0034 七月の水害で再度考えたこと
↓2018.07.12-26
七月の水害で再度考えたこと
河川の堤防が決壊すると浸水するような場所は、河川の一部である、という考え方を私はしている。だから、その河川の一部の中に家を建てるような人は、自分と家族の命を守るということすら考えることが出来ない人だ、と私は見なしている。少なくとも、いつかは河川が氾濫する可能性があると認識しているべきだろう。「警戒地区」と指定されることを妨害するような人々が大勢いることを考えれば、判断する責任を人任せにしておいていいようなことではない。例えば、無理に開発した新興住宅地に警戒心を抱くのは当然のことだ、と思っている。(リスクを承知していて、それでもメリットがあると考えて住むことを選択したのなら、まだ理解出来る。)
それはさておき、河川の堤防を強化しておくべきだった、と発言するような人々がいたのだが、本当にそれだけで犠牲者を減らすことが出来るのか、という疑問を私は持っている。
例えば、今回堤防が決壊した河川に碌な堤防がなかったとしたら、どうだろうか。おそらく人々は、河川の水があふれてくるのが当たり前だと思って、さっさと避難していたはずだ、と私は考える。その場合、犠牲者(死者及び行方不明者)はほとんどいなかったはずだ。
しかし、河川が氾濫するはずがないと思って家にとどまった人々がいたという報道があったところを見ると、堤防があるからこそ逃げなかったという人もいたのではないか。
仮にもっと堤防を強化したとしよう。その場合、堤防の決壊の頻度を、十年に一度から百年に一度くらいに減らすことは出来るかもしれない。しかし、現実問題として、上流の雨水が一気に下ってくるような日本の国土で、極端な豪雨による水害を完全に防げるだけの堤防を作ることが出来るとは思えない。
堤防を強化すると、人々はますます避難するということを考えなくなるだろう。そして、それでも水害が発生すれば、その(家屋などの)被害は、必然的にその堤防の強度に比例した大きなものになるはずである。大勢の人々が犠牲者になる可能性が高い。
河川が氾濫するような場所に家を建てるのを禁止するのが一番いい、とずっと前から私は思っている。しかし、土地に対して「権利」を持っている人々が現実に存在している以上、そのようなことは不可能だろう。何も考えずに家を建てる人を止めるすべもない。
結局、なるべく堤防を強化し、なるべく災害が発生する前に避難させるような仕組みを作るということが、実現性のある対応と見なされるのだろう、と思う。十分な対策ではないと専門家に認識されていたとしても。
というわけで、世の中がどうあろうとも、事前に自分で情報を集めて、自分で判断する癖をつけ、状況に応じた対応をすることが肝心だ、と諦念まじりで考えている。
(避難所の施設を充実させることが重要だろう。地域住民だけではなく、居合わせた人々も利用出来るような施設であるべき。災害の危険性の予報はある程度まで出来ていると思うが、それに応じて気軽に避難出来るような仕組み、・・・「たぶん大丈夫だから」、「めんどうだ」、「また避難か」、「避難所は居心地が悪い」というような心理を回避するような仕組みが必要。避難経路の整備、どのように避難するかという情報の発信、災害が予測あるいは検知された場合の詳細な情報の発信、などが重要。予行演習して、事前に、うまくやれるかを確認し、不具合を改善しておくべき。・・・以上は、思いつき。)




