↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/25

わがまま無双

第一話 七日分のわがまま


「却下ですわ」


 リシェルは書類を机へ戻した。

 向かいに立つ式典係のモーリスが、困ったように口を開く。


「しかし殿下、これまでの慣例に従いますと」

「わたくしが眠るのは七日後でしょう」

「左様でございます」

「でしたら、明日の昼食まで取り上げる理由はありませんわね」


 書類には、継承の儀までの予定が細かく並んでいた。身を清める儀式、各国使節との面会、衣装の最終調整。その間に、薄い粥と薬湯の時間が挟まっている。

 リシェルは一か所を爪で叩いた。


「それから、この自由時間というところ。十五分で、何が自由になりますの?」


 窓辺のカイルが吹き出した。

 咳に変えるのが遅かった。リシェルの視線を受け、彼は窓の留め金をいじるのをやめた。


「何か意見がおあり?」

「十五分なら、粥に塩を足すくらいは」

「そういう工夫を求めているのではありません」


 トーマが書類を覗き込んだ。


「食事は、本当にこれじゃないと駄目なんですか。医師が決めた?」

「身体を清浄に保つため、古くから定められております」

「だから、医師が?」

「……儀礼に関する書に」


 リシェルは椅子へ深く座り直した。


「確認なさい。必要なら従います。そうでなければ、昼食を返して。それと、自由時間は二時間」

「殿下」

「三時間でもよろしくてよ」


 モーリスは口を閉じ、書類を受け取った。

 扉が閉まると、トーマが息を吐いた。


「もう少し優しく言えないのか」

「言えば二時間いただけました?」

「それは分からないけど」

「でしたら、結果を見てからお説教なさい」


 カイルは壁の地図を眺めていた。額に入った五王国の地図だ。中央の王城から、四方へ太い線が伸びている。その外側には、地名の代わりに古い街道と廃砦の印があった。


「三時間、何するんだ」

「まだ決めていません」

「暇だったのかよ」

「勝手に埋められるのが嫌なんです」


 リシェルは机の書類を引き寄せた。

 次の紙には、白い花と祈る少女が描かれていた。継承を祝う催しの図案だ。『清らかなる姫君の、安らかな眠りを』と金色の文字が添えられている。


「似ていませんわ」

「美化しすぎだな」

「絵のことではありません。清らか、ですって。誰に聞いたのかしら」


 トーマが笑った。

 リシェルは図案を裏返し、その上に別の紙を載せた。


     *


 朝食は、交渉の結果を待たずに運ばれてきた。

 パンとスープと卵。薄い粥は明日からの予定だった。

 若い侍女が皿を置いたところで、リシェルの手が止まった。


「こちらも、やり直しですわ」


 侍女の肩が跳ねる。


「申し訳ございません。すぐに厨房へ」

「あなたではありません。トーマ」

「俺?」

「この焦げた端に、見覚えはなくて?」


 トーマは皿を見た。白身の片側だけが茶色い。

 カイルが手を伸ばして自分の皿と比べる。彼の分は、もっと焦げていた。


「選んでそれなら、ひどい出来だな」

「火が強かったんだよ」

「火を扱ったのは、どなたですの」


 言い返せなかった。

 リシェルは黄身へナイフを入れ、流れたところへパンを浸した。侍女はまだ盆を持って立っている。


「新しいものをお持ちしましょうか」

「必要ありません」

「ですが」

「食べていますでしょう」


 侍女は三人を順に見た。王女の食卓で言い争う青年たちを、どう扱ってよいのか分からないらしい。

 リシェルは顔を上げた。


「名前は?」

「エネと申します」

「エネ。次から卵への苦情は、そちらへ直接」

「出す前に言ってくれれば助かるよ」


 トーマが付け足すと、エネはようやく少し笑った。

 カイルが蜂蜜を取ろうとして、袖で匙を落とした。受け止める手が、床すれすれへ伸びる。


「よし」

「洗っていらっしゃい」

「床にはついてない」

「今、床に手をつきましたわよね」


 カイルは立ち上がった。

 エネが代わろうとするのを、リシェルが止める。


「その方、洗い場の場所はよくご存じですから」


 カイルの母は城の洗濯場で長く働いていた。幼い彼が籠に潜り込み、洗いたての布を汚して追い出されるところを、トーマもリシェルも何度か見ている。

 トーマの父は台所の納品係だった。二人が城へ出入りしていたころ、退屈した幼い王女が倉庫へ入り込み、三人まとめて叱られた。

 最初に命じられた共同作業は、落とした豆を拾うことだった。

 カイルが戻ってくると、リシェルは何食わぬ顔で彼のパンを一つ取った。


「何で減ってる」

「手間賃ですわ」

「何の」

「待って差し上げたでしょう」


     *


 三人が中庭へ出たのは、それから半刻ほど後だった。

 リシェルは侍女頭のマルタから日傘を受け取り、そのままトーマへ渡した。


「持って」

「自分で持てるだろ」

「持てるかどうかを聞いているのではありません」


 カイルが傘の下へ入ろうとして、追い出された。

 庭は継承式の準備で騒がしかった。白い布を広げる者、柱を組む者、鉢植えを運ぶ者。庭師のドルンが頭を下げると、リシェルは薔薇の前に積まれた木箱を指した。


「そこへ置かないでくださいな」

「柱が立ちましたら、すぐに」

「花が日陰になりますわ」


 ドルンは白髪の頭を掻き、二人へ助けを求めた。

 トーマは傘を姫へ返した。箱には金属の燭台が詰まっていて、二人で抱えても重い。壁際まで一つ運ぶと、リシェルが残りを指した。


「あと三つ」

「数えられるよ」


 カイルは取っ手を握った。


「この一往復、左手を使わない」


 右の手首に、細い光の輪が浮いた。

 箱が右手一本で持ち上がる。近くで縄を集めていた少年が、口を開けて見た。


「それ、スキル?」

「そう。制約」

「俺もできる?」

「出ればな」

「どうしたら出る?」

「俺が知りたい」


 箱を置いて戻ると、カイルの手首から光が消えた。

 トーマは次の箱を両手で抱えた。


「真似して片手で持つなよ」

「しないよ」


 少年は少し残念そうだった。

 人間の中には、生まれつきとも修練の成果とも言い切れない力を持つ者がいる。発現の時期も働きも違い、同じ家のきょうだいでも同じ力を得るとは限らなかった。

 カイルは、約束どおり嫌いな料理を食べ続けた週に初めて力を使った。本人はその話を嫌っている。リシェルが知っているので、忘れられることもない。


「便利ですわね。残りも全部お願い」

「急に腕が痛くなった」

「繊細なこと」


 そのとき、鋭い音が庭を横切った。

 柱を支える綱が切れた。


     *


 白い布が風を受けて膨らんだ。

 飾り柱が引かれ、足場が傾く。上の職人が横木へしがみついた。


「下がれ!」


 ドルンの声より早く、トーマは走っていた。

 落下する先に、さっきの少年がいる。箱に足を引っかけ、起き上がれずにいた。

 トーマの手へ光が集まる。長い柄と細い穂先が形になった。

 槍を柱の下へ差し入れる。

 衝撃に靴が土へ沈んだ。

 柄を握る腕に白い光が走り、肩へぶつかった木片が砕けた。


「動けるか!」


 少年は答えなかった。

 トーマは片手で襟をつかみ、自分の足元へ引き寄せた。

 守る相手を定めたとき、彼の身体は人のものとは思えないほど頑丈になる。それでも重さは消えなかった。足が滑り、槍の柄が軋む。


「ドルン! この子を!」


 日傘を放ったリシェルが呼ぶ。庭師が走り込み、少年を抱えて離れた。

 上から職人の声がする。


「降りられない!」


 カイルの周囲に三本の剣が現れた。

 一本が宙を滑り、帆のように膨らんだ布を裂く。風を失った布が落ちた。残りの剣で足場の横縄を切り、彼は自分でも板の端を押した。

 一段下がった作業板へ、職人が足を移す。


「隣の柱へ! まだそっちは立ってる!」


 剣は手から離れていても、カイルの視線と指の動きに従った。ただ、板を押しながら三本を動かすと、一本の先が土に触れた。

 トーマが歯を食いしばる。


「もう、いいか!」

「待って! 右側を空けてくださいな!」


 リシェルの声に職人たちが退いた。

 カイルが片手を上げる。


「いいぞ!」


 トーマは槍を押し、身体ごと横へ回した。

 柱が滑った。

 地面が揺れ、土と木屑が跳ねた。白い布が遅れてその上へ覆いかぶさる。

 槍が光になって消えた。

 上に残っていた職人が、震える声で尋ねた。


「……降りてもいいか」

「今、降りてくれよ」


 カイルが息を吐いた。


     *


 少年の膝と職人の掌には、擦り傷ができていた。

 トーマの服は肩が破れていた。

 リシェルは穴を見つめ、襟元を指した。


「見せなさい」

「平気だって」

「見せてから言いなさい」


 皮膚には薄い赤い跡があった。彼女が押すと、トーマは少し顔をしかめた。


「痛いのでしょう」

「柱が落ちた割には、平気だよ」


 式典係のモーリスが駆けてきた。

 壊れた柱を見るなり顔が白くなる。


「明日の検分までに、これを……まず、お怪我は」

「診ていただきます。その次に、何ですの?」


 柱には王家の紋章を掲げるはずだった。

 モーリスはそれを見て、夜通し作業すれば代わりが間に合うと言った。


「必要ありません」

「ですが、正面の飾りがなくては」

「なくなさい」


 リシェルは切れた綱を拾った。切断面の手前も、毛羽立っている。


「新しい綱は?」

「入荷が遅れて、倉庫のものを」

「柱を減らすという考えは?」

「先例がありませんでしたので」

「今日できましたわね」


 綱を彼へ渡した。


「わたくしの名前を掲げるために、人を落とさないでくださる?」


 モーリスが深く頭を下げる。

 リシェルは庭師の腕の中の少年を見た。


「あなた、名前は」

「ニコです」

「ニコ。次は飾りなんて置いて逃げなさい」

「鉢が、高いやつだって」

「割れたら買います」

「でも」

「わたくしが買います。命令ですわよ」


 モーリスが片づけの人数を呼びに行くと、リシェルはドルンへ作業を止める時間を尋ねた。日暮れまでと聞き、今日は延ばさないよう言った。

 カイルは壊れた燭台を拾い、まだ使えるものを分けた。


「姫様が買うって言ったぞ」

「直せるものまで捨てろとは言っていません」


 彼女は即座に答えた。

 トーマは笑い、歪んだ箱を起こした。ニコが手を貸そうとして、ドルンに座らされた。

 少年はやっと、うなずいた。


     *


 午後の予定はほとんど消えた。

 トーマは薬を塗られ、カイルは切った縄について報告した。リシェルはマルタに叱られた。


「倒れるもののそばへ寄ってはなりません」

「声が届かなければ困るでしょう」

「殿下ご自身が避難することもできました」

「二人がいましたもの」


 言ってから、リシェルは黙った。

 爪の際に残る綱の汚れを見る。


「……次は気をつけます」


 マルタは手洗いの水を用意した。

 夕方に戻った予定表では、昼食にパンと肉が復活していた。自由時間は一時間半だった。


「負けたな」


 カイルが覗き込む。


「譲ったんです。あなたとの無駄話を減らせば足りますわ」


 リシェルは引き出しから小さな鍵を出した。


「これがどこにあるか、覚えておいて。書棚の下の鍵です。手紙と、途中の刺繍を入れています」

「何で?」


 トーマが尋ねた。


「マルタが整理したがるの。わたくしが眠ったからといって、捨てられては困ります」

「捨てないだろ」

「枯れた花を片づけられたことがありますわ」

「枯れてたんだろ」


 カイルを睨んでから、彼女は鍵を元へ戻した。


「あなたには庭を頼みます。白い薔薇を増やさせないで。ドルンは隙があると挿し木をするの」

「本人に言えよ」

「言っても増えるから頼んでいます」


 カイルは笑って、見張っておくと答えた。

 リシェルは机を整え始めた。読みかけの本、インク、返事を書いていない手紙。一つずつ場所を確かめるように動かす。

 トーマはその手を見ていた。


「ほかには?」

「何がですの」

「頼むこと」


 彼女の指が止まった。

 窓の外では、ニコがドルンと一緒に水を撒いていた。廊下から夕食の支度をする匂いが入ってくる。


「明日の朝食。卵を焦がさないで」

「分かった」

「二人とも遅れないこと」

「まだ七日あるぞ」

「七回しか朝食がない、とも言えますわね」


 カイルが口を閉じた。

 リシェルは手紙を引き出しへ収めた。


「冷めると、おいしくありませんもの」


     *


 部屋を出て廊下の角を曲がると、トーマが立ち止まった。


「お前、納得してる?」


 カイルは二歩先から振り返った。


「何に」

「眠ることも。そのまま、十年くらいで……」


 最後まで言えなかった。

 遠くで、食器を運ぶ音がした。


「納得した顔に見えたか」

「見えない」

「なら聞くなよ」


 しばらく二人とも黙った。

 やがてカイルが、姫の部屋のあるほうを見た。


「あいつには、まだ言うな」

「何を」

「何も思いついてないから、何も言うなってこと」


 トーマはうなずいた。

 明日は墓所を見に行く。知っている人に、まず聞く。それだけは決まった。

 トーマは柱を支えた手を握った。ニコを引き寄せた重さが、まだ指に残っている。

 隣でカイルが歩きだした。


「厨房、寄るぞ」

「何で」

「明日も焦がしたら、お前、七日間それを言われる」


 トーマも歩きだした。

 今日のうちに教わっておけることが、一つはあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。