3.ジョシュアの誤算③ <ジョシュア>
俺はトビアスが眠る宿屋の一室に立っていた。
トビアスの顔面は蒼白だが、シェザハの調合した薬のお陰か、痙攣は落ち着いたようだ。
「この薬はね、ドリュアスの涙を煎じたものなんだ」
シェザハが説明を始める。
「生のまま食するとこのトビアス君のように激しい嘔吐、痙攣や幻覚など多彩な症状が現れる。そして何の処置もしなければそのまま死に至る。しかし煎じれば薬になるんだ。こういうのが薬師をやっていて面白いところだと思うね……いや、すまない。面白いという言い方は失礼だったかな」
「いや、気にするな」
俺は首を振る。
「それでトビアスは助かるのか?」
「安心してくれとは正直言い難くはある。後はトビアス君の生命力に掛けるしかない。幸い、この子はまだ若い。滋養強壮に効くこの薬液を渡しておく。一日三回彼に飲ませてやってくれ。身体の回復に従い、意識もはっきりしてくるだろう」
「そうか……」
俺は溜息をつく。
「ジョシュア君と言ったね。キミもまずは休むことだ。キミのその顔色では、看病する人間が今度は病気になりそうだ。何、今日は僕がトビアス君を見ていてあげるから安心して休むといい」
「薬だけでなく、看病までだと? さすがにそこまでしてもらう義理はあんたに無いだろう」
「……このドリュアスの涙はね、本来ならこの近辺に生息する植物じゃないんだ。もっと深い森の奥、獣人たちの住まう場所に生息している。恐らく過去、獣人の森に住まう者が安易に果実を持ち出し捨てたのだろう。トビアス君がこうなった遠因が、僕のルーツにもあると言うわけだ」
「しかし……」
俺は言葉を挟もうとするが、シェザハは続ける。
「と、いうのは建前で、彼の食べたドリュアスの涙の症例に単純に興味があるんだ。僕も文献を読んだだけだったからね。実際の患者を前にした生の知識が手に入るなんて、滅多にない機会ってワケだよ」
にやりとした笑いを向けるシェザハに、俺は思わず肩の力が抜けるのを感じた。
「フッ、わかった。この馬鹿の行動があんた自身の研究に役立つなら本望だ。では、俺は休ませてもらおう」
「ああ、また明日」
シェザハに見送られ、俺は部屋を出た。
トビアスの無事を祈りつつ、俺自身も疲労が限界に達していることを感じていた。
シェザハの言う通り、休養を取らねばならない。まずは明日への備えだ。
一方で、シェザハの言葉が脳裏をよぎる。
獣人の森……。レザトもまた、そこから来たのだろうか。
そして、こんな危険な果実を持ち出したという獣人たち。
奴らは一体何を考えているのだろうか。
いつも問題を起こすのは考えの足らない浅はかな者たちだな。
頭の中で疑問が渦巻くが、今はそれを追求している余裕はない。
俺は部屋のベッドに倒れ込むと、そのまま深い眠りに落ちていった。
◇◇◇
「……ハッ」
うとうとしていた意識が現実に引き戻された。知らず知らずのうちに、うたた寝をしてしまったようだ。
いかん、俺も疲れが溜まっているな。
シェザハに看病を代わってもらっているとはいえ、5日も経てばこんな風に疲労が蓄積していく。
「まったく、いい加減起きてくれよ……」
視線を向けた先、ぼんやりとした表情のトビアスと目が合う。
「あ、ジョシュア様」
「うおおおおおお!?」
俺は驚愕のあまり、思わず大声を上げていた。
「ひえっ、ど、どうしたんですか〜?」
トビアスが怯えたように身をすくめる。
「ト、トビアス、お前……目が覚めたのか!?」
「へえ? まあ、はい。なんだかすごく体がダルいんですけど……僕、寝過ぎちゃいました?」
トビアスの言葉を聞いて、俺は込み上げてくる感情を抑えきれずに笑い出した。
「……はは、はははは!」
こいつときたら、何事もなかったように目を覚ましやがった!
俺の心配など微塵も知らないで、のほほんとした顔をしている。
その無邪気な様子を見ていると、目が覚めた時に散々しかってやろうと溜め込んでいた鬱憤が、一気に吹き飛んでいく。
「も~、泣くほど笑う事ないじゃないですかぁ! それより、ここはどこなんですか? 確か僕、馬車に乗ってたような……?」
泣いている? そう言われて、そっと自分の頬に触れてみる。指先に、濡れた感触が残る。
……俺は、泣いているのか。頬を伝う涙に、俺自身も戸惑いを覚える。
「ジョシュア様? さっきから黙り込んで、どうしたんですか?」
トビアスが困惑した様子で尋ねてくる。
「……気にするな。それより、話すべきことがたくさんあるんだ」
トビアスは不思議そうな顔で、涙を流す俺の顔を見つめている。
いつの間にか、この馬鹿は俺の心に勝手に上がり込んで、ふんぞり返っているようだ。
涙を流すなんて、男のすることじゃない。弱者が同情を誘うだけの、ただの手段だ。
そう思っていたはずなのに、今まで生きてきた中で、思わず流してしまった涙の記憶は、俺にとって苦々しいものでしかなかった。
だが……今感じるこの涙の塩辛さは、俺は嫌いじゃない。




