36話 凍てつく群青で舞い踊る
聖法歴1019年2月3日
今日は、私とゼインの二人で軍の訓練場を訪れていた。
先に連絡はしてあるので、すでに向こうは待っていることだろう。
施設内を歩いていると、他に人の気配は薄い。
それもそのはず。
軍全体の休息日で、最低限しか人はいないのだから。
わざとこの日を狙い澄まして、彼との日程を調整した。
ゼインが人に見られたがらなかったのもあるけど、向こうも似たような理由を望み、互いの意向を汲んだ結果である。
……彼の気持ちも分からなくはない。
先月、ゼインがあの「無双」と戦い、彼を殺害したとまことしやかに囁かれていた。
事実を知る者は少ないはずだったが、どこからともなく噂が流れていた。
彼自身、噂を真に受けてはいないと思うけど、それぐらいの力量はあると察しているだろう。
そこへ来て、今回の申し出だ。
彼じゃなくても身構えることだろう。
今回の用件は“ゼインに摸擬戦形式で稽古をつけて欲しい”だった。
前とは別に、ゼインは格闘主体で、向こうは魔法を織り交ぜてと伝えてはある。
返事はいつもと変わらなかったけど、心なしか緊張の様子が見え隠れしていた。
そんな彼に申し訳ないとは思いつつ、他に適任が思い当たらなかったので辛抱してもらうことにした。
◆◆◆
訓練場に足を踏み入れると、予想に違わず彼らは待っていた。
「やぁ、シモン。今日はお休みなのに、わざわざお願いを聞いてくれてありがとう」
「構わない。私も彼の成長は気になっていたところだ」
ゆっくりと歩み寄りながら挨拶を交わす。
彼――シモン・アルドリットの傍らには、副官のカイラ・ステファンがひっそりと控えていた。
視線に気付くと、挨拶代わりに軽く会釈をされた。
私も微笑み返してシモンに向き直る。
「事前に伝えたとおり、ゼインに稽古をつけて欲しいんだ」
「その前に一つ聞かせてくれ。……ゼイン、君は本当にあの『無双』イアン殿を下したのか?」
二人の目がゼインに向かう。
彼は仏頂面を浮かべてぼそりと呟いた。
「……痛み分けだ」
告げられた真実に二人は異なった様相を現した。
カイラは驚きで目を見開き、シモンは難しい顔をして口を引き結ぶ。
私は、二人が誤解を生まないよう補足した。
「……実は、途中で悪魔たちが乱入したらしいんだ。位階は『百面』と『操作』。片方が監督官に扮し、もう一方が他国の軍人を操っていたみたいでね。『百面』の悪魔に背後から刺され、それが致命傷で亡くなったんだよ」
「……そうだったんですね」
説明を聞いてなお、カイラは驚きの表情を変えない。
一方のシモンはしばらく黙祷を捧げていた。
……彼はイアンとそれなりに交流があったから、気持ちも分からなくはない。
ゼインも小さく鼻を鳴らしてそっぽを向く。顔は不機嫌そうだったけれど、どこか哀愁を漂わせていた。
「ありがとう、真実を教えてくれて」
再び瞼を開いたシモンがお礼を述べる。
そんな彼に、苦笑して肩を竦めるだけに留めた。
「――とりあえず、軽く打ち合ってから本格的にやろう。私も、どれほど力を抑えればいいのか分からないからな」
遠回しな言い方だったけど、それほどゼインの能力を買っているということだ。
その証拠に、ゼインを見る彼の目は鋭く光っていた。
ゼインも異論はないようで、浅く頷く。
「なら、私たちは横で見学させてもらうよ。やりすぎだと思ったら仲裁に入るから、そのつもりで」
カイラと一緒に二人から離れる。
座りながら、彼女が何の気なしに尋ねてきた。
「ゼイン君、あれから更に強くなっていませんか?」
「そうだね。速度頼りの戦い方だったから、ちゃんと技術を磨いたようだね」
「それってオーギュストさんが教えたのですか?」
「いいや、独学……と言えるかは分からないけど、元から身に付けていた格闘術をベースに、あれこれ自分でやっていたみたいだね。どうも、それだけじゃ足りないって言いだして、戦う相手を欲しがっていたんだよ」
私の言葉で彼女は口元をひくつかせていた。
半年ほど前でも手も足も出なかったのに、今はそれ以上になっていると知れば、仕方ないのかもしれない。
「……しっかりと学ばせて頂きます」
気の沈んだ様子で二人に熱い視線を向ける。
ちょうどよく準備が整ったようで、二人は静かに視線を交錯しながら対峙した。
◆◆◆
「――では、始めるとしよう」
シモンの宣誓が静かな訓練場に響き渡る。
それと同時に彼は地を蹴った。
ゼインはその場で迎え撃つ。
振り下ろされる剣を半身で受け流す。
シモンは予想していたとばかりに、手首を捻って切り上げた。
今度はゼインが身を屈め、足を払う。
飛び退いたシモンが地に足を付けると、すぐさまゼインに突撃した。
突き、払い、切り上げ、切り下ろし……。
剣速も段々と上げ、ゼインを測るように矢継ぎ早に攻撃を仕掛けるシモン。
時間にして一分もなかったけど、二人は一度動きを止めた。
「なるほど。だいたい分かった」
剣をおろしたシモンが噛みしめる。
ゼインも肩の力を抜く。
隣のカイラも感嘆したようなため息を漏らす。
以前までの速度に頼った戦い方からだいぶ変わっていたからね。
今も、速度を武器にはしていたが、体の動きや視線でフェイントを交えていたし、無駄な動作が減った。
前は完全なヒットアンドアウェーで、様子を伺うために周囲を動き回っていた。それがダメとは言わないけど、目的無く動くのは悪手だ。飛び道具や誘いを駆使しなければ意味がない。
まだまだ上達の余地はあるだろうけど、今でも中級者ぐらいの実力はありそうだった。
そんなことを考えていると、二人に動きがあった。
どうやら今度はゼインが攻め手、シモンが受け手に変更するらしい。そのうえ、シモンは魔法を織り交ぜるそうだ。
本格的な戦いになりそうで、胸が高鳴る。
カイラも同じようで、固唾を飲んで見守っていた。
「始める前に、私の実力の一端を見せておこう」
シモンはそう言うと、剣を足元で切り払った。
パキパキッ――。
一瞬にして彼の周りには、人を覆いつくすほどの氷柱が無数に現れた。
範囲は約五メートル。
彼を中心に円形に広がっていた。
彼の異名「冷林」の名に恥じない、木々の形を模した美しい氷像だった。
色は深い青色――彼の瞳の瑠璃色を思わせる。
吐く息も白く、その冷たさを物語っていた。
「――さぁ、いつでもかかって来なさい」
戦いの火蓋が切って落とされた。
◆◆◆
ゼインが一瞬にして姿を消す。
以前を想起される動きに、戸惑いが漏れそうになる。
今回は一味違った。
掌底を放つと同時に、もう一方の手も同じ形にしていた。
迎撃しようとしていたシモンも、寸でのところで踏みとどまり、一歩後ろに引いた。
ブラフか追撃か分からなかったけど、今まで見せなかった動きだ。
ゼインは一歩引いたシモンへ蹴り上げを放つ。
剣を持つ手を狙った一撃は空を切る。
彼の視界が防がれる最中、ゼインに氷が殺到する。
まるで木々が成長したように伸びた枝たちは、地面を突き刺しただけで動きを止めた。
ゆるゆると元の姿に戻っていく氷を眺めながら、ゼインは元の位置で静かに息を吐く。
「凄い……、あれを躱すなんて、魔法を使ったのでしょうか」
「いや、たぶん動きだけだね」
身体強化は使っているだろうけど、空間魔法は使っていない雰囲気がある。転移にしても跳躍にしても、揺らぎは感じられなかったし、態勢が崩れた様子もない。
どちらを使ったとしても、不自然さは抜けることはない。自然な転移ないし跳躍を扱う人間は、技量だけ見れば仙人級だ。あんな化け物連中、おいそれと居て堪るものか。
私の声が聞こえた訳でもないだろうけど、シモンの顔が曇る。
彼もゼインが魔法をほとんど使っていないことに気付いたようだ。
「魔法を使う気はないのか?」
「ああ。それだと意味がない」
ゼインの答えにシモンは一度目を瞑る。
再び目を開けた彼が手加減はしない、と告げると、ゼインは同意して僅かに口角を上げた。
そこからは目まぐるしい攻防が続いた。
ゼインが先ほどと変わらぬ速度で縦横無尽に動き回る。
一撃離脱を主体に、隙あらば追撃を加える。
シモンはその場から動かず、視線だけは忙しなく動かしていた。
ゼインの動きをつぶさに観察し、要所要所で氷が彼を襲う。
勢いを削ぐ、動きを制限する、手足を絡めとる――。
直接的な攻撃もさることながら、搦め手を交えてゼインを追い詰めようとしていた。
それらすべてをゼインは避けながら、シモンに迫る。
彼とは数合打ち合うとすぐ離れてしまう。
それもそうだろう。
足を止めれば、容赦なく氷が襲いかかるのだから。
ゼインは氷を砕くことはせず、躱す練習をしている。
視界の端から来るのは当たり前。
時には背後からも手抜かりなく迫る。
さらに悪どいことに、魔力を抜いた氷も忍ばせる。
それすらゼインは躱していた。
時間はとうに五分を過ぎ去る。
それでもなお二人は止まらない。
戦いは激しさを増し、手数もそれぞれ増えていった。
「――そこまでッ! 双方、矛を収めるように」
私の声で二人の動きが止まった。
ちょうど二人が本気になりかけていたところだった。
ゼインは掌底を腹の近くで止め、シモンは両手で握った剣を首筋付近に留めていた。
両者共に力を抜いて距離を取る。
シモンが剣を鞘に納めると、氷が幻想的に砕け散る。
その後、ゼインに歩み寄り、手を差し伸べた。
「……?」
よくわからず首を傾げる彼に、シモンが「健闘を称えた握手をしたい」と述べると、仕方なさそうに手を添えた。
薄い水色の髪と真っ白な髪。
傍から見ると、親子の触れ合いのように感じた。
◆◆◆
「最後に、君の魔法を見てみたい」
二人に近づくと、脈絡なくシモンなそんなことを言い出した。
私たちも興味があったので、彼に視線を向ける。
ゼインはつまらなそうな顔をして「面白くないぞ」と前置きした。
「構わない。どれほどのものか、一目見たいだけだ」
ゼインが手のひらを上にして、彼の目の前に持ってきた。
「……」
無言のまま、そこから炎、氷、雷が次々と生じる。
「……ゼイン、空間魔法しか使えないんじゃなかったのかい?」
驚く二人を余所に、私は思わず問いかけた。
「……別にこれは、生み出せるだけで操作なんてできない。そんな代物、使えるとは言えない」
淡々と吐き捨てる彼に、何とも言えない気持ちになる。
彼にとっての基準は、戦闘に使えるか否かということ。魔法の有無を論じていなかった。
私の懸念をシモンやカイラも気付き、複雑そうに見つめる。
「なにかしら、使えるようには考えたい」
こちらを見ずに、己の手のひらを眺めるゼインの顔は窺い知れない。
ただ、先ほどの声音からは、揺るぎない意志を感じ取れた。
「――そうか。何かあれば相談に乗ろう。多少は力に成れるかもしれない」
「私もです。同じ風属性同士、助言できるかもしれませんので」
シモンとカイラの言葉に、私からお礼をする。
……ゼインは顔を上げず、手のひらを見続けていた。




