ジョシュアの受難「愛と嘘」
空は澄んだ青に染まり、我がローレンス家の庭園には花々が生き生きと息づいていた。
白に近い金髪の巻き毛が、少女の嬉々とした声に合わせてふわふわと揺れている。
「すごいですわ、ジョシュア様! こんなに美しい海が見えるなんて!」
その金髪の少女、クラリッサの紫紺の瞳が、海に向けた感嘆のまなざしで輝いていた。
その無邪気な様子を見つめ、俺は薄い笑みを浮かべる。
彼女の色白な頬が、俺の笑顔にさっと朱を帯びた。
ほんと、何の面白味もない単純な娘だ。
しかし、ディアーデム家はなぜこんな若い彼女を早々に見合いに出すのだろうか。
縁談はディアーデム家からの申し出だったが、年齢を聞いた俺は驚いた。
社交界デビューして間もない娘をすぐさま嫁がせる親はあまりいない。
ディアーデム家は四姉妹でクラリッサは四女。他の姉妹はまだ結婚しておらず、このクラリッサだけ結婚を急ぐ理由は何なのだろう。
クラリッサ自体は、どこにでもいるような素直で純粋な貴族の令嬢だ。特別問題を抱えているようには見えず、むしろその純粋さがかえって不思議に思えるほどだ。
正直なところ、クラリッサと会うのはこれが三度目だが、彼女の無邪気な様子は俺を少女のママゴトに付き合わされているような気分にさせる。
俺には兄弟がいないが、妹のような感じで彼女のことを恋愛対象として見るには、まだ若すぎるように思える。
しかし、そうも言っていられない。俺はどうしてもクラリッサからエリザベスに関する情報を手に入れなければならない。そのためなら、夢見る少女が望む王子様にでも何にでもなってやる。
「クラリッサ、君のその白金の美しい髪は海の青によく映えるね。この庭園の美しい花々もそんな可憐な君が訪れることを待ちわびていたようだ。我がローレンス家はお気に召したかな?」
もじもじと顔を下に向けているクラリッサに、俺は出来るだけ柔らかい声で尋ねる。
「は、はい……とても素敵です。こんな素敵な場所でジョシュア様と二人で過ごせるなんて夢のようですわ…!」
頬を赤らめ、はにかんだ笑顔を向けるクラリッサ。
彼女の無邪気な反応に、俺の内心では皮肉めいた笑いがこみ上げる。
これほど上手く演じられる自分が、どこか哀れでさえある。
どうやら俺の【王子様】としての演技は合格のようだ。
「クラリッサ。今日はお互いの事をもっと知る日にしよう。どうか、君の言葉で俺に語ってくれないかな?」
彼女は一瞬輝くような笑顔を見せたが、すぐに少し迷いがちな表情に変わる。
「ジョシュア様がお望みなら、喜んで! でも、えっと何からお話したら良いでしょうか……」
「何でもいいよ。そうだ、君の身近な人達の事を聞かせてもらってもいいかな? 確か君は四人姉妹だったよね。他のお姉さん達はどんな人達なんだい?」
クラリッサの表情に、微かな影が落ちる。
「お姉様ですか……?」
俺は彼女の顔に浮かんだ微細な表情の変化を見逃さなかった。
なんだ、クラリッサは姉たちに何か引っかかりを感じているのか?
「お姉様たちは、すごい方達ばかりですわ。長女のエヴァンジェリンお姉様は、魔術院でも選ばれた者しか入る事の出来ない秘石諮問機関にお勤めですし、次女であるエスメラルダお姉様も宮廷魔術師としてご活躍中です」
視線を遠く海に向け、クラリッサは姉たちについて語る。彼女の声は誇らしげだが、どこか寂しさを含んでいるように感じられた。
「三女のヴィヴィアンお姉様はまだ魔術院の学生ですが、二属性の秘石を扱える貴重な才能の持ち主として、将来を期待されていますわ。どのお姉さま方も素晴らしい才能を持った自慢の姉たちですの」
「さすが魔術師の名門家系だけあって、皆魔術に秀でているんだね。クラリッサはどうなんだい?」
極力、優しく尋ねたつもりだったが、俺の言葉にクラリッサの目が伏し目がちに下を向いた。
「ふふ、私はお姉様達と違って、魔術の才能はまったくありませんの。それに小さい頃から病気がちでしたので……」
クラリッサの声は小さく、自身と姉たちとの違いに対する複雑な感情が透けて見える。
……なるほど。
彼女は才能あふれる姉たちの陰で、自分の居場所を見つけようともがいているのだろう。この話題は避けた方が良さそうだ。
「で、でも! 魔術は使えなくても、私なりにできることを頑張ってますわ! 舞踏のお稽古やハープの練習も頑張っております! ジョシュア様のお仕事についても、商人ギルドから先生に来ていただいて勉強中ですの。その……お勉強は少し苦手なのですが、将来の夫を支えるために必要なものだと思えば、お勉強も頑張れますわ」
クラリッサの顔が明るく輝き、その瞳は情熱で満ちていた。
俺の中で同情の念がほんの少し芽生える。
この娘なりに非凡な姉たちに追いつこうとしているのだ。
だが、彼女の世界はまだまだ狭い。温室育ちの甘さが随所に見える。
どうやら、彼女が魔術の才に恵まれず、このお見合いに至ったことには何か関係があるようだ。
恐らく、才能を見出せない娘を、親は早々に嫁に出そうとしているのだろう。
「色々と頑張っているんだね。君のその前向きな姿勢、俺は好きだな。クラリッサ」
「すっ⁉……いえ、その、私なりにやっているだけですし……」
優しく声をかけると、クラリッサの顔は驚きと照れの表情を交えて赤くなる。
「そうそう、家族と言えば、あなたの叔母さん、エリザベス嬢の秘石に関する研究について興味があるんだ。実は彼女の書いた本を読んでみてね。驚いたよ。あんな斬新な発想、そして秘石に対する知識の深さ。君の叔母さんは素晴らしい研究者だったんだね」
「本当ですか!? ジョシュア様が叔母様の著書を……」
クラリッサの表情が急に変わり、遠くを見つめるような、憧れに満ちた眼差しを浮かべる。
「エリザベス叔母様は本当に素晴らしい研究者でしたわ。幼い私によく、秘石の御伽話をしてくれたんです」
どうやら、クラリッサと叔母の関係は良好だったようだ。
「それは素敵だね。ぜひ聞かせて欲しいな。君とエリザベス叔母様との思い出話を」
俺がそう促すと、クラリッサは少し照れくさそうに、しかし温かい笑顔で、その思い出を語り始めた。
「私、幼い頃は体がとても弱くて、発作がよく起きたんです。だから、療養のために王都から少し離れた森の中にある狩猟用の別荘で過ごすことになったのですが、その別荘には叔母様が暮らしてらして……」
彼女の言葉は、静かな森の中で過ごした、ひっそりとした生活の一端を垣間見せてくれた。エリザベスは家族との折り合いがつかず、一人で秘石の研究に没頭していたらしい。
クラリッサが療養のために母親と共にそこで過ごすことになり、彼女との特別な関係が生まれたのだ。
「発作で苦しんでいる夜、叔母様はいつも私の枕元でお話を聞かせてくれましたわ。お伽話や秘石の不思議な話を……」
クラリッサの声には、遠い過去への愛しさと、その中に潜む小さな悲しみが微妙に混ざり合っていた。
「お父様に、エリザベス叔母様が私によくお伽話を枕元で聞かせてくれた事を話したら、ひどく驚かれましたわ。私にとっては優しい叔母様でしたけれど、他の方には違って見えていたのかもしれませんね」
しかし、そんな生活はエリザベスがノーマンと結婚したことで、突如として変わってしまった。家族は彼との結婚に強く反対したが、エリザベスは耳を貸さず彼の元へと去ってしまったのだ。
「クラリッサ。もし辛かったら答えなくてもいいんだが、そんな博識で聡明な叔母様が、どうしてノーマン総裁と……」
言葉を選びながら俺は質問を投げかけた。クラリッサは深く考え込み、ようやく口を開いた。
「……わかりません。叔母様は私には何も言ってくれなかったから。ただ、後から聞いた話ですが、叔母様は一族から結婚せずに秘石の研究に没頭する生活を批判されていたみたいですわ。研究にはお金がかかりますから。もしかして、叔母様は秘石の研究を続けるために、ノーマン様と結婚したのかもしれません。でも、それがこんな結末になるなんて……」
彼女が悲しみに暮れて瞳を閉じたのを見て、俺は慌てて彼女を慰めた。
「クラリッサ、ごめんよ。君に辛い記憶を掘り返させてしまって……。叔母様については、俺も本当に残念に思っているんだ。生きているうちに、一度でもお会いできたらと……。もし君が気に留めないなら、かつて君が幼少期を過ごしたその別荘を訪れてみたい。そこに、叔母様の残した何かがあるかもしれない」
「申し訳ありませんが、別荘へ行くことはお父様に禁じられています。叔母様との接触が私にとって良くない影響を及ぼすと判断されたんです。叔母様が結婚されてからは、彼女のことは我が家ではタブーになってしまって……」
彼女の声は微かに震え、眼差しには何かを諦めたような哀しみが浮かんでいた。
「そうか……それは本当に残念だ。あの別荘に行けば、叔母様が当時抱えていた思いについて、何か手がかりがあるかもしれないのにな……」
くそ、ここまでなのか⁉ エリザベスの別荘という情報の宝庫を前に、あと一歩で届かない。
俺は無力感に包まれ、深いため息と共に肩を落とした。
「ジョシュア様、実は……」
クラリッサの声にふと顔を上げると、彼女がどこか決意に満ちた瞳で俺を見つめていた。
「家族だけが知っているんですが、叔母様の死体は見つかっていないのです。私、叔母様がまだ生きていると、どこかで信じているんです」
エリザベスが生きているだと……⁉
その衝撃的な情報に、俺の胸は突然の高揚で震えた。
しかし、冷静さを保ちながら、もっと詳しく知りたいという切迫した気持ちを隠して、クラリッサに尋ねる。
「……詳しく聞かせてもらえないかな?」
彼女は静かに頷き、その深みのある紫色の瞳で俺を見つめながら話し始めた。
「叔母様が失踪してから、リタクロスに向かう道沿いの深い谷で彼女が乗っていたと思われる馬車が見つかりました。その谷は近道だけれど、とても危険な場所なんです。だから普段は誰も通らないのです。叔母様がなぜそんな道を選んだのかは分かりませんが、落ちたら生き残ることはほぼ不可能です。しかも谷が深いので遺体の回収も難しいんです。結局、馬車が確認されただけで叔母様の遺体を確認しないまま、ノーマン様もディアーデム家も、彼女が亡くなったと早々に決めつけてしまったのです……」
クラリッサの紫色の瞳が静かに揺れる。ノーマン、そしてディアーデム家さえも彼女の死を粗雑に扱った事に、彼女が心を痛めているのが伝わってきた。
「遺体が見つからない以上、叔母様がまだどこかで生きているのではないかと、そんな淡い希望を日々強く感じています。そうでなければ……叔母様は私にあんな……」
クラリッサは途中で言葉を濁したまま、黙ってしまった。
何だ、クラリッサは何を知っているんだ?
思わせぶりな態度に苛立ちを覚えるも、何とか顔に出さず思考する。
彼女は待っている。俺が行動するのを。
クラリッサ自身が秘密を明かす、そのきっかけを俺に求めているのだ。
そして、その最も効果的な方法を俺は既に頭に思い描いている。
「愛しいクラリッサ、エリザベス叔母様のこと、そして何より君自身のことをもっと深く知りたいんだ……」
「ジョシュア…様……」
ああ、何も感じない相手になら、こんな簡単に愛の言葉を吐けるのか。
俺は自分自身の言葉をどこか他人事のように感じながら、彼女にそっと唇を重ねた。
「これを、ジョシュア様に……」
「これは、ペンダントか?」
少しの余韻の後、クラリッサから真ん中に特徴的な青緑色の石が嵌め込まれたペンダントが手渡された。
「これは、叔母様が結婚する直前にくださった宝物です。叔母様からは、『もし私に何かあったら、このペンダントを身につけて別荘へ来てほしい』と言われました。このペンダントには、叔母様の別荘に隠された重要な秘密が関連しているかもしれません」
クラリッサの表情に一瞬の陰が差し、淡い哀愁が漂った。
「私はお父様に別荘への訪問を禁じられてしまい、叔母様の願いを叶えることができずにいました。だから、このペンダントを誰かが代わりに使って別荘へ行き、叔母様の真意を探ってくれることをずっと願っていたんです。その方がジョシュア様で本当に良かった……」
クラリッサの微笑みは、太陽の下で優しく輝いていた。その表情からは、長年の願いが叶う瞬間の安堵が滲み出ている。しかし、その笑顔を見るたびに、俺の中に微かな罪悪感が芽生えてくる。
「ジョシュア様、どうかこれを受け取ってください」
そう言って、彼女は首にかけていたペンダントを外し、別荘の鍵と共に俺の手にゆっくりと預けた。
手の中に納められたペンダントは、その軽やかな質感とは裏腹に、ルチカを取り戻すための確かな手掛かりを秘めているように感じられた。
クラリッサの柔らかな表情に触れた瞬間、俺はもはや迷うことなく、彼女をそっと抱き寄せた。
「約束するよ、クラリッサ。俺は必ず叔母様の隠された真実を探り出し、君の愛に…応えて見せると」
クラリッサをそっと抱きしめながら、ペンダントを握りこむ手に力が入る。
手汗でしっとりと濡れたそれは、妙に嫌な感触を掌から俺に伝えていた。
次でジョシュアの番外編は最後です!




