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「リズ。」
「え、なに?」
「ちょっと。」
食堂に向かう道すがら、ルフが不意に立ち止まった。
あまりにも静かに止まるものだから先に行きそうになった私を呼び止めて、腕に抱えた……というより腕に座らせた少年を首を傾げながら示す。
間近にいる分少年の小さな変化に気付けたんだろうけど、金の視線をすぐ下から受ける少年はさらに斜め上をまっすぐに見上げていた
その目線を追って、ルフと顔を見合わせる。
うちのギルドはかなり広い分、廊下の所々に休憩スペースが儲けられていて、ソファや机や、本があったり画材が揃えられているところもある。
ルフが立ち止まったのはそんな休憩スペースの一つで、他より広めのそこには数枚の写真が飾られている。
どれも割と古い写真の中で、少年がじっと見つめていたのは一層古く一番大きな写真だった。
大分色褪せて茶色くなったそれに写っているのは。
「この……。」
「うん?」
「この、ハイエルフは……?」
呟くような音量の問いかけに、私と、多分ルフも一瞬声を失った。
少年には、詳しい種族の話はしていない。
自分の種族がわかるかどうか尋ねたときに、芳しい答えがなかったからだ。
もしこの世界に数多くの種族がいることを知らなければ、話だけでは混乱させてしまうかもしれない。
幸いにも私と少年の見た目は似たようなものだから最初は触れずにいて、誰か一見してわかる人に出会ったときに反応を見ようと思っていた。
ルフはその条件に当てはまるけど、少年はぴるぴるには反応したものの耳や尾が生えていることには何も触れなかった。
そういう存在がいて当然だと思っているのか、心や脳が触れないようにしているのか。
その辺りはもう少し様子を見ないとわからないな、と思っていたんだけど……。
少年の言葉通り、写真に写っているのはハイエルフだ。
だけど、一目でハイエルフを見分けられる人はかなり少ない。
ほとんどの人はエルフだと思うだろう、それか、何の種族かまで思考が回らずにただ、美しいとだけ口にする。
一言で言うならハイエルフは、稀少。
滅多に出会えるものではない上に、その見た目はさながら真白い美の結晶だ。
多かれ少なかれ種族ごとに美意識が異なる中、口を揃えて美しいと称えられるその姿を前に、例え古い写真でもハイエルフだと言い当てられるなんて……。
考えにくいけれど偶然か、エルフやハイエルフに詳しいか……いずれにしても、少年に種族という概念についてある程度以上の理解があることは確実だ。
少年の状態について私から逐一報告を受けていたルフも、混乱と共に同じ結論に至ったんだろう。
かすか眉間に皺を寄せて、それでも次には今まで通りの笑顔を見せる。
少しでも記憶が戻ったのか、あまり取り乱した様子はなくても落ち着いたことでわかることが増えたのか、どっちにしたっていいことだ。
もちろん他の可能性もあるけど、少年にとってわかることが多くなるのは喜ばしいことだと思う。
「うちのギルドマスターだ。」
柔らかい声に、少年の目がルフを向いた。
ほんの僅かその瞳が輝いているように見えて、ルフがぱちぱちと瞬きをしてから破顔する。
「今はギルド会に出席してるんだけどな。」
「ぎるどかい?」
「色んなギルドのマスターが集まる会議のことよ。ギルドの数は星の数ほどあるから、ギルド会に呼ばれるのは名誉なことだって言われてるの。」
「うちのマスターはそのギルド会の会長でな、一番偉い人。だから途中で抜けられないんだと。」
「あなたを保護したことも意識が戻ったことも伝えてあるから、できるだけ早く……今日か、明日には戻れるって」
「会えるの!?」
……こんな大きな声、初めて聞いた。
同じく驚いたのだろう、まん丸に目を見開いたルフがニヤリと頬を釣り上げる。
「何だ、一目惚れでもしたか?」
「やっ、ちがっ、そんなんじゃ、ない!」
聞いたことないような大きさの声で目元を赤く染めて叫ばれても、全く説得力がない。
記憶喪失故の幼さは見られたけど、今までほとんど冷静だった少年の年相応な姿にニヤニヤと楽しそうにルフが笑う。
それに違う、違うからと繰り返しながらも、どんな人か教えてほしい、なんて素直に頼んでくるあたりは可愛らしい。
写真を見ながら話そうかとも思ったけど、少年が首を振るので食堂への廊下を進みながら、そうだなぁ、何から始めようか。
「とりあえず、名前はラウラ。ハイエルフの言葉での名前もあるんだけど、私たちには発音しづらいからって、そう名乗ってるの。」
「マスターって呼ぶ奴もいるし、ラウラって呼ぶ奴もいる。更に縮めてラウって呼ぶのもいるけどな。」
それ以外にも旧知の仲だと全く別の名前で呼ぶ方もいるけれど、それこそハイエルフの名前か、特別なあだ名か、あまり気軽に呼んでいいものではないと思う。
人を差別するような人じゃないけど、それこそ付き合いの長さ、とかそういうのはあると思うし。
「それで、うちのギルドのマスターでギルド会の会長で……そうね、預言者で、私の師であり親でもある、かな。」
「よげんしゃ……おや、ですか?」
「正確には親じゃなくて、私を拾って育ててくれた人、だけど。とてもやさしい人よ。」
「まぁうちのメンバーにとっての親みたいなもんでもあるけどな。」
「そうね。預言者っていうのはそのままで、ラウラは預言ができるのよ。」
「『ある日、魔法使いが現れる。その後、勇者が甦る。そして、災厄が目を覚ます。』これが一番有名な預言だな。」
ルフがあっさりと諳んじるように、きっと誰もが一度は聞いたことのある預言も記憶喪失の身にはピンとこないものだったらしい。
私たちとしてもそれで記憶が戻るなんて思ってないから、他に思いつくことを順に並べていって。
出てくるエピソードがことごとくラウラの優しさや温かさに触れる話になるのはその、客観的な情報とは言い難かったかもしれないけど、許してほしい。
だって、大好きなんだもの、私はもちろん、ルフだって、きっと当たり前のように。
「それで……あ、ここが食堂よ。」
「お、サンキュ。」
大きな両開きのドアを開いて中へ入る。
続いてドアを潜ったルフが私に軽く手を上げるのに頷くだけで返して、さてモニカはどこかな、とまずカウンターに目をやると。
「や、いらっしゃい。君がユウ君かな?」