桃源郷
少し長めになりました。
6 桃源郷
小林先生の一人息子の舜が、凛の許嫁だというのは、嘘ではない。集落に移住した時、親同士が決めたのだ。
凛は三歳の時、両親とともに集落に移住した。その時初めて、舜と出会った。小林先生によく似た、優しい目をした少年だった。
他の住人の子供達は、中高校生や大学生だったから都会に残ったので、凛は舜としか遊んだことがない。親達が、人類と集落の行く末を案じて、凛と舜を結婚させようと考えたのは、当然の成り行きだった。
住民達が『桃源郷』と呼ぶこの集落は、6世帯15人。12年ほど前、廃村だった村へ、全員で移住した。
ここでは、科学者として有名な凛のおじいちゃんが、これも科学者である息子夫婦(凛の両親)やその友人達と、地球温暖化に伴う自然破壊の中で生き残るため、実験的な生活を送っている。
住民の職業は多岐に渡っている。
科学者、医者、薬剤師兼看護士、教師、猟師兼エンジニア、格闘家、漁師兼ハッカー、栄養士、建築家兼大工、農業といった具合だ。
そうして、それぞれの能力を活かして共同で暮らしているのだ。
凛のおじいちゃんの小野寺博士は、三十年前、地球温暖化による環境破壊に警鐘を鳴らした。
人類がこのままの生活を維持し続ければ、早晩、海面の上昇とそれに伴う耕地の減少、異常気象とそれに伴う飢饉の頻発によって、存亡の危機に立たされるというのだ。
同じような主張をする学者が何人もいて、各国政府や産業界は、それぞれの立場で、二酸化炭素の排出を押さえる努力をした。
しかし、電力会社やガス会社、石油会社などの大資本にできることは、せいぜい二酸化炭素の排出が少ない製品の普及や、電気、ガス、石油の製造過程における効率化までだった。
一般の人々だって、二酸化炭素を減らす必要性を認識しても、今さら産業革命前の生活に戻るには、生活様式が複雑になりすぎていた。
博士は、「人類は、化石燃料と原子力の使用を止めて、即刻、太陽光や風力または波力や小水力などによる発電に変えるべきだ」と力説した。水力発電だって、大規模なものはダム建設に伴って環境破壊が起きるのだ。
博士は正しかった。でも、今更、車や飛行機を使うな、ガスや石炭、それに火力や原子力で作った電気を使うなと言われて、はい、そうですか、と、応じるには、経済活動が複雑になりすぎていた。
その結果、博士の考えは理想論にすぎると批判され、必要以上に危機感をあおる似非学者として袋だたきにされた。
学者は、研究者であって政治家ではない。
自分の限界を悟った小野寺博士は、意を同じくする仲間達とともに理想郷を作るべく、廃村となっていた集落に移住する計画を練った。
そして、たとえ人類が滅びるとしても、人類という種の存続を図るため、箱船のような集落を作ったのだ。
博士は、その集落で、単に生き延びることだけを目指したわけではない。温暖化に伴う環境破壊そのものを改善する研究をしたのだ。
当初、博士は、二酸化炭素を排出しないエネルギーの研究をしていた。現在、集落で行っている太陽光発電や風力発電がその最たるものだ。
しかし、いつまでも消極的な研究では、抜本的な解決にはならないことに気付いて、発想の転換を図った。
温暖化対策で問題になるのは、二つ。
一つは、開発途上国で、将来の飢餓の防止より、現在の餓えの回避に目が行くことだ。人口が増え続ける途上国では、ジャングルを切り開いて大豆やサトウキビを作ることで、餓えをしのいでいる。
ここで、このまま焼き畑を続けると、将来的に一帯が砂漠化すると諭しても、それでは、現在の餓えはどうやってしのげと言うのか、と逆に聞き返されることになろう。
もう一つは、先進国で、化石燃料の利用を前提とする生活や経済活動が行われていることだ。快適で文化的な生活は、化石燃料に依存しているのだ。
博士は考えた。
地球上に異常に増えすぎた二酸化炭素を酸素と炭素に分解することができれば、二酸化炭素の増加を気にすることなく、安心して焼き畑を続けることができ、途上国も現在の餓え対策に没頭できると。
もし、二酸化炭素分子が分解する過程で出るエネルギーを回収できれば、そして、それを電気に変えることができれば、化石燃料がなくなった後――石油も石炭も天然ガスも無尽蔵ではない。いずれ、枯渇する日が来る――も、先進国では、今までと同じ快適な生活ができるのだ。
この考えに至ってから、博士は、日々研究に勤しんでいる。
ただ、この研究は、博士が生きている間に完成するとは思えなかった。その場合、ズッと博士の助手として研究を手伝って来た凛の両親が研究を引き継ぐことになる。それでもできない場合は、凛がその研究を引き継ぐのだ。
小野寺家と桃源郷の壮大な計画だった。
小野寺博士が二酸化炭素の分解の研究に没頭している間、凛の両親は、一帯の山林を買い取って、この集落を特別の領域とした。小野寺博士の研究による特許はいくつもあって、そのパテント料により、この集落の運営をするぐらいの資金はあったのだ。
杉林に囲まれたこの集落は、外部の人が滅多に入り込めない隠れ里に生まれ変わった。
杉林の内側には広葉樹を植樹してある。住民が、十二年かけて、植林を行った結果、昔ながらの里山に成長したのだ。
そのため、一帯は、余所の地域より酸素が濃い。ただ、空間に仕切ができないので、酸性雨も降れば、黄砂も降る。それをなんとか浄化して、作物が育ちやすい環境にし、住民が住みやすい環境にするのが、凛の両親の仕事だった。
つまり、凛の両親は、おじいちゃんの研究を手伝いながら、当面の生活を営むための研究に励んでいたのだ。
集落の人々は、米や小麦、豆類、野菜といったいろいろな作物を自給自足している。鶏だって飼っているし、牛だって何頭かいて、牛乳をとっているのだ。
人々は、小野寺博士の研究の完成が人類滅亡後になったとしても、断固として、この集落の人間と生態系を守るため、必要な生物の存続を図ろうと決意したのだ。
医者の小林先生は、凛の父の親友で、数少ないおじいちゃんの賛同者の一人だった。
凛の父は小林先生の協力を得て、野中夫妻、山道夫妻、水野夫妻、中原夫妻達を招き入れた。
現在、小林先生は、凛の父とともに、この集落のリーダー的存在になっている。薬剤師である夫人も夫を助けて、集落の運営に欠かせない人となっている。
教師の野中夫妻は、奥さんの体が弱かったこともあって、主治医の小林先生が、この集落への移住を勧めた。自然と空気の美しい所だとのふれ込みだった。
猟師と格闘家の山道夫妻は、ひょんなことから巻き込まれた人達だ。
もともと、山道氏は、狩猟が趣味のエンジニアだった。小林先生は、小野寺博士の研究を実用化するには優秀なエンジニアが必要になるとの考えから、集落に移住すると猟師になれると唆したのだ。小野寺博士の考えに共感した山道氏は、猟師になっただけでなく、凛の祖父や両親の発明を実用化するという他では経験できない仕事に取り組むことになった。
奥さんで格闘家の山道夫人は、そんな山道氏の子供っぽい理想主義を微笑ましく思って付いて来た。だが、来てみて、メンバーのすばらしさに感動した。まるで、大人による十五少年漂流記のような趣があるのだ。
漁師の水野氏は、小林先生の幼なじみで悪友だった。彼は、趣味が高じてハッカーをしていた。漁に出ない日は、パソコンを駆使して、某国政府の最高機密にアクセスすることに喜びを感じていたのだ。
水野氏は、集落では海や川で漁ができるだけじゃなく、漁に出ない日は、相変わらずハッカーをして、それが小野寺博士の研究の役に立つというので、二つ返事で引き受けた。恋女房の水野夫人――栄養士で、料理の腕はプロ級だし、山菜取りの名人でもあることから、集落で活躍することが期待された――を見せびらかしたいという不純な動機もあったようだが、それは、彼の可愛らしさというものだ。
建築家の中原氏は、この理想郷に大工が要る、少なくとも、耐震構造の建物を造ったり、既存の建物を耐震化できる人間が必要だという、野中先生の意見で引き込まれた気の毒な人だ。
しかし、定年後は、夫人とともに、自給自足の生活がしたいという希望を持っていた中原氏にとって、小林先生からの申し入れは、予定が少し早くなっただけというものだった。
また、奥さんの中原夫人は、かねがね食料の海外依存を良しとする国の農業政策に疑問を感じていて、ここの実験的な自給自足生活に興味を持ったのだ。
この集落の一番の特徴は、これらの人々が一流の医者、教師、エンジニア、建築家等であるにも関わらず、全員が兼業農家で、衣食住のほとんどを、集落内で完結させているということだ。
全員で行う農作業のリーダーは中原夫人で、実家が専業農家だった夫人は、ここに移住することになってから、農業の猛勉強をしたのだ。
食事に至っては、栄養士の水野夫人をリーダーとする食事係が調理した料理を全員で食べる。
入植当初は、各家庭で個別に食事を作っていたのだが、材料調達の手間や、畑では一気に同じ作物ができてしまうので、できた作物を無駄にしない計画的な献立が求められたことから、いつの間にか、全員が中央にある凛の家で食事をするようになったのだ。
入浴もしかりだ。
それぞれの家庭で個別に入浴すると、エネルギーの無駄が多いことから、広い共同の浴室で順番に入浴するようになったのだ。
つまりは、集落中がオール電化――しかも、この電気は、太陽光や風力そして小水力発電による自然に優しい作り方をしている――の共同体というわけだ。
この集落の人達は、滅多に町に出ない。用事があると、格闘家で町の道場で雇われ師範をしている山道夫人に頼むのだ。
ここの人達が排他的なことは有名で、郵便物や宅配便の配達があるときも、郵便局留めにしてもらったり、山道夫人が雇われている道場気付けにしてもらっていて、集落内に知らない人間が入り込むということは、まずなかった。




