15.エクリプシオン <レザト>②
「エマ、見てほしいものがある」
騎士団駐屯所の医務室は、負傷した騎士たちの呻き声と魔力の揺らぎに満ちていた。
その中で彼女は寸分の迷いもなく動き続け、秘石で癒し、薬瓶を操り、痛みに耐える兵士たちに言葉をかけていた。
その忙しさの中で私の声に気づいたエマは、一瞬だけ動きを止めてこちらを見た。
疲労をにじませながらも、微笑もうとした。
「レザト団長……ご無事で何よりです」
「すまない。急ぎで話したいことがある」
私は手のひらを差し出し、そこにあるものを見せた。
血のように赤い秘石の欠片——それを見た瞬間、彼女の表情が凍りついた。
数秒の沈黙の後、彼女は周囲を見渡し、小さな声で囁いた。
「……別室でお話ししましょう」
ただならぬ気配を察し、私は黙って頷いた。
鍵のかかった静かな駐屯所の一室。
扉が閉められる音が、不自然なほど大きく響いた。
エマは無言で欠片を受け取ると、それを掌に乗せ、目を細める。
まるで石の奥に潜む何かを感じ取ろうとしているようだった。
「……これは、輝崩〈きほう〉化した秘石。汚染された秘石が、限界を超えて変質したものです」
その言葉は、まるで呪いのように重く響いた。
「……聞いたことがない名だ」
「当然です。これは魔術院の上層部が封印指定している極秘現象です」
彼女の声が低く、硬くなる。
「そして……これを取り込んだ魔獣は、“エクリプシオン”と呼ばれます。汚染された秘石により変異し狂暴化し、通常の魔獣よりもはるかに強力になると聞きます。私も実際に見たことはなく、本で読んだ知識しかありませんが……」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
私は、彼女が放ったその言葉に、無意識に息を飲んでいた。
「なぜ……それを、隠す必要がある?」
問いかけた声に、自分でも驚くほどの冷気が混じっていた。
それに答える彼女の眼差しは、怒りではなく、恐れに満ちていた。
「団長、考えてください。もし人々がこれを知ったら.......“魔獣の正体は、秘石のなれの果て”だと知ったら、何が起きるか」
彼女は震える唇で、言葉を絞り出した。
「秘石を扱う魔術師どもは怪物を生む存在だと……民は信じるようになります。あの視線——憎悪と恐怖に満ちた、あの目が、今度は……私たちに向けられるのです…!」
彼女は自らの胸に手を当てると、静かに言った。
「この話をすることで、私は高位魔術師としての誓約を破ることになります。でも……私はこの街を守りたい。夫や息子たち、そして団長や……騎士団の未来を」
その目に、覚悟の光が宿っていた。
「ギデオンの傷が癒えない理由も、恐らくそこにあります。エクリプシオンによる負傷は、通常の治癒魔法を拒みます。秘石の“意思”が、癒しを拒絶するのです」
私はゆっくりと頷いた。点と点が、つながり始めていた。
「魔獣は、秘石に引き寄せられている。秘石ランプ自体になのか、“ノーマンが提供した秘石ランプ”のみなのかは、まだ証拠が掴めないが」
その言葉に、エマは目を見開いた。
「……そういえばノーマンの傭兵たちは、魔獣に襲われたことがありませんね。妙に、無傷のまま……」
「奴らは知っている。いや、“制御”している可能性がある」
私たちは黙ったまま、その赤い光を見つめていた。
それは、これから迫る闇の象徴であり、告げられるべき真実の始まりだった。
沈黙の中、私はふと、あの夜のことを思い出す。
あの夜、私は傷だらけで帰還し、彼女——ルチカの腕に抱かれた。
あの瞬間、確かに感じたのだ。
冷たく蝕まれていたはずの肉体に、温かなものが満ちていくのを。
霧のように漂っていた悪寒が、祈りにも似た優しさに溶かされていくのを。
——まるで、逆の力だ。
赤い石の脈動を見る。
そして、ルチカの目に宿るあの“光”を思い出す。
これは、彼女の中にも秘石があるのではないか――いや、それ以上の何かが。
この赤黒い欠片が呪いの結晶だとしたら、彼女の中にあるそれは、願いの結晶なのかもしれない。
「……エマ。秘石には、“選ぶ”意思があると聞いたことがある」
「ええ。特に特殊な精神性を帯びたものには、使用者との誓約が必要と聞きます。まるで、誰かに守られたいと願っているかのように……」
私は目を細めた。
「ならば、彼女は……秘石に“選ばれた”存在なのかもしれないな」
エマが驚いたようにこちらを見た。だがそれ以上のことは口にせず、私はその視線を受け止めるだけだった。
静寂が満ちる中、手の中の石だけが、かすかに脈動を続けていた。
今回の回は物語の“核”にあたる静かな会話ですが、
ここから先、すべてが加速していきます。
次回、幕間の話を挟んで、いよいよリタルク・ルミナリア編になります!




