奥が熱くなる。
「……これだ」
細かなピッチや素材、実際の造り方は明日工房長に相談すればいい。そう決めて、私は紙を胸に抱いたままベッドに身を投げ、安堵と高揚の中で眠りについた。
――――翌朝。
朝食を済ませた私は、図面を抱えて自転車工房へと足を急がせた。食堂の片隅では、昨晩飲み過ぎた三人組が呻いていたが、そんな様子に構っている暇はない。今はただ、頭に浮かんだ仕組みを一刻も早く形にしたかった。
工房に駆け込むと、すぐさま工房長に図面を差し出し、部品や機構の説明を始めた。
「おぉ……よく思いついたな。これなら確かに、あの漕ぎにくさから解放されそうだ」
工房長は感心したように頷くと、図面を手に取り、
「ちょいと試作を作ってくるから、お前さんはエンジン部門にでも行って手伝いをしててくれ。数日中には仕上げて見せる」
と背を向け、そのまま足早に工房を出ていった。
残された私は、その言葉に従いエンジン部門へ向かう。
そこで迎えてくれたのは、たった数日でさらに洗練された管式ボイラーだった。炉の奥で白く揺れる蒸気、光を反射する新しい弁や配管の輝き。以前見たものとは明らかに違う完成度に、思わず息をのむ。
「管式ボイラーは、今では二十気圧まで出せるようになったぞい!」
部門長は誇らしげに告げる。弁の形状を改め、蒸気排出口を絞り込むことで圧力を大幅に高めることに成功したのだという。
「それは素晴らしいですね。おめでとうございます」
心からそう伝え、私は部門長に指示された整理作業へと取りかかった。
数日後。
この日も私はマナ車の大型化や書類整理の手伝いをしていたが、不意に工房長から声がかかった。どうやら、ついにローラーチェーンが完成したらしい。
呼ばれるまま自転車工房へ向かうと、そこには均整の取れた姿で輝くローラーチェーンがあった。小さなローラーが等間隔で並び、それを支えるプレートが連なり、規則正しく伸びる鎖はまるで精巧な装飾品のように美しい。
「すごいです! 工房長! これです、これです!」
思わず声を上げる私を横目に、工房長は落ち着いた調子で「ちょっと待っておれ」と言い、作業台に自転車を据えた。
フロントギアにローラーチェーンをかけ、続いてリアギアに回す。最後にジョイントリンクを差し込み、クリップをぐっと押し込むと――カチリと金属音が響いた。こうして輪は閉じられ、途切れのない力の伝達機構が姿を現した。
自転車はついに完成を迎えた。ペダルの動きが後輪に直結するピストバイク。そのフレームは流麗な曲線を描き、後方へと伸びながら衝撃を分散・吸収する設計で、リアの思想が確かに形になっていた。
車輪には前後ともゴムタイヤが装着され、中にはチューブの代わりに、鶏の魔物の羽毛がぎっしりと詰め込まれている。先日、工房長が商業ギルドで偶然手に入れた素材を使った試作品だという。
その羽毛は見た目こそ普通の羽毛を大きくしたようだが、実際は硬質で形状が安定し、曲げてもすぐ元に戻ってしまう。柔らかさに欠け、通常では役に立たないため市場には出回らない。しかし、今回は冒険者ギルド経由で流れてきたものをうまく転用できたらしい。
「これなら原価も抑えられるし、軽量化にもつながる。まったく、万々歳だわい」
工房長は満足げに笑い、眩しいほどの完成品を前にして、私の胸も誇らしさでいっぱいになった。
「ほれ、ユリカ、さっそく乗って見せてくれ」
そう促され、私は工房長と共に自転車を押して前の通りに出た。
後ろからは、興味津々の工房仲間たちがぞろぞろとついてくる。大勢の視線に見られるのは少し恥ずかしいが、私は右足をペダルにかけ、ぐっと踏み込んだ。
鉄がきしむ嫌な音もなく、チェーンが切れそうな緊張感もなく――自転車は石畳の上をすうっと滑り出した。
漕ぐたびに速度は増し、ペダルは軽やかに回り、気がつけば貴族街を抜け領主館の前まで来ていた。
慌てて折り返し、来た道を駆け戻る。その速度は馬車を優に凌ぎ、風が頬を打ち抜ける。
待ち構えていた工房のみんなは口をあんぐりと開け、やがて歓声をあげて拍手を送ってくれた。
工房は歓喜に包まれ、笑顔と笑い声があふれかえっていった。
その頭上を、南から吹く春風が駆け抜ける。
わずかに湿り気を帯びたその風は、次の季節の匂いを運び、遠く近づく夏の気配を感じさせていた。




