第一話「優しい夜みたいな色。私、好きよ」
風に、生臭い香りがのっている。
「潮の臭いがするわね」
セレンが亜麻色の髪をかき上げた。髪の毛がハラリと流されて、舞う。
その隣には、黒い髪の女――ナンシーが、暗い面持ちで並んでいた。
二人は厚手のショールを肩から羽織り、手には大きめの鞄をそれぞれ持っている。
乗合馬車の窓口にもなっている馬車宿の周りでは、セレンたちと同じく乗合馬車から降りた人や、それを待ち構える客引きの声で賑わっていた。
「……ねえ、本当にこんなところまで一緒で良かったの?」
ナンシーが恐る恐るといった風情で、セレンの顔を覗き込んだ。黒い髪が、ふわりと揺れる。
少しだけセレンよりも背が高いナンシーが、首を傾げるようにそうしているのを見て、セレンは小さく吹き出した。
「馬鹿ね、嫌なら来ないわよ」
言って、ナンシーの背中を叩くと、彼女は「あっ」と悲鳴を上げた。
「さあ、行きましょう。新しい職場が私たちを待っているわ!」
「ちょっとセレン、引っ張らないでよっ」
ナンシーの手を引きながら、セレンは、
――元気が出て、良かった。
そう、思った。少し前までのナンシーは、とても、見ていられなかったから。
■
「ナンシーに会わせてください!」
セレンは修道院の長たるカミユに、深く頭を下げた。
――ナンシーがシャーロットを刺した。
その話が耳に入った瞬間、セレンは自分がどうしたのかを覚えていない。
周りの話では、喉が張り裂けんばかりに絶叫し、泣き叫んだのだという。
ようやく落ち着いてから聞かされたのは、刺したナンシーが反省房に入れられたこと、刺されたシャーロットが一命を取り留めたことだった。
「シスター・ナンシーと会わせることはできません」
甘い香の匂いをまとわせ、疲れ切った顔色でカミユが言う。
セレンが「なぜ」を問うよりも早く、
「今回の一件が、痴情のもつれであることは理解しています。その原因がシャーロットにあることも。
ですが、この地の領主たるオーウェンの者が命を脅かされたという事実もまた、そこにあるのです」
深いため息が、院長室内に響く。
「シスター・セレン。貴女がシスター・ナンシーと深い仲であったことは、私も知っています。
故に伝えます。諸々詰めねばならない話はありますが、シスター・ナンシーは悪いようにはしません。ですから、今は待ちなさい」
――それに、彼女もまた、一人の時間が必要です。
その言葉に、セレンは唇を噛みしめるのだった。
□
ベッドと、小さな机、そして便壺があるだけの部屋。
格子のはめられた窓には、虫除けのポプリがぶら下げらている。その紐はあまりに短く、細い。
ナンシーは、
――あの紐では用をなさないわね。
などと、ぼんやりとした頭で考え、自分の黒髪を撫でた。
長く伸ばした、黒い髪。今はかつての艶はなく、枝毛も増えた。
ナンシーは、この黒髪が嫌いだった。
「黒とは珍しい髪色だ。成人した際には私の妾として迎えたい」
町役人の娘であったナンシーが、とある子爵に見初められたのは、まだあどけなさの残る少女の頃だった。
母方に東の血が混じっているらしく、母譲りの黒い髪はこの国では珍しいようで、どこに行っても人目を惹く。それが、ナンシーには煩わしかった。
ナンシーの父は子爵の申し出に喜び、ナンシーは成人を迎えると同時に、彼の下に送り出された。母は、少し悲しんでいた。
ナンシーは、父よりも年嵩で、腹の突き出た子爵の妾になることは複雑な思いがあった。しかし、貴族に逆らうことなどできるわけもなく、その身を捧げた。
――初めては、酷く痛かったのを覚えている。
重くのしかかられ、逃げることもできない。
子爵は執拗なまでにナンシーの黒髪を愛で、そこに彼なりの愛情を注いだ。
「ああ、その黒髪は実に美しい。我が家にも同じような黒髪の娘を産んでくれ」
その言葉に、ナンシーは背筋を震わす。
それを子爵は、ナンシーが快を感じているのだと思ったのか、気を良くして動きを早めた。
身体の芯に与えられる苦痛に耐えながら、視界の端で自分の髪が揺れる。ナンシーには、それがどうしようもなく憎く思えた。
そんな生活が、一年、二年と経った頃。
「この石女が! お前のような女は要らん!」
一向に孕む気配のないナンシーに腹を立てた子爵は、彼女を子爵邸から追い出した。
家に帰れば、役人の父からは罵声をもって迎えられる。
なんでも、閑職にまわされたのだと言い、それもナンシーが子を産めなかったからだと罵った。
母は、泣いていた。泣いているだけで、何もしてくれなかった。
そうしてナンシーは逃げるように家を出て、それからしばらく各地を転々とする。皮肉なことに、黒髪の珍しさと子爵に仕込まれた手管で路銀には困らなかった。
やがてナンシーは、オーウェン辺境領の修道院へと流れつき、
「あっ、貴女が同室の新しい娘ね。私はシスター・セレン。貴女よりほんの少し先輩よ!」
そう言って、ナンシーよりも少し背の低い、亜麻色の髪の修道女に出会った。
「ところで、黒なんて変わった髪の色ね」
セレンの何気ない言葉に、ナンシーは「そうですね」と笑顔を作って返す。慣れたやりとりだった。だが、セレンは柔らかくほほ笑み、
「優しい夜みたいな色。私、好きよ」
こんなふうに屈託なく言われたのは初めてで、
「えっ、ちょ、どうしたの? なんで泣くの? え、夜みたいって嫌だった?」
ナンシーは、我知らず涙を流していた。
セレンはわたわたと慌てていて、ナンシーは「なんでもないの。よろしくね、セレン」と涙をぬぐって、そう言った。
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