Day26:砂浜とブレイクスルー(後編)
リアだけが大人になってしまったような焦燥感を抱えつつ、私はブランケットの上にボカディーリョを並べ、海での時間が始まった。
食事中は終始、どれが美味しいだの、あそこの店の方がいいだのと、まるで花より団子。
三人組の視線も忘れて、私たちは笑い合いながら過ごした。
そんな中、リアがふと思い出したように語り始める。
「そういえば、今年の夏に建築祭があるんだよ」
二年に一度開かれるその祭りは、街道建設ギルドと土木ギルドが主催する大規模なコンテストらしい。
木工、土木、建築物――テーマごとに部門が分かれ、職人たちが腕を競い合う。
出場人数に制限はなく、優勝者には実際の仕事依頼や公営プロジェクトへの参加など、様々な特典が与えられるという。
リアは今年、親方と一緒にチームを組み、参加できることになったと言い、興奮気味に、その話を弾ませていた。
一通りおしゃべりも食事も済んだところで、私は「よし」と小さく気合を入れ、万能ロッドを手に取ってセッティングを始めた。
興味深そうにのぞき込んでいたリアが、メタルジグを手に取って首をかしげる。
「これは何? 重り??」
「ちがうよ、これはメタルジグっていって、ルアー――つまり疑似餌の一種なんだ」
「え? この鉄の塊が?」
驚いて目を丸くするリア。
「まぁ、ちょっと見ててよ」
釣り糸を結び終えた私は立ち上がり、波打ち際へと歩み出た。
海は穏やかに見えるが、手前十メートルほどからは駆け上がりになっているのか、そこから白波が立ち、轟々と荒ぶっていた。
私はロッドの先端から三分の二ほど糸を垂らし、メタルジグを振り子のように後方へ送る。
重みが最遠点に達した瞬間、ロッドを大きく振りかぶった。
振りかぶると同時に右手を支点にし、左手を胸へと引き寄せると、竿が大きくしなり、力を弾き返すように前方へ押し出された。
海面に対して四十五度ほどの角度でロッドを止めると、あとはメタルジグが慣性に従って飛んでいくのを見送るばかり。
四十グラムほどのメタルジグは一直線に飛び、七十メートル先で水柱をあげて着水。
きらめきを残し、平打ちながら海底へと沈んでいった。
――一、二、三……十五、十六、コト。
カウント十六ほどで、着底の衝撃が手元に伝わった。
そこから一気にハンドルを巻き、糸にテンションをかける。
ロッドを素早く、大きく上へ振り上げながらハンドルを一回転――。
その動作を繰り返し、クラッチを切って再びメタルジグを落とし込む。
五、六回ほど繰り返したところで、メタルジグが手元に戻り、状態を確かめてみた。
傷もなく、削れた跡もない。どうやらこの一帯は砂地のようである。
普段は見せない大きな動作に、マルセルたちはもちろん、リアまで目を丸くして私を見ていた。
「そ、そんなことしたら魚、逃げちゃわないの?」
リアの不安げな声に、私は微笑んで答えた。
「これはね、弱ってひらひら泳ぐ小魚を演出してるの。だからこれでいいんだ」
そう言いながら、再びキャスト。
今度はカウント四のところで、ロッドが大きくしなり、沖へと沈み込んだ。
グーッと糸が引かれ、沖へ走っていく。
私は慌てて指でラインを押さえながらハンドルを回した。
釣り糸が擦り切れる様な障害物はないため、メタルジグが持っていかれないように一気に巻き寄せる。
やがて魚体が波打ち際に姿を現し、私は後ろへと下がりながらハンドルを止め、一気に岸へと引き上げた。
――上がってきたのは、五十センチほどのイナダ。
ブリの幼魚である。
イナダが単独で行動しているとは考えにくい。
しかもカウント四――水面近くで食いついたとなれば、今まさに群れで捕食している証拠だ。
私は急いで、近寄ってきたリアたちに叫んだ。
「魚、さばける?!」
「ぼ、僕なら……! 父さんと一緒に釣りに行ったこともあるし!」
真っ先に声を上げたのはペーターだった。さすが器用な彼である。
「ありがとう! じゃあエラを切って血を抜いたら、エラと内臓も処理してくれる?」
「わ、わかった!」
そのとき、沖五十メートルほどの水面がざわめき、ナブラが立った。
魚の処理をペーターに任せ、私はすぐさまロッドを振る。
再び表層でヒット。
竿が大きくしなり、波打ち際へと引き寄せる。
――先ほどと同じ、大きさ五十センチほどのイナダだ。
正直、今の私の体格でこのサイズを釣り上げるのは相当にきつかった。
それでも――釣り人の意地というものだ。
悲鳴を上げる上半身に鞭を打ち、必死でロッドを振り続けた。
やがて五十センチほどのイナダを七本上げ終える頃には、ナブラも収まっていた。
気づけば、ペーター以外の三人も加わり、イナダを締めて処理まで済ませてくれている。
そしてふと周囲を見渡すと、いつの間にか人だかりができていた。
私たちを取り囲むように拍手が湧き起こり、まるで大道芸人にでもなったかのように喝采を浴びる。
「漁業ギルドの人かい?」
「その道具は何だね?」
「船もないのにブリが釣れるなんて……!」
口々に飛び交う驚きの声。
私は汗だくのままロッドを握りしめ、ただ苦笑するしかなかった。
挨拶もそこそこに魚を抱え、ブランケットを片付けて私たちは領都へと戻る。
帰り道、マルセルたちは興奮気味に今日の釣果を語り合い、その声が潮風に混じっていつまでも耳に残っていた。
工房に戻ると、そのまま食堂でイナダをいただくことに決まった。
私たちが運び込んだ魚を見て、食堂のおばちゃんは目を丸くし、
「これ、あなたたちが釣ってきたの? すごいじゃない! 立派なブリだこと」
と声を上げる。
「これだけあればみんなで食べられるわね。マリネと塩焼きにしてあげるから、その間に汚れを落としてきなさい……それと、ちゃんと着替えなさいね」
そう言われて、ようやく自分がまだ海帰りのシフト姿のままだったことに気づく。
私は顔を赤らめ、大慌てで井戸へ駆けていった。その背後では、ドワーフたちの笑い声が楽しげに響いている。
井戸端では、すでにリアが水浴びをしており、服を脱いだ下には、まだあの真っ赤なビキニを着ていた。
釣瓶で汲んだ冷たい井戸水を頭から浴び、気持ちよさそうに何度も繰り返している。
その無邪気な仕草に、マルセルたちは横目でちらちらと視線を送り、鼻の下を伸ばしモゾモゾしていた。
ストンとした胸の奥にチクリと苛立ちが走り、私は思わず言葉にしてしまった。
「……気持ち悪い」
気を取り直し、私も水浴びをしようとロープに手をかける。
冷たい井戸水を浴びれば、この苛立ちも少しは抜けるだろう。
それにしても、今日は本当にいい一日だった。
朝も夜もおいしいごはんが食べられるし、何より――あのイナダを釣り上げたときの感触が、まだ掌に残っている。
……そういえば、みんなイナダのことを「ブリ」と呼んでいたな。
こちらの世界には、出世魚という考え方はないのかもしれない。
視界の端では三人組がふざけ合っているのを捉えつつ、そんなことをぼんやり考え、ふとロープを伝って上を見上げる。
滑車の中でロープが回り、軽やかな音を立てていた。
ロープを引けば、滑車が回る。
また引けば、また回る――。
「……あ」
その瞬間、記憶の底からとある名前が蘇った。
一般的な自転車に使われていたチェーン――それは「ローラーチェーン」と呼ばれていたのだ。




