6.花弁の記憶
夕暮れの瞬間、空は紫色とオレンジ色の幻想的な絵画に変わり、その柔らかな光が森の中に咲き誇るアストレラの花々に微妙な陰影を落としていた。
花は、もうすぐ開花しそうなほどに蕾がふくらんでいる。
私は今日も、レザト様と共に花のお世話をしていた。
「このアストレラ、もうすぐ咲きそうですね」
レザト様の声は、この夕暮れ時に溶け込むような、しっとりとした柔らかさを帯びていた。
「ええ、楽しみです!」
私は微笑みながら答える。
レザト様はしばらく黙って花を眺めていたかと思うと、風に薙ぐ木々の声に交じるように静かに私に尋ねた。
「……屋敷に来て、二月ほど経ちますが、何か思い出したことはありますか?」
「いえ、あまり……」
私は逡巡しながら答えた。幼い頃の記憶は、どうしても曖昧ではっきり思い出せない。
断片的に思い出すことはあるけれど、いまいち記憶に連続性がなくて、この記憶が本当の記憶なのか…少し考えてしまう。
「私はレザト様と幼い頃にあったことがあるんですよね? どんな子供でしたか?」
レザト様なら、私の知らない私を知っている。
今まで彼に私の子供の頃の話は聞いた事はなかったけど、レザト様から話を聞けば、何か思い出すかもしれない。
「……とても利発な子でした。お父様の柔和な性格、お母様の勇敢さを併せ持った子供でしたね」
「勇敢? お母様がですか?」
レザト様の意外な答えに、思わず聞き返してしまった。
あまり女性を表現する時に使わないその言葉に、私の中のぼんやりとしていたお母様の姿がゆらゆらと揺らめき始める。
「あなたのお母様は元冒険者だと聞いております。この領地での冒険途中にあなたのお父様と出会ったそうですよ」
レザト様の声は、懐かしさの中にどこか悲しみが隠れているような切ない響きがあって。
その横顔は夕日に照らされて綺麗だけど、どこか寂しげで。
なのに私に顔を向けた瞬間、微笑む顔はとても優しげで。
その刹那、記憶の奥底から何かがふわりと浮かび上がって来るような感覚があったけれど、またすぐ底へ底へと沈んでしまった。
「レザト様……」
「ルチカ、どうしました? なぜ、涙を……」
レザト様が慌てた様子で私を見る。
「分かりません。私、今何かとても大切なことを思い出せそうだったのに…でも、思い出せなくて、感情だけが溢れてきて……」
「それはきっと、まだ思い出す必要がないからでしょう。ゆっくりでいい。無理に思い出そうとしなくてもいいのです」
「そう、なのかな……でも、すごく苦しい……!」
下を向くと、涙がぽたぽたとアストレラの花に落ちて、蕾を濡らす。
「ルチカ……」
その瞬間、何か温かいものに包まれた感覚が広がった。
「レザト…様?」
突然の行動に、胸が高鳴る。
レザト様が、そっと私を抱きしめていた。
「お許しを。あなたが涙を流す姿に、何もせずにはいられませんでした。もし私の胸が、その涙を拭い去る場所としてお使い頂けるなら……どうか、このまま」
私は無言のまま、レザト様の胸に頭を預けた。
レザト様の体温、心臓の鼓動、匂いに満たされると、すごく安心する。
レザト様の指が、ゆっくりと私の髪を撫でて、その優しい触れ合いに私はうっとりと瞳を閉じた。
「……落ち着きましたか?」
「はい……ありがとうございます」
しばらくして、泣き腫らした私の顔をレザト様がそっと覗き込む。
私が泣き止んだ事を確認して、レザト様が離れた。重なっていた影が2つに別れる。
「日も暮れてきました。そろそろ屋敷に戻りましょうか」
「そ、そうですね……」
レザト様が歩き出す。その後ろ姿を見つめながら、私は彼がくれた温もりを逃さないように、両肩をぎゅっと抱きしめた。




