Day26:砂浜とブレイクスルー(前編)
ここ数日は、自転車のフレーム改良に取り組んでいた。
さすがは工房長というべきか、私が思い描いていたクロスバイクの形を、見事に形にしてしまったのだ。
耐久テストはこれからだが、フレームに関してはすでに完成の域に近づいていると言ってよかった。
問題はギアとチェーンの部分だ。
ギアについてはまだ単純で、フロントギアはクランクを介してペダルと繋げばよく、リアギアも車輪に固定するだけで形になった。
しかし、肝心のチェーンはどうにも進展が乏しい。記憶を頼りに再現を試みても動きはぎこちなく、確かに回転はするものの硬さが残り、とても長時間の走行には耐えられそうになかった。
最初こそ、動いたギアを見て工房長も興奮していたが、実際に漕いでみれば問題点はすぐに浮き彫りとなり、油を差したり、細工を加えたりと手を尽くしたものの、金属のきしむ音だけが工房に響いた。
――これ以上、どうしたらいい?
閉じこもっていても答えは見つからない。
ちょうど明日は休日だし、リアとの約束もある。私は気分を変えるためにも、海へ出かけることにした。
夜のうちにリアの下宿先へ立ち寄り、翌朝は早くから出かける約束を取り付けて工房に戻った。
寮へ戻る前に、食堂に寄ってキッチンのおばちゃんに声をかける。
「あら、ユリカちゃんじゃない。どうしたの?」
「明日、お休みなんですけど……朝に来たら軽食を包んでもらえますか?」
「お安い御用よ。何かリクエストはある? どこへ行くのかしら?」
「友達のリアと海に行こうって話になってて」
「まあ! じゃあ手で食べられるものの方がいいわね。ボカディーリョにしましょうか」
「やった! 大好き。ありがとう!」
おばちゃんに礼を言って、私は寮の方へ戻っていった。
食堂の隅で、マルセル、ヨアヒム、ペーターの三人組がじっとこちらを窺っていた。
だが私は、そんなことに思いも至らず、明日の支度をして眠りについた。
そして翌朝――。
私は食堂に立ち寄ってボカディーリョを受け取ると、そのままリアとの待ち合わせ場所へ向かった。
リアはすでに到着しており、大きなバッグを肩に提げている。
一方の私は、黒い万能ロッドにリール、仕上げたばかりのメタルジグ、そして念のため膝下まで隠せるリネンシフトを用意してきた。
この世界での海水浴といえば、せいぜい膝あたりまで水に入る程度。
一般的には砂浜で日光浴を楽しむもので、水着という習慣は存在しないらしい。
「リア、大荷物だね。何をそんなに持ってきたの?」
「へへへ、内緒! 着いてからのお楽しみだよ」
「えー、何よー、気になるじゃない」
そんなふうに戯れ合いながら、私たちは朝市に立ち寄り、葡萄ジュースだけ買い込んで海へと向かった。
――その背後。
私たちの後を追う三つの影が、ひそかに蠢いていた。
海までは徒歩で三〇分ほど。
まだ初夏に入ったばかりで人はまばらだが、日差しは十分に強く、肌に熱を感じさせた。
海辺に着くと、リアが持ってきた薄手のブランケットを広げ、その上にチーズ、ベーコン、葉野菜、そして朝市で買った葡萄ジュースを並べていく。
大荷物の理由は、これだったのだ。
思わず声が漏れる。
「リア! すごい! こんなに用意してくれたの? ありがとう!」
私は嬉しさのあまり、小躍りしてしまった。
そんな私を微笑ましそうに見ていたリアの背後に、ふと動く影が映った。
視線を向けると――マルセルたち三人組。
彼らはゆったりとしたブリーチズを履き、上半身は裸のまま、当然のようにブランケットを広げてくつろぎ始めていた。
「……ちょっと、あなたたち……何してるのよ」
マルセルは涼しい顔で言う。
「ふん、俺たちはたまたま海水浴に来ただけだ。俺たちが来ちゃいけない理由でもあるのか?」
言われてみれば、彼らを追い返す理由もない。
むしろ「来るな」と言う方が理不尽に思えて、私は言葉に詰まってしまった。
「まぁまぁ、いいじゃない。知らない仲でもないんだし、ね?」
リアが取りなすように言うので、渋々ここは収めることにした。
そんな中、リアが不意に口を開く。
「私、海水浴用の服を持ってきたから、ちょっと着替えてくるね。ユリカは?」
そう聞かれ、私もせっかくなのでシフトに着替えることにした。
荷物を三人組に任せ、私たちは着替えのため海水浴場の端へ向かう。
そこには木の板で囲っただけの簡易的な更衣室があり、二人で中へ入った。
中は布のカーテンで仕切られた個室に分かれており、人ひとり個室へ入って着替えていく。
私はズボンとシャツを脱ぎ、シフトを羽織るだけ。ほんの数分で終わった。
だが、リアは中でごそごそと何やらやっているらしく、
「リア? 大丈夫? 手伝おうか?」
という私の問いかけに対しても、
「んんん、大丈夫! 少し時間かかるから、先に戻ってて」
と返ってくる。
シフトに着替えるのに、どうしてそんなに手間取るのか――不思議に思いながらも、
食糧を三人組に取られないか心配で、私はひと足先に戻ることにした。
ブランケットの場所へ戻ると、幸い食糧は無事のまま。一応、見ていてくれた三人組にお礼を伝えた。
私のシフト姿に気づいた彼らは、思わず「おぉ……」と声を漏らし、しばし見とれている様子だった。その反応に、私はほんの少し胸を張り、いい気分になってしまう。
――そのとき。
「ユリカー、お待たせー!」
リアの声に振り返った私は、思わず息をのんだ。
褐色がかった肌に走る光と影。引き締まった腹筋は凛とした線を描き、全身から放たれる健康的な美しさが目に飛び込んでくる。
真っ赤な布地がわずかに体を覆うだけで、胸元は今にもこぼれ落ちそうなほどの張りを帯び、下へ伸びる脚線はすらりと引き締まっていた。
無駄な肉はなく、それでいて柔らかさも感じさせる絶妙なバランス。
大腿四頭筋はうっすらと、
それでいてハムストリングス――とくに内ももの半膜様筋が際立ち、真っ赤な布地の下に美しい三角形を描いている。
「もう、この短い時間でまた少し焼けちゃった気がするよー」
リアは自分の腕を見ながら歩いてきた。
そのたびに腕が上がり、マルセルたちの視線もまるで操られるように釘づけになっている。
視線に気づいたリアは、いたずらっぽくクスリと笑い、
「ユリカー、見てよー。焼けたと思わない?」
わざとらしく肩ひもをずらして見せつけてきた。
「ぬぉぉぉぉぉぉ!」
……これは私の声である。
思わず漏れた叫びと同時に、マルセル、ヨアヒム、ペーターの三人は胸を押さえ、うつ伏せに倒れ込んだ。もはや起き上がれないほどのダメージを負っていた。
「あはは……男子ってホント分かりやすくて、かわいいね」
――リアは、魔性の女なのかもしれない。
「もう、リアったら……そんな格好して!」
ふと周囲を見渡すと、リアの様な、いわゆるビキニ姿の女性が全くいないわけではなかった。
だが、そうした女性はどこか先進的で、奔放で、ふしだらと見られることもある。
まさに、蜂を誘う薔薇のような存在だ。
なんとなく、私は自分の胸元に視線を落とした。
そこには邪魔するものは何もなく、自分の足首までしっかり見えている。
その足は青白く、ストンと地面に立つ白樺の木のように真っすぐだ。
「はぁ……やだやだ」
いつからリアはこんなに奔放になったのか。
私がいない半年のあいだに、何かあったのだろうか。
――いや、考えてみれば、リアは出会ったころから好奇心旺盛で自由な性格だった。
その性格があったからこそ、私の自転車にも興味を示し、今こうして領都で一緒に居れるのだ。
今やその好奇心が異性にまで及んでいるということ。
いわば、年頃になっただけなのだ。




