ジョシュアの受難「手繰る糸」
森の深い静けさを切り裂くように進む馬車から、窓の外に広がる緑豊かな木々が目に映る。隣でアホ面で眠りこけるトビアスを横目に、車窓から見える鮮やかな木々の緑を閉じ込めたかのような輝きのペンダントを手にとる。
このペンダントは、クラリッサから贈られた愛の象徴。
俺は彼女の好意を利用しているわけだが彼女もまた、エリザベスの真実を探求するために俺を利用している。
このような相互利用はある種、公平な取引と言えるだろう。
しかし、何も疑わぬ純粋な少女ほど単純で、厄介なものはないな。
それでも、クラリッサが自分に求める理想の王子様像を演じ続ければ、彼女との関係は安泰だろう。
けれど、その中で俺自身が見失われがちであることに、ある種の虚無感を感じざるを得ない。彼女の目に映る理想の姿の背後で、俺自身の本当の姿はほとんど意味を成さないかのようだ。
「……おい、そろそろ起きろ!」
「ふがっ⁉」
何故か急に苛立ち、俺はトビアスの頭を殴りつけた。
そうだ、コイツがいつまで経っても寝こけているそのアホ面が俺を苛立たせるのだ。
「も~ジョシュア様ひどいです~。もっと気を使って優しく起こしてくれたっていいじゃないですかあ」
「なぜ俺が貴様に気を使わなければならん、逆だろうが! そんなふざけた態度でエリザベスの別荘での謎が解けると本気で思っているのか? もう少し気を引き締めろ!」
「ふぁあい、分かりました~いぎぎぎぎ! 痛い! 痛いれす!」
あくびをしながら返事をするトビアスのそのふざけた口を引っ張っていると、馬車がゆっくりと停車した。
森の奥、そこにひっそりと佇む館が姿を現す。
見るからに古びたその建物は、長い間人の手が触れていないことを物語っていた。
色褪せた壁、閉ざされた窓。そこには何年もの孤独が宿っているようだった。
馬車から降り、クラリッサから預かった別荘の鍵を鍵穴に差し込むと、扉は嫌な音を立てながら開いた。
エリザベスの別荘に足を踏み入れると、クラリッサから受け取ったペンダントを首にかけた。
この石が、俺をエリザベスへと導いてくれるはずだ。
「なんだか、幽霊が出そうな雰囲気ですね……」
埃っぽく、ぼんやりとした明るさの中でトビアスが小声で呟くが、俺は気に留めず、エリザベスの書斎を探し始めた。
なんてことはない。書斎はすぐ見つかった。一階の一番奥まった部屋。
何の変哲もない扉を開けた先には、本棚と机。そして秘石だろうか、淡い光を放つ石の欠片の標本が壁に飾られている狭く質素な印象のする部屋だった。
部屋は整頓されており、エリザベスが結婚する際に、自分の足跡を整理したのだろうか。
彼女の几帳面な性格が部屋の隅々にまで表れていた。
しかし、研究に没頭していた研究者の部屋にしては驚くほど何もないその部屋に、違和感を覚える。
その違和感を頼りに部屋を丁寧に調べていくうちに、俺の目は部屋の大きな姿見に留まった。
その美しく装飾された枠は、何かを秘めているかのような謎めいた雰囲気を放っていた。
「これは……」
よく見れば姿見の装飾された枠の上部には、クラリッサから受け取ったペンダントと同じ石がはめ込まれていた。ペンダントを手に、ゆっくりと鏡の前に立つ。
「ジョシュア様、こんな所で身だしなみのチェックですか? 好きですね~」
「うるさい。黙って見ていろ」
鏡の前に立つと、俺の姿がそのなだらかな面に映し出されている。
初見では、どこにでもある鏡のように見える。
しかし、じっと見つめるうちに、ペンダントの光が徐々に増していくのが目に留まった。
その輝きが強まるにつれ、鏡に埋め込まれた石も何か無言の言葉で応答するかのように光り輝き始めた。
そして奇妙な変化が鏡の世界に起こった。
俺の姿が薄れ、代わりに重厚な扉が現れたのだ。
「わわ、すご~い! 扉が出てきましたよ⁉」
驚嘆するトビアスの声が部屋に反響する。
……間違いない。これは鏡に隠された秘密の部屋への入り口だ。
しかし、これは一体どういった仕組みなのだろうか。
秘石研究者としてのエリザベスの知識が、このような魔法の道具を生み出したのか?
何にせよ、今は目の前に現れた扉の探索が最優先だ。
「入るぞ」
俺に隠れるようにひっつくトビアスを背に、俺はゆっくりと扉を開けた。
扉を開けた先に広がっていたのは、薄暗さの中にわずかな光が差し込む静かな室内だった。
手持ちのランプに火を灯し、周囲を照らすと、部屋の全貌が明らかになった。
狭いが長い通路のような空間の両側には、書物や資料が山積みになっている。その先の行き止まりには、机が一つ。その上には、一枚の手紙が置かれていた。
『愛しいクラリッサへ』
エリザベスの流麗な筆跡で記されたその言葉。
ここには、もしかすると重要な手がかりが隠されているかもしれない。
俺は手紙を丁寧に開き、目を通し始めた。
愛しいクラリッサへ
君が今、どのような思いでこの文字を追っているのか、想像するだけで胸がいっぱいになるよ。
君が私に聞きたいこと、知りたいことが山ほどあるのは分かっている。
私も本当は君にたくさん話したいことがあるけれど、この限られた紙面にはとても収まりきらないから、大事なことだけを伝えるね。
君が私を心配してくれる気持ち、とても嬉しく思っているよ。
でも、どうか心配しないで。私は元気だし、今の状況もすべて計画通りのこと。
ノーマンから逃れるため、そして私の生涯の研究を守るために、決断したことだ。
君が幼い頃、私がよく読み聞かせたおとぎ話、覚えているかな?
あの話は、ただのおとぎ話ではないんだ。
遠い昔からシュヴァルツェルト領に伝わる、幻の万能の秘石「オーラム・マギカ」についての伝承がある。
その伝承を下地に、君を主役に創作したのがあのおとぎ話だ。
私はそのオーラム・マギカをノーマンの手から守るため、かの地の古からの守護者たちに協力を求めるつもりだ。
クラリッサ。これ以上の事は、君に危険が及ぶ恐れがあるため伝えることは避けよう。
真実を求める者は、過去を掘り下げ、隠された糸を手繰る勇気と覚悟が必要なのだから。
クラリッサ。
君と過ごしたこの場所の記憶は私にとって一番の宝物だよ。
離れていても、私の心はいつも君と共にある。
君が幸せであることをいつも願っているからね。
いつまでも君を思って
エリザベスより
「ふむ……」
「ジョシュア様、なんて書いてあったんですか~?」
手紙を読み終え、俺は深く考え込む。
そうか……全てはこの幻の万能の秘石「オーラム・マギカ」に繋がっていたのだ。
ノーマン、レザト、そしてルチカ。全ての要素が一つの線で結ばれている。
「トビアス、シュヴァルツェルト領へ行くぞ」
「へえっ⁉ なんで僕も?」
「うるさい、ここまで来たら最後まで付き合え。…ルチカを取り戻すための準備が整った」
エリザベスがクラリッサへ残した手紙には重大な事実が書かれていた。
『オーラム・マギカ』がどんな秘石か分からないが、秘石研究者であった彼女が人生を捧げて取り組むこの石は、きっと凄まじい力を秘めているに違いない。
しかしルチカは、とんでもなく厄介な状況に置かれているな。
皆がこの秘石を求め、あいつへ接触を試みようとしている。
このままいけば、シュヴァルツェルトの地は、いずれまた争いを生むに違いない。
それならば、俺はアイツをどこか誰の目の付かないところへ連れて行き、匿うほかないだろう。
俺のそばにおいて、誰にも知られず、俺だけの……。
「ジョシュア様~。ここは調べなくていいんですか? 何か他にも大事なやつとかあるんじゃないですか?」
トビアスの声に思考を中断され、我に返る。
……俺は今、何を考えていた? とにかく、ルチカは我がローレンス家で保護するのが最良だ。
ノーマンは論外として、レザトも英雄の皮を被った、しょせん獣人の男だ。
腹の内ではこいつも何を考えているか分かったもんじゃない。
俺たちはそのあと、手紙の置かれていた部屋も調べてはみたが、オーラム・マギカに関する詳しい記述を書いた本や手記は発見できなかった。恐らく、エリザベスが意図的に処分したのだろう。
◇◇◇
王都へ戻る道中、薄暮が森を染める中、念のためにエリザベスからの手紙を再度開いてみて驚いた。
あの時は暗闇に紛れて見落としていたが、クラリッサ宛の手紙が入った封筒の中にもう一枚の紙が添えられていた。
これはエリザベスが残した、秘石に纏わる最後のメッセージかもしれない。
俺は心を落ち着け、再びその手紙へと目を向けた。
「昔々……?」
妙な書き出しに、一瞬首をかしげる。まるでおとぎ話のようだ。
ふと、エリザベスがクラリッサに語っていたという、シュヴァルツェルト領の古い伝承に基づくおとぎ話が思い出される。
この物語が、エリザベスがクラリッサに伝えたい何か、秘石に関する重要なメッセージを含んでいるのではないかと直感する。
彼女がわざわざこの物語を手紙に添えた意図も、探求する価値があるだろう。
俺はゆっくりと、一文字一文字を丁寧に辿りながら読み進めた。
昔々、深い森に白金の髪を持つ少女、クラリッサが住んでいました。
クラリッサは体が弱く、よく発作に苦しんでいましたが、夜空を見上げることをとても愛していました。
特に星々が空を流れる夜には、光る花が咲く場所へ行き、心からの祈りを捧げていました。
「どうか、この森とここに暮らす全ての人々が幸せでありますように」
とクラリッサは願いました。
ある日、クラリッサは不思議な洞窟を見つけました。その洞窟には、幻の石が輝いていました。
クラリッサの純粋な願いを聞いた石は、彼女に特別な力を与えました。
クラリッサはその力で、困っている動物たちを助け、森を豊かにしました。
彼女の行いは遠くの村にも知れ渡り、人々は彼女を敬いました。
しかし、クラリッサはある願いを叶えることをためらっていました。
それは、自分自身の幸せでした。
クラリッサは他者の幸せを願うことで、自分の幸せを見出していたのです。
ある晩、石はクラリッサに再び尋ねました。
「あなたの願いは何ですか?」
クラリッサは答えました。
「私の願いは、この森とここに暮らす全ての人々が幸せであることです。それが私の幸せです」
石はクラリッサの純粋さに感動し、彼女にさらなる力を与えました。
森は以前にも増して豊かになり、人々も幸せになりました。
そして彼女は森の中で永遠の幸せを見つけたのです。
「……」
読み終えて、その幼稚さに溜息を漏らす。
幼い子供のために作った物語なのだから当然といえば当然だが、夢見がちで子供だまし。
そして自己犠牲を強いる内容に、大人が子供への従順を促す意図が透けてみえるようだ。
なるほどな。クラリッサのような素直で単純な娘なら、いかにも喜びそうな内容だ。
あいにく俺は、こういった類の話は嫌悪感が湧くだけだが。
——そして彼女は森の中で永遠の幸せを見つけたのです。
しかし、どうしてだか物語の終わりが妙に俺の心に引っかかる。
永遠の幸せとは何だ。物語のクラリッサは、一体何を森の中で見つけたというんだ?
「……ハッ、下らん話だ」
手紙を封筒に戻し、視線を車窓の外に移す。
俺の幸せは……俺の願いはただ一つ、決まっている。
待っていろ、レザト。
そしてルチカ。俺は、必ずお前を連れ戻す。
ジョシュアの番外編1も終了して、次回からは本編再開です!
そしてまた不定期ですいません…。




