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わたくしは知らないうちに魔法を使っていたらしい。とても不思議で、全く実感が湧かないわ。
ふと、痛かった足が動かせるようになったことを思い出した。
「レイラ、わたくしは何の魔法が使えるのかしら」
「あー、それは私にも分からないです。調べてみます?」
「調べられるの?」
「神殿へ行けば分かる」
マチルダがじっとわたくしを見つめる。新しいおもちゃを買ってもらった子供のように、好奇心で目がキラキラしている。
「この国は全ての国民が八歳で学校へ行き、十歳でステータスを調べる。その時に自分の適性を知るんだ」
「貴族も農民も、ってこと?」
「貴族はもういない。金持ちやなんかは神殿へ寄付をして、もっと幼い頃に事前に調べてもらうこともあるな」
「国民じゃなくても調べられるの?」
「寄付があれば調べられるが、そうだな……国民になってもらおうか」
マチルダはニヤリと笑った。
「身分が得られるのは嬉しいけれど、簡単になれるものなの?」
「いくつか方法がある。手を回しておく」
お金でも積めば買えるのかしら。わたくしは持っていないから、マチルダが用意してくれるのよね。
素性不明で奴隷にならなくて良かったわ。
安心してため息が一つ出た。
「さて、今日は疲れただろう。うちに泊まってはどうだ。部屋はある」
わたくしのため息を見逃さなかったのか、マチルダが提案した。
屋根がある場所で寝泊まりできるなんて幸運だわ。マチルダを完全に信用できる訳ではないけれど、街の外に放り出されて獣に襲われるなんて絶対に嫌!
喜んで提案を受けようとしたら、後ろにいたエドガーが叫んだ。
「あ!? うちに泊まるのか!?」
「他に案があるのか。この国の、ましてこの世界のことも分からない少女を一人にする気か」
「宿に泊まるとか」
「情報漏洩の観点から見て宿は駄目だ。レイラの言う”飛び切りすごい人“が呼んだのなら、安全を最優先すべきだ」
「じゃあレイラのところはどうだ」
「結婚前で忙しいだろうに、迷惑をかけたいのか」
エドガーは頑なに何かを言おうとし、しばらくして口を閉じた。諦めたらしい。
ソファの近くに来て、わたくしに嫌そうな顔を向ける。
「来るか、うちに」
「行くわ」
わたくしの返事を予想していただろうに、エドガーは悲しみを浮かべてため息を吐く。
「うちだって新婚だろ」
「あら、二人は結婚していたのね」
「腐れ縁の延長だ」
憂い顔のエドガーの背を叩きながら、マチルダが朗らかに笑った。
イーサンの元へ向かったレイラを見送り、わたくしは再びエドガーと二人になった。マチルダは急用の仕事を済ませたのち、家で合流するらしい。
わたくしは洗練された二人乗りの馬車に乗り込んだ。乗ってきた荷馬車とは段違いの美しさだわ。
市役所が所有する馬車の中でも指折りの高級車で、市長の権限と言うもので使用できる。
と、マチルダがウインクしながら言っていた。
「家まではどれくらい?」
「本来なら馬車も必要ねえくらいの距離だ。すぐ着く」
御者台のエドガーはぶっきらぼうに答えた。
まだふてくされてるのね。いい加減観念しなさいよ。
馬車は市役所を出て、行きに通った家々が並ぶ道を過ぎる。左に曲がると先ほどより大きな家が並ぶ通りに出た。
いわゆる金持ちが住んでいる通りのようね。
その通りの一番奥、他の家より一回り大きい家の前で馬車が止まる。
エドガーが門番に一言かけると、門が開いた。馬車はそのまま敷地に入る。
わたくしの住んでいた屋敷よりはかなり質素だけれど、二人で住むには余りある大きさだわ。確かにこれならわたくし一人泊まっても問題なさそうね。
馬車は玄関の前で止まった。
エドガーが馬車の扉を開けるのを待っていると、玄関の扉が大きく開き、中から老年の女が走り出てきた。
「まあまあまあ! 綺麗な馬車が見えたと思ったら、エドガー坊ちゃんでしたか! どうせこんな馬車に乗るなら、血糊のついた服など着替えて、もっと洒落たのを着れば良いではありませんか!」
「フレイア、ちょっと話が……」
「ええ、ええ、マチルダ奥様はお優しいですからね。何も言わないでしょうとも。でもそれにあぐらをかいていては、いつかきっと捨てられてしまいますよ。私はそう言う夫婦を何人も見てきました」
「フレイア……」
「エドガー坊ちゃんの優しさはよおく存じております。ご長男のオリバー坊ちゃんよりもやんちゃで手がかかりましたけど、本当は心の優しい素晴らしい方です」
「フ……」
「幼い頃より見てきたフレイアが言うのですから、間違いはありません。マチルダ奥様も、エドガー坊ちゃんのそう言うところが良かったのだと思います。ですが先程も言ったように、それにあぐらを……」
ガチャリ、と馬車の扉が開いた。
老年の痩せた女と目が合う。女は驚き固まった。
馬車の扉を開けたのはエドガーだ。
「フレイア、マチルダじゃない。客だ」
「まあああああ!! なんてこと!!」
女は甲高く叫び後ろへ一歩下がったあと、居住まいを正した。
「ようこそいらっしゃいました。ディアス家使用人のフレイアと申します」
フレイアはたおやかに微笑む。目尻の皺が深くなり、薄い唇が弧を描いた。
貴族のそれを思わせる美しい所作だわ。使用人だと言うのに上等な服で、身なりも整っている。
けれども、先ほどの流れる水のように止まらないお喋りが頭から離れない。
「パトリツィアよ」
簡潔に自分の名前だけ名乗り、エドガーを見る。しっかりと目が合った。
「パティも困ることがあるんだな」
「わたくしをなんだと思っているのよ」
エスコートをしようとエドガーが手を差し出したけれど、少し腹が立ったから目で威嚇する。エドガーは苦い顔をして、出した手を引っ込めた。
一人で馬車から降りると、着地と同時にふらりと体勢が傾く。
ああ、足に力が入らないわ。
倒れると思うより前に、肩をしっかりと抱き止められた。
「パトリツィア様、どこかお加減が悪いのですか。エドガー坊ちゃん! 女性が馬車から降りるのですから、エスコートをなさい!」
「俺が悪いのかよ!」
エドガーは抗議をしたけれど、フレイアは全く気にしていない。
むしろあえて見ないようにそっぽを向き、わたくしに寄り添った。
「さあ寄り掛かってくださいまし。屋敷の案内はこのフレイアがいたします。まずはお体をお清めし、お召し物を新しくなさいまし。お腹は空いてございますか。軽くつまめる物が良いでしょうか」
フレイアの止まらない話に、わたくしは時々相槌をうちながら屋敷へ入る。
「また後でな!」
後ろからエドガーの声が聞こえたけれど、返事をする余裕もなかった。
ブクマありがとうございます。
第一話を少し書き直しました。
タイトルも変えています。
しばらく試行錯誤が続くと思いますが、どうぞお付き合いくださいませ。