34話 揺り籠の決意
聖法歴1019年7月7日
ソール連邦のとある森の中。
二人の男女が密会をしていた。
密会の名の通り、人目をはばかっての行動ではあったが、蜜月の関係という雰囲気はなかった。……むしろ、剣呑とした空気が漂い、男のほうは険しい表情を浮かべていた。
「こっちは忙しんだ、要件だけ言え」
「まぁまぁ、そう焦らずに」
白髪の男――ゼインが目を細める。
宥める女性――ヴェロニカはオーバーな身振りで落ち着かせようとする。
ゼインに余裕がないのも、ひと月前の出来事から端を発した。
先月十日、彼の妹分であるニネットが、悪魔の魔法によって心的外傷を植え付けられた。
孤児院に戻ってから気丈な振舞いをしていた彼女だったが、夜になると悪夢にうなされ、己を傷つける自傷行為を行うようになってしまった。
その日は彼女を陰ながら見守っていたゼインによって止められたが、それ以降、一人にすると似たような行動をとってしまい、放っておけなくなった。
今もユーグやコレットといった頼りになる年長組に任せてはいたが、いつ発作が起こってもおかしくない状態で、ゼインは気が気ではなかった。
そんな彼の苛立ちも原因も知るヴェロニカは、普段の揶揄うような態度は消し、柔らかな表情で彼女の話と前置きする。
流石のゼインも、その言葉を聞き逃すことは出来なかった。ただし、冗談では済まされない、と凄みを利かせていたが。
「今の彼女の状態をどうにかできる方法はありますよ」
「……どんなだ」
「方法は三つ。一つ目は、悪夢を上回る衝撃を与えることです。まぁこれは、確実性に欠けますし、そもそもあなたには向かないでしょうから、却下ですね」
なら挙げるな、と言わんばかりに睨みつけるゼイン。
彼からの圧が増し、「おぉ、怖い怖い」とおどけるヴェロニカは、次の案を出した。
「二つ目、彼女の記憶を封印することです。これはあなたでも出来るでしょうけど、私なら後遺症なくやってもいいですよ~」
彼女の言い草に引っ掛かりを覚えたゼインは、真意を問う。
「……後遺症、あるなしが選べるのか?」
「えぇ、それはもちろん。ただし、後遺症がない場合は、彼女の同意が必要ですね。一種の精神魔法をかけますから、抵抗されれば私じゃ上手くできませんので」
ちなみに後遺症は、魔法がほぼ使えなくなります、と付け加えた彼女の言葉で、ゼインは苦々しく顔を顰める。
ニネットが操られた原因も精神魔法。
操られた魔法そのものを受け入れろとは、彼からは到底言えなかった。
代償なんてもってのほか。
ゼインがやる場合と比べたら、事前に分かるだけマシというぐらいで、代償が重すぎた。
彼女の魔法はそれだけ希少価値が高く、まだ当人には秘密にしていたが、ゼインやヴェロニカ含め四人しかその真価を知り得ない。
そうじゃなくても、回復魔法の上達を喜ぶ姿を奪うことなんて、ゼインにはできなかった。
彼の葛藤が手に取るように分かるヴェロニカが、最後は、と三つ目のアイディアを口にする。
「至極真っ当な方法ですが、彼女自身に克服してもらうしかないですね」
「それができれば苦労しない」
期待した分、ゼインの落胆は大きかった。結局は、自分が出した答えとそう変わりなかったのだから。
「そうですか? 私は最後が一番可能性は高いと思いますけどねー」
確信を持った口調で告げられたが、まだ会ったことすらないはずの人間の声音には聞こえなかった。
訝しげに彼女を見るゼイン。
彼の視線を受けて、ヴェロニカが妖艶に微笑む。
「――大人の女性の勘ですよ。説得力、あるでしょう?」
今まで見たことのない顔つきに、ゼインが厳しい目を向ける。
意に介した様子もなく、まぁ見ててくださいよ、と告げると、ゼインたちの孤児院に向かって移動した。
◆◆◆
孤児院の正面まで来ると、ヴェロニカが物珍しそうに周囲を眺めていた。
「へぇ~、あなたはここで育ったんですねぇ」
確かに彼女の言葉通りではあったが、あまりいい意味に捉えなかったゼインが渋い顔をする。
そんな彼を余所に、お邪魔しま~す、と気の抜けた挨拶をして建物の中へと入っていった。
ゼインはその後を仕方なく追いかける。
今の時間はちょうどお昼前。
みんな集まって昼食の用意をしていたところに、悲鳴が響き渡った。
「――ちっ」
舌打ちをしたゼインがすぐさま現場に駆け付ける。
そのまま事件の張本人の腕を掴み、体から引き剥がした。
「ニネット」
「あっ……、お兄ちゃん……」
ばつが悪そうに視線を下げ、ニネットは力を抜いた。
悲鳴の原因は、料理の最中、ユーグやコレットが目を離した隙に、ニネットがナイフを持ったことによるものだった。
彼女はおもむろにナイフを手にすると、逆手に持ち、自らの身体に突き刺そうとしていた。
偶然それを目撃した他の子が悲鳴を上げたのだった。
ゼインは彼女の手からナイフを奪うと、抱きかかえて厨房を後にした。
そのままヴェロニカを伴って別室に連れ込み、後ろから抱きしめるように椅子に座った。
「重症ですね」
「……だから言っただろう」
少女の思いつめた様子に、端的な感想を述べた。
ゼインが吐き捨てるように言いながら、ニネットが落ち着くまで優しく背中を撫でていた。
先ほどまでの真っ青な顔が幾分か良くなると、ヴェロニカが目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「こんにちは~、初めまして」
「……あっ」
そこで初めてヴェロニカに気付いたニネットが、驚いたような声を零す。
数か月前に比べたら大幅に改善したとはいえ、まだまだ孤児院の子供たちは大人に対して苦手意識があった。
ニネットもそこは変わらず、むしろ今は大人の女性が殊更に嫌悪感があった。
強張った彼女の姿に、ヴェロニカは優しく微笑む。
「安心してください、私はヴェロニカ。そこのゼインお兄ちゃんのお知合いですから~」
明るい声音でヴェロニカは話す。
ゼインは僅かにむっとしたものの、見上げるニネットに静かに頷いた。
改めてヴェロニカに視線を戻したニネットは、消え入るような声で「……ニネット」と自己紹介をする。
まだ怯えの残る瞳ではあったが、彼女のその行動にヴェロニカは笑みを深めた。
「今日はあなたに提案があって来ました」
ヴェロニカの言葉でゼインの手が止まる。
彼の変化をすぐに察知したニネットが、不思議そうに再び見上げた。
それに構わず、ヴェロニカは言葉を続ける。
「今のあなたの状態をどうにかする方法を二つ、考えてきました。一つはあなたの心的外傷を金輪際思い出せないよう、あなたの心の奥深くへとしまい込んでしまう方法。これには、ここ一か月の記憶全部をしまい込む必要がありますから、それだけは覚悟してくださいね」
記憶全てと言われ、ニネットの顔が曇る。
彼女も、現状をどうにかしたいとは考えていたが、自分だけなかったことに出来るほど、面の皮は厚くなかった。
「もう一つですが、これはゼインにはナイショですから、耳を貸してください」
「――おい」
小さく手招きするヴェロニカに、ゼインが冷えた声を上げた。
まだ慣れてもない相手に自分の意志で近づかせるのはどういうつもりだ、と責めるように睨む。
そんなゼインの心情とは裏腹に、ニネットは震えながらも彼の膝からゆっくりと降りた。
驚くゼイン。
一歩踏み出したはいいものの、足が竦んで立ち尽くすニネット。
そんな彼女へ、ヴェロニカは穏やかに声を掛けた。
「ゆっくりで大丈夫ですよ。それと、彼と手を繋いだままでもいいです。少しだけ離れて耳を近づけてもらえれば」
彼女の言葉で、小さく浅い息を繰り返す。
ごくりと喉を鳴らして覚悟を決めた顔をすると、ゆっくりと、しかし確実にヴェロニカの元へと歩み寄った。
「あ、ゼインはそのままで」
立ち上がろうとするゼインを押しとどめる。
中腰になっていた彼は、振り返るニネットの懇願するような揺れる瞳に、不承不承ながらも再び席についた。
二人の手は握られたまま、それでもヴェロニカに近づいて、震えながらも恐る恐る耳を差し出した。
ニネットのそんないじらしい態度を温かく見守る。
「彼に聞こえないように、魔法を使いますからね」
魔法と言われ、びくりと肩を震わせたが、ニネットは小さく首を縦に振った。
手に黒い影のようなものを張り付けたヴェロニカが、小声でニネットに語り掛ける。
「……あなた、今のままでいいんですか? 彼に気遣ってもらって独り占めできていますけど、それってあなたが恐れていたことじゃないんです? 彼の足を引っ張って、彼の自由を奪って。彼を支えるどころか、反対のことをしていますよ。――彼を助けたいのなら、そんなことでいじけてないで前を向きなさい。ただ彼に甘えたいだけなら、そう言って気が済むまで慰めてもらえばいいんじゃないですか? 私は知りませんけど」
驚いたようにゆっくりとヴェロニカを振り返ると、彼女は優しい笑顔の奥で品定めするように目を細めていた。
僅かに開かれた瞳には何の感情も映さず、冷淡な印象を与える。
酷く無慈悲な態度であったが、ニネットにはそれがどこか発破をかけているように感じた。
まだ聞く意志あり、とみたヴェロニカが続きを囁く。
「だいたい、彼があの程度のことで死ぬ訳ないんですから。多少の傷も魔法も、数日寝れば問題ないですよ。……彼を本気で殺せる人間なんて、数えるほどですから」
最後の呟きは、ニネットにはすべてを聞き取ることは出来なかった。
それでも……何となく、彼女の言わんとすることは理解した。
「……ほんとう?」
「えぇ。何なら、傷口の跡を見せてもらいましょう」
ニネットの言葉から聞き取れたゼインが、訝しげな表情を浮かべる。
ゼインを振り向いた二人に、お腹を見せてと言われる。
首を傾げた彼だったが、素直に従った。
「これでいいか?」
服の下、彼のお腹は、薄っすらと割れて硬さのある腹筋と色白な肌があるだけで、ひと月前の傷跡はどこにも見られなかった。
小さなひんやりとした手が彼のお腹を移動する。
朧げな記憶を頼りに、少しだけ力を込めて触れるも、彼の表情は変わらない。
「……お兄ちゃん、痛くない?」
「あぁ、傷はすべて治った」
見上げる顔はいつもと変わらず。
我慢も嘘も感じられなかった。
「……ごめんなさい、迷惑をかけて。わたし、頑張って立ち直るから……」
彼を握る手に力が込められる。
上げた顔は潤んだ目に、今にも泣きだしそうな表情をしていたが、瞳の奥には決心が見え隠れし、光がいくらか戻っていた。
先ほどまでと様変わりしたニネットに、驚愕するゼイン。
何をしたと言わんばかりにヴェロニカを見つめるも、彼女はしたり顔を浮かべて二人を眺めているばかり。
戸惑うゼインにニネットがぎゅっと抱き着いた。
「すぐに元に戻らなくていいんですよ。急な心の変化は、後々に響きますから。今は、昨日の自分より明るくなることを考えればいいですよ。……夜は一緒に寝てもらって結構ですから」
ニネットは顔を真っ赤にし、責めるような目つきでゼインを見上げた。
何でそこまで言うの! と目で訴えかけたが、ゼインとしては濡れ衣もいいところだった。
「あぁ、やっぱり正解でしたか。――彼からは何も聞いてないですよ、ただの想像です」
ニマニマと揶揄うような表情で二人を見るヴェロニカ。
自ら墓穴を掘ったことに気付いたニネットは、羞恥でゼインに顔を埋め、隠れようとした。
辟易してヴェロニカを睨むゼインに、手をひらひらとさせてその場から離れようとする。
「それじゃあ私はこの辺で」
「もう帰るのか?」
「はい。……まだ私は顔を見せないほうがいいでしょうからね」
他の子供たちを慮った言葉に、肩を竦めた。
事実、ゼインが厨房に突入した際も、ヴェロニカは子供たちに見つからないよう廊下で待機していた。
今日姿を見られたのは、ニネット以外いなかった。
「……ありがとう」
彼女の去り際、ぼそぼそとゼインが感謝を口にする。
聞こえていたらしく、気にするな、と言わんばかりに後ろ向きに手を振っていた。
「大丈夫か、ニネット」
「……うん、落ち着いてきた」
まだ若干の恥ずかしさで赤みが残る顔。
それでも、数刻前に比べたらだいぶ元気そうに見えた。
「それで……その。えっと……」
もじもじと言い難そうにするニネットに、気にするなと声を掛けた。
求めていたものとは違ったが、小さく「……うん」と呟いて、彼の顔を見つめる。
「……少し時間がかかるかもしれないけど、ちょっとずつ前みたいに戻るから。……それまで、付き合ってくれる……?」
「あぁ、もちろん」
決意を固めた瞳の少女に、穏やかな笑顔で応えた。
「――そこは、頭の一つでも撫でてあげてくださいな」
どこからともなく顔を出した出歯亀がそんなアドバイスを残した。
「帰れ」
鋭い声を出すゼイン。
ニネットは対照的に恥ずかしそうにしながら、期待の籠った眼差しを向けていた。
ヴェロニカが帰ったことを確認し、視線を戻したゼインが、そんな彼女の態度に目を丸くする。
潤んだまま訴えかけるその瞳に、ゼインがぶっきらぼうな仕草で腕を動かした。
どこか満足げに少女の顔が綻んだ。




