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刻まれた名



 どうして連れて逃げたのか。

 それは――男が幼魔を己の幼少期と重ねたからだ。

 野鼠を食い、籾殻を頬張り、蔦をしゃぶる。

 ひもじい思いをし、町や村の片隅を徘徊していた少年時代は、その後の人生に大きく影響を与えた。人を信用せず、いざという時は自身が頼りだと。

 いまでこそ頭領の右腕として砦を取りまとめているが、なんの力も持たないあの頃はいつだって死に直面していた。当時の自分に重ね、つい倒れた幼魔を連れ出したが、本当に助けたかったのは当時の自分だったのだろう。


 そのような考えに浸っている間も、幼魔は男の首に腕を回し、ギュウギュウとしがみついたままだ。この状況は……どうしたものか。魔ではあるが、幼児の扱いなどついぞ知らぬ男はこの事態に困惑していた。

 そんな男の気など知らぬ幼魔は、ここが居場所だとでもいうかのように離れる様子がない。

「おじさん、名前なんていうの」

 ようやく変化が訪れたのは、それからだいぶ時間が経ってからだ。幼魔は男の名前を聞いてきた。しかし男は少しだけ迷いを見せた。男は、本当の自分の名を知らない。いや、そもそもつけられたかどうかも怪しいものだ。砦に拾われた頃、便宜上名付けられた名前はある。……それならば、魔に名前を教えたところで問題はないだろう。

「…………しじま」

「それってどういう意味?」

 肩に埋めていた顔をひょいとこちらに向けると、顔同士が至近距離になった。男を見つめる幼魔の真紅の瞳がきらりと光る。

「本当の名前は?」

 ない、と男は首を振る。そもそも、拾われる前から話す相手などおらず、砦に住むようになってからは暴力が日常茶飯事で、必要以上喋ることは禁じられていたからだ。――だから、しじま(だまる)。

 そんな男の様子を見ていた幼魔だが、次第になにか雰囲気が変わっていった。どこが、とは分からぬが、男はその変化を感じ取る。悪い気ではないが……

「自分もね、ないの。本当は生まれたときおかーさんが付けてくれるんだけど、ね」

 男も人のことを言えた義理は無いが、盗賊稼業をする上で、ある程度自分の中で線引はしているつもりだ。幼い頃より擦り込まれた人間と魔の歴史と、不可侵条約。それを密猟とでもいうのか、絶対に手出しをしてはならぬ条理には触れていない。さて、人と魔の理に手を出した大罪は、誰に裁かれるのだろうか。

 考えを巡らせている間に、幼魔は男からぴょんと降り、ざんばらな髪のひと房を、指でくるりと巻いた。

「よーし決めた。一回しか決められないけど……どっちか自分で選べるんだよ? ほ~ら!」

 ふわっと頬を緩めた幼魔は、その場でくるりと一回転してみせた。するとどうだろう――陶器のような肌は柔らかく、睫毛が伸びて、なにより足の付け根が――

 男は素早く足元にあった麻袋を、幼魔の体に頭から被せた。

「わっ! なにするの!!」

 幼魔は、性を女に決めた……ようだ。

 男の前でそれを披露したが、あまりにあけすけで面食らってしまい、とりあえずの措置として目の前から隠した。特殊な生育環境もあって幼女の裸体に耐性がない男は、自身でも驚くほど動揺したのだ。

 だが、粗雑に扱われたと思ったらしい幼魔は、むくれっ面を男に向けて文句を言う。

「ちょっとー、これどういうことー?」

 しかし話すことが得意でない男は、今の気持ちを上手く伝える自信がない。ともかく現状を何とかしようと、無言で短剣を取り出す。

「え、あの、ちょっと、おじさん? おじさんってば!?」

 不審がる幼魔をよそに、男は自分の頭部に巻いていた頭巾を剥ぎ取りザクリと切り裂いた。そしていくつか切った後、今度は腰の巾着から針と糸を出し、切れ端同士を縫い始めた。盗賊稼業をしていれば、様々な場面に必要な道具がある。それらを最小限に纏め、帯革や靴底など、体中のあちこちに工夫をこらし収納してあるのだ。

 縫物をするその手つきは慣れたもので、やっとのことで麻袋から頭を出した幼魔は、その手元を「ほー」とか「へー」とか、感心しながら見続ける。

 砦の下働きは様々な仕事があり、ほとんどが男に一任されていたため、この程度の縫物は簡単にできる。

「おじさん……これ、もしかして、服?」

 男は、幼魔に出来上がったものを早速頭からズボッと被せる。貫頭衣のようなものだが、きちんと袖まで付けてしまうあたり、男の完璧主義が窺い知れた。

 この場だけ乗り切る用の緊急措置としては立派な衣服となって幼魔に着せられる。

「わー! おじさんありがとう! わー!」

 粗雑に作った服でも幼魔は喜び、くるくるとその場を踊るように回った。手放しの賛辞に照れくさく思いながらも、無表情で道具をしまう。

「ねえ、おじさんのその布も欲しいな。首のとこに巻きたいの! おしゃれしたい!」

 お洒落……? 女性を選んだことにより、着飾る楽しみも出たらしい。まあいいか、と男は口元を覆っていた布を外すと、それを受け取った幼魔は嬉々として首に巻き、ふふふと笑みを浮かべながら端の生地を持ち上げて頬擦りした。

 そして暫く辺りを飛び跳ねていた幼魔は、なぜか急に立ち止まり、膝を抱えて(うずくま)る。もしや体調でも……いや、魔に体調などあるのか、と男は幼魔の行動を観察していたが、しゃくりあげる声が徐々に大きくなり、そこでようやく泣いているのかと思い至る。

「う……おかー、さ……見せ、み、見せた……かった、よぉ……」

 喜怒哀楽の落差が激しいなと、現状幼魔に振り回されている男は、冷静に様子を見る。

 魔に感情がある。親子関係、仲間意識がある。性別は一生のうち一度だけ、幼魔時代に決められる――そして、幼魔であっても計り知れない力を持つ。

 闇で取引されている以上、この世界のどこかで、魔が人間に紛れて暮らしている可能性がある。となれば、人間の力が及ばぬ中、どのようにして〝仕事〟を行えるのだろうか。

 砦の幹部として、この先の方向を探っていかねばならないだろう。

 その間もずっと幼魔は泣いていた。

「……まえ……あた、し、名前……ない……」

 そういえば、魔は生まれた時名前は親に付けてもらうと言っていなかったか? 男は幼魔が言ったことを思い出していた。

 もしそうなら、この幼魔は名前がない。名前がない幼魔は一体どうなるのか……

 個体に対して固有名詞を付けない。

 なぜか男は、その固有名詞がないことが妙に気になった。個別の名前がないことは、この世界になにかしらの不都合が生まれないだろうか……?

 だが、それ以上にこの幼魔が憐れに思え、男はどうしたものかと腕を組み幼魔が泣き止むのを待っていた。しかし、どんなに待てどもよほど悲しみが深いのか、一向に収まる様子がない。そこでふと足元に目をやれば、赤い花が咲いていた。

 幼魔の赤い瞳に似ている……真紅のベルガモット。

 柑橘系の香りが、ふわりと鼻孔をくすぐる。男は屈んで一本花を手折り、くるくると戯れに指先で花を回す。赤い花弁がそれにつられて踊りだすようだった。

「……ベル」

 男から発せられた言葉は、まるで風で揺れる木の葉の音に似ていたが、幼魔の尖った耳はしっかりとそれを捕らえていた。

「ベル? ベルって……」

 幼魔はハッと顔を上げて男を見上げる。すると目の前には一輪の赤い花が差し出された。プレゼントにしてはややぞんざいな扱いだが、幼魔は呆けた顔をして両手でその花を受け取る。

「お前の名前は――――ベル」

 一瞬止まっていた涙が、再びボロボロと零れだす。

「おじさん! おじさんおじさんおじさん!!」

 飛び込むように男に再び抱き付いた幼魔は、ぎゅうぎゅうと思い切り力を籠めてしまい、苦しくなった男が咳込んだことで慌てて力を緩めた。

「あたしの名前ね? あたし、〝ベル〟? わあっ! ありがとう!!」

 無言で頷く男に、喜色満面で全身で喜びを表現する幼魔――ベル。

 男は、目を細めて眺めた。

 ほんの気まぐれに過ぎない己の行動で、こうも感謝されるのは……存外気持ちがいいものだと気付く。

 感情を表に出さないどころか、それが当然のようになっている男にとって、ベルの感情の起伏の激しさはむしろ新鮮で心地が良い。

 だが、相手は魔だ。人間と相容れぬ存在。

 男は砦に戻り、頭領に報告をし、盗賊たちの取りまとめをしに行かねばならない。抱き付いたままのベルの体を引き剥がし、膝をついた男は、幼魔の目を深く覗き込む。人にはありえぬ真紅の瞳が、男の姿を映していた。

 話すのは苦手ではあるが、脳内でまとめた言葉を言い聞かせねばならない。

「ここで別れだ」

「えっ……」

 ベルは何を言われたのか分かっていないように聞き返す。男とこれから行動を共にするのが当然のように思っていたのかもしれない。だが、もちろんそうはいかない。

「ベル。俺は人間で、お前は魔だ。俺は人間の社会に戻――」

「やだ! やだよ!! あたし、おじさんと一緒にいたい!」

「駄目だ。魔であり聡いお前なら分かるよな……ベル」

 幼児のような姿のベルだが、魔の知能は人間を上回る――と言われている。だからあえて厳しい言い方をする男に、ベルは激しく抵抗をしたが、やはり異種族で不可侵というのは理解しているようで、結局は頷いた。

 萎れる姿に、ほんの少し男の意思は揺らいだ。この生まれたばかりの魔とは、ほんの僅かな時しか共にしていないのに、情でも移ったか。

 情?

 そう思った男は内心自嘲の笑みを浮かべる。そんな感情が己に残っていたとは……

 ベルは、やはり賢い魔だけあって人間である男の事情を汲み、しぶしぶながらも了承したが、まだ気持ちの上では納得していないようだ。

「また会える?」

「さあな」

「会ってくれる?」

「約束はできん」

「おじさん!」

 むくれっ面を見せ、ベルはプイッと横を向いた。

「いいもーん。じゃあ私、押しかけるから」

「そういうことを言っているんじゃ――」

「駄目って言われても傍にいれちゃうくらい、もっと強くなるもん。もう決めたんだから」

 爛々と真紅の瞳を輝やかせて、ベルは宣言した。

「おじさんがいい。あたし、おじさんの傍にいたいから、頑張る!」

 そして、男の首に腕を巻きつけて柔らかく抱き付く。健気にも思える台詞だが、相手が魔というだけで空恐ろしく感じるのは気のせいか?

「だってあたしおじさんが好きだし!」

 しかも男を好きだとあっさりというベルに、言われた本人は心拍が止まるかと思うほど驚いた。

「……な」

「あたしはおじさんが大好き! だって私のこと助けてくれた。ううん、きっかけはそうかもしれないけれど、たとえそうじゃなくても、あたしはきっとおじさんに会ったら絶対好きになってた。だから、絶対、ぜーったいおじさんのとこに戻るから! 空けててよそこの場所!」

 何を言っているのだろうか。

 男は考えるのを放棄したくなった。どうやら愛の告白と、将来的な立場の約束をさせられそうになっていることは大体理解はした。理解はしたが、人間と魔というそもそもの立場をベルはわかっているのだろうか。そもそも男がそれを受け入れるのを前提としているのが、まず――

「……ベル、待て」

「だからおじさんの名前付けるね! 私だけの!」

「だからってどうしてそうなる!」

 怒鳴ったことなど何年振りかというのに、ベルはそれに意も介さず「え~、なにがいっかな~」と頭を捻る。男はベルに出会ってから、思い切り振り回されている気がしていた。自分のペースが全く保てないなど初めてだ。頬の傷を頭領に付けられた時ですら感情を一つも表さなかった男が、こんなにも短い時間で喜怒哀楽を万遍なく引き出されるとは。もしこの場面が男を知る者に見られていたら、その男の姿に度肝を抜かれること請け合いだ。

「頼むから、話を……」

 クラクラする頭を押さえながら話を続けようとする男に、ベルはビシッと指さして高らかに宣言をした。

「よーし決めた! おじさんの名前は、デリート!」

 そして、にへっと溶けたような笑顔を見せ、またしても抱き付く。

「デリートおじさん……他の誰でもない、あたしの大事な人」

 汚れてゴワゴワしているベルの髪が男の頬を撫でる。

 男は、なぜか心が凪いだ。ベルの決めた名前が、まるで探していた欠片のようにカチリと収まる気がした。

 他の誰でもない……大事な人。

 何の他意の無い言葉かもしれないが、男は生まれて初めてその言葉をもらい、ようやく自分が〝個〟であってもいい、と許された気がした。

 泥に這い蹲るように一人きりでいた幼少時。奴隷に毛が生えた程度の盗賊砦の下働き時。〝しじま〟として賊の中で力を付けてきたが、単なる呼称に過ぎないその名前には、愛着どころか憎悪対象でしかない。

 そこへ、ひょいとこの幼魔が現れ、男に〝デリート〟と勝手に名付けた。

 やけにすんなりと、男の中に染み渡る。

 だが――

 男は、ぽんとベルの頭に手を乗せ、武骨者らしく荒々しい手つきで髪をくしゃくしゃにしながら撫でた。

「わ、たっ、ちょっとぉ、なにすんの!」

「じゃあな」

 あっさりと話を切り上げ、ベルから体を離した男は背を向けた。ベルの力をもってすれば、幼い魔だが着いてくることは可能だろう。しかし、男の意向を汲んだベルは、その場から動かない。

 先程までの騒々しさとうってかわって静かに受け入れたベルが気になり、男は肩越しに盗み見る。すると……ベルは、俯き目に涙をいっぱい溜め、嗚咽を堪えるよう下唇をぐっと噛んでいた。衝動を抑えるためか、小さな手は下ろされ、男が縫った服を、ぎゅうと握り締めている。

 それを見て、僅かに胸の奥が痛んだ。言いつけをきちんと守ろうとするベルが、とても健気に見え、男は思わず引き返そうと、一度は歩みを緩め……しかし止めようとしたその足は、走り出す一歩となった。

 身も心も精錬してきたとは思えぬほど、幼魔のベルにかなり気持ちが持って行かれている。ベルですらあのように耐えているのに、なんというざまだ。無理矢理気持ちを断ち切らなければ、いつまでもグズグズとその場にいたかもしれない。

 もし――もし、いつか。

 邂逅はほんの僅かな時間なのに、鮮烈なその様は男の心の奥深くにまで刻み込まれた。

 また、会えることがあれば。

 また、と未来に思いを馳せる男は自嘲気味に片頬を緩めた。いつか、また、など先の楽しみをもつなど、初めての事だ。

「ベル」

 もう決して声が届かぬ位置まで一気に駆け抜け、そこでようやく後ろを振り返る。


 ヒュウッ。


 風が男の体を切り裂くように、冷たく吹いた。

 今夜は、とても風の強い日だ。

「名前、ありがとな」

 デリートはぼそりと呟き、再び前を見て走り出す。

 もう、後ろは振り返らなかった。





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