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 その日、真凛と別れた後。風は何となく、帰る気がしなかった。

 

 ——いや、何となくなんかじゃない。理由はわかりきってる。

   この肩を撃ち抜いた男が防衛課の人間だと、そう知ってしまうのが怖いから、帰りたくないんだ。


 深層心理の中で風が最も恐れていること。それは、虎と同じ。

 防衛課が敵に回ったときに心のよりどころを失いかねない、ということだ。

 防衛課が敵に回ったとして、不意を撃たれて殺されるかもしれない。その危機感も、もちろんある。だがそれは、風にとっては街を歩いていても言えることだ。気を張るべき場所が変わっただけで、風の実生活に大きな影響はない。

 風にとってそんなことより怖いのが、孤立だった。父を失い、姉と慕っていた梨奈を、自分の居所である防衛課を、なくしてしまうかもしれない。その恐怖が、彼の足を縛り付けていた。

 

 もっとも、本人にその自覚はあるかはわからないが。


 「はぁ……」


 ため息をついて上を見上げた風の目に映ったのは、電線が張り巡らされた空。

 それは奇しくも、居場所という鎖にがんじがらめにされた風自身の心情と重なって見え、さらに気分が落ち込む。


 プルル、プルルルル。


 だがそのとき、風のセンチメンタルな気分を破り去るような着信音が聞こえてきた。

 場違いに元気溌剌としているように感じるその音に眉をひそめながら、風は()()()()を取り出す。


 「あれ…?」


 しかしそのデバイスには着信はなく、しばし首を傾げた風は思い至る。


 「こっちか」


 そして取り出したのは、()()()。虎との連絡用に使っているほうだ。

 その画面にはしっかりと、『ゲームバカ』と表示されている。虎からの電話で間違いない。


 「今日はファイアウォールの修復にかかりきりになるって言われたから、電話なんて来ないと思ってたんだが…おかしいな」


 つぶやきながら応答ボタンを押し、虎との通話を開始する。すると間髪入れずに、虎が話し出す。


 「周りに人は?」


 聞かれたので周りを見渡し、そして近くの公園へと場所を移動する。

 ここなら、見通しもいいし誰かに聞かれる心配もない、風はそう考えたのだ。


 「たぶん聞かれる心配はないと思うけど…どうした?」


 公園のベンチに座って言った風のその言葉には、沈黙が帰ってくる。

 それに風がしびれを切らして再度、口を開きかけたとき。

 虎は深刻な声で、「…やっぱ何でもない」と言って、通話を切ってしまった。

 風は何度か、もしもしと話しかけてみるも、案の定応答はない。


 「何だったんだ、あいつ」


 風は黒く沈黙した画面を呆然と見つめ、誰にともなくつぶやいた。

 その言葉は、誰の耳にも入ることなくほどけて消えた。




 ◇




 「…やっぱ何でもない」


 虎はスマホと、その向こうで聞いているであろう友に向かって、言った。

 そして後悔とわずかの躊躇が同居する指で、通話終了のボタンを押した。

 

 ——衝動的に電話をかけてしまったけど、自分の考えもまとまっていないのに冷静な説明をできるわけがない。この話は、あいつが帰ってきてからまた改めてするべきか。


 座っている椅子にもたれて上を向き、額に腕を乗せながら虎は考える。思考と事実に感情が追い付いていないのを理解しつつも、呆けるほかにやりようがない。

 乾いた笑い声と、一筋の涙がこぼれ落ちる。


 「あははっ…信じて、いたかったんだけどなぁ」


 そう言った虎の目の前の画面には、一枚のスクリーンショットが表示されていた。



  ・

  ・

  ・



 「………水でも、飲むか」


 どれくらいの時間、その画面の前で固まっていたのだろう。虎は唐突に、のどが渇いていることを自覚した。

 愛用のマグカップを手に取り、蛇口をひねって水をだす。ふと顔を上げて鏡を見ると、そこには、泣きはらした顔の情けない少年が映っていた。

 水を飲むついでに顔を洗い、幾分すっきりとした顔になった虎は、そのままの足で自室から出る。

 そして、風の部屋の横の壁にもたれて腕を組み、風を待ち伏せする。

 しばらくの後、カッカッという足音が響いてくる。


 「おぉ、虎。何してるんだ?」


 話しかけられて初めて、閉じていた眼を開いた虎。

 下手に動いたなら、発狂してしまいそうな気分だ。


 「俺の部屋に来て」


 風は、そういって歩き出した虎についていく。そして、今朝方ぶりの虎の部屋にお邪魔する。

 実のところ風は、襲撃事件の一件もあって、自分の身の安全が確信できるまでの間は別のところに泊まろうと考えていた。だが電話口での様子のおかしかった虎を心配してあわてて帰ってきたのだ。

 もっともそれは、風の一生の秘密だ。


 「さっきから様子がおかしいぞ、大丈夫か?」

 「たぶん、ね」


 弱弱しい笑みでそう言う虎に、風の心配が積み立てられる。

 だがそれは、無造作に見せられたディスプレイに表示された内容に、一瞬にして崩壊を喫した。

 そこには、()()書かれていた。

 


  No.212840748 草薙 唯人

  機動部部長という立場であったが、No.312849749と共謀し、防衛課への明確なスパイ行為を行った容疑で捕縛。

  身体検査の後、幹部による尋問を行ったが、その最中に服毒自殺。スパイ行為に関する具体的な情報の一切は聞き出すことができなかった。

  なお現在行方不明となっている未来予知AI[理]だが、その所在にNo.212840748およびNo.312849749両名が関わっていることは明白である。

  [理]はHDD(ハードディスク)の形で存在していると思われ、迅速な回収が求められる。




 それは、<グリモワール>の手に入れた情報よりも数段詳細な、機密文書。

 虎たち防衛課の構成員に公開されている情報の、その奥底に隠された、日に当たることのない情報。

 それを見た風は。しばらくの間、その現実を受け止めることができなかった。





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