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王を譲ったので、正体を隠して国を旅します!  作者:


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1/5

旅の始まりと止まった治水工事

「イデアール様! ここまで来れば、知っている民も居なくなるでしょう。ようやくのんびり旅ができますな」


ティヒカイトが笑いながら辺りを見渡す。


「そうだな。どこへ行っても声を掛けられていたからのう。ようやく一人の老人として歩けそうじゃ」


「それだけ慕われていたということですよ」


シュングが微笑む。


「まあ……そういうことにしておこうか」


イデアールは苦笑しながら街道の先へ目を向けた。


「しかし、どこへ向かうんだ?」


「目的はない。のんびり国内を回るだけじゃ。そんな旅も悪くあるまい」


「俺は構いません」


「私もです。書庫だけでは分からないことも見られそうですし」


「わしも書類だけでは見えぬものを、この目で確かめたいだけじゃ。民の暮らしはどうか、困り事はないか。それを見る旅じゃ」


「なら、焦る必要はありませんね」


三人は笑いながら街道を歩き続けた。



「もうすぐ町です」


小高い丘を越えると、小さな町が見えてきた。

市場には人が行き交い、荷車が往来している。


「活気はあるな」


イデアールは町を見渡した。


「品物も揃っておる。この規模なら十分じゃ」


「まずは宿ですね」


三人は宿屋へ入り、部屋を借りる。


「さて、どうする?」


「私は本屋へ行ってきます」


「わしは治水工事を見てくる」


「なら、私はお供いたす」



町外れ。

川沿いには大きな工事現場が広がっていた。


だが──。


「……おかしい」


イデアールは立ち止まる。


作業員は数えるほど。資材も少ない。

堤防も途中までしか出来ていない。


「この工事は、もっと進んでいるはずじゃ」


完成予定まで、あと数か月ではない。

本来なら、もう完成していてもおかしくない工事だった。


「イデアール様」


ティヒカイトが隣へ来る。


「治水工事って、こんなものなんですか?」


「いや」


イデアールは静かに首を振る。


「これは遅れているのではない」


少し考え、


「……止まっておる」


「止まってる?」


「報告書では順調に進んでおった」


しばらく工事を眺め、


「少し探ってみよう」


「分かりました」



夕方。


食事処。


「どうだった?」


イデアールが尋ねる。


「行政へ行って聞いてきました」


ティヒカイトは水を一口飲んで続ける。


「工事は予定通り。遅れは一切ないとの回答でした」


「ふむ」


「作業員にも聞きましたが、『自分たちは言われた仕事をしているだけ』だそうです」


イデアールは腕を組む。


「妙じゃな」


「何がです?」


「この工事は一年以上前にわしが許可したものじゃ」


静かに窓の外を見る。


「予定通りなら、終わっておる」


「つまり?」


「誰かが嘘をついておる」


重い空気が流れた。


「ティヒカイト」


「はい」


「もう少し調べてくれ」


「了解」


「だが、今は飯にしよう。腹が減っては頭も回らん」


三人は温かい料理を囲んだ。



翌朝。


「やはり気になる」


イデアールは宿の窓から町を眺める。


「書類だけでは分からぬこともあるものじゃ」


コンコン。


「起きてますか?」


「起きておる」


ティヒカイトが部屋へ入る。


「分かったことがあります」


「話してみよ」


「資材の納入が遅れているそうです」


「ほう」


「ですが、その資材を納めている商会だけは妙に景気がいい」


「なるほど」


イデアールは静かに頷く。


「中抜きか」


「恐らく」


「領主は?」


「気付いていないでしょう」


「……耳が痛い話じゃ」


イデアールは苦笑した。


「王都に居れば、書類だけで安心してしまう」


しばらく考え、


「その商会へ行こう」



町でも一際大きな建物。


「この町にしては立派すぎる」


イデアールは商会を見上げた。


「倉庫は小さいのに、屋敷だけ豪華じゃ」


その時だった。


「おい、お前たち」


派手な服を着た男が現れる。

後ろには文官らしき男。

さらに用心棒と思われる男たちが続いていた。


「昨日から嗅ぎ回っているのはお前たちか」


「そういうお前は?」


「この商会の主人だ」


「なるほど」


イデアールは静かに頷く。


「ちょうど会いたいと思っておった」


そこへ本屋帰りのシュングが合流する。


「二人とも、何をしてるんですか?」


「仕事じゃ」


商人は眉をひそめる。


「何者だ、お前たち!」


「ただの旅人じゃ」


「ふん!なら消えても問題あるまい!」


商人が手を振る。


「やれ!」


用心棒たちが一斉に飛び出した。


「来ます!」


ティヒカイトが剣を抜く。


「久しぶりに体を動かせますね」


シュングは杖を構える。


「ファイヤーボール!」


炎が地面を走り、用心棒たちを吹き飛ばす。


「くっ!」


ティヒカイトの剣が次々と相手を倒していく。


イデアールも杖で相手の攻撃を受け流し、足払いで男を転がす。


「ぐあっ!」


わずか数分で用心棒たちは全員地面に転がっていた。


商人と文官だけが青ざめて立ち尽くす。


イデアールは静かに懐から一本の短剣を取り出した。


柄には王家の紋章が刻まれている。


文官の顔色が変わる。


「ま、まさか……その短剣は……」


イデアールは静かに告げる。


「元ルーエ国王、イデアールである」


その場の空気が凍りついた。


「う、嘘だ……」


「偽物ではない」


文官は震えながら膝をつく。


「建国王陛下……」


商人も慌てて膝をついた。

イデアールは二人を見下ろす。


「文官と商人が結託し、工事費を着服した疑いがある」


「そ、そのような……」


「言い訳は後で聞く」


イデアールはティヒカイトを見る。


「領主へ知らせよ」


「はっ!」


「余の命ではない」


イデアールは静かに続けた。


「一人の旅人として見ても、この町には正しい裁きが必要だ。領主の前で、すべてを話してもらおう」


商人と文官は何も言い返すことができなかった。



翌日。


領主の館。

イデアールたちの前には領主、文官、商人の三人が並んでいた。


「申し開きはあるか?」


領主の問いに、商人は黙ったまま顔を伏せる。

そこへ財務担当の役人が数冊の帳簿を机へ置いた。


「調べた結果、工事用資材の購入費と実際の納入量が一致しておりません。また、差額は商会を経由し、不正に引き出されております」


さらに別の役人が口を開く。


「こちらは文官殿の私邸から見つかった帳簿です。商会から定期的に金銭を受け取っていた記録があります」


証拠を突き付けられた文官は力なく膝をついた。


「……申し訳ございません」


商人も諦めたように頭を下げる。


「すべて……私が指示しました」


領主は深くため息をついた。


「民のための治水工事を食い物にするとは……許し難い」


静まり返る広間。

領主は厳しい表情で二人を見据える。


「文官は役職を剥奪の上、財産を没収。商人も全財産を没収し、被害額の返還を命ずる。それまで牢へ収監せよ」


「「……はっ」」


衛兵に連れられ、二人は静かに広間を後にした。

領主はイデアールへ深々と頭を下げる。


「この度は、私の監督不足でございました」


イデアールは静かに首を横へ振る。


「責めるつもりはない。ただ、書類だけでは見えぬこともある。それを忘れぬことじゃ」


「肝に銘じます」



数日後。


治水工事は再び動き始め、多くの作業員が汗を流していた。

その様子を遠くから見つめ、イデアールは小さく頷く。


「これで良い」


「次はどこへ向かいます?」


ティヒカイトが尋ねる。


「さてのう」


イデアールは青空を見上げる。


「急ぐ旅でもない。面白そうな町があれば、そこへ寄るとしよう」


「また何か事件が起きそうですね」


シュングが笑う。


「事件が無いのが一番なんじゃがな」


三人は笑い合いながら、次の町へと続く街道を歩き始めた。


旅は、まだ始まったばかりだった。

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