鵺退治⑤
「何だい、その格好は。転職したの?」
「……少し借りているだけです。着方がよくわからず、遅くなってしまいましたが……。──警部こそ。ちょっと目を離した隙にラスボスにジョブチェンですか? 裏切りネタは、もう古神姉妹がやってます」
「私は裏切ってなどいないよ。これが本来の姿をなんだ。私は初めっから、悪の大魔王的なアレなのさ」
と、微妙に締まらないやり取りが続く中、宰は密かに手を伸ばし、ライターを掴み上げた。
そして、空鳥の様子を伺いつつ、静かに体を起こす。
「だいたい、何故バドミントン? ラケットなんかで魔王に挑む勇者がどこにいるんだい?」
「……ひのきのぼうよりマシです。……ところで、ここで一つ推理を披露しましょう。──私はあなたを、必ず焼き斬る」
彼女がラケットで軽く肩を叩きながらそう告げた直後、
「篝さん!」
少年は、手の中の物を放り投げた。
回転によってわずかに蓋を閉じたライターは、空中で弧を描いた──と思いきや、すぐに失速してしまった。
しかも、よりにもよって空鳥の足元に落ちたではないか。
「す、すみません! 僕肩弱くて!」
姉の方はシッカリブーツを届かせていたのだが……。
宰は慌てて拾いあげに行こうとするが、すでに遅く。空鳥は無言のまま、ワザと見せつけるようにそれを踏み潰してしまった。
彼が足をどかすと、そこにはオイルに塗れた鉄屑が。
「……さっそく破綻してしまったようだが?」
「……………………問題ありません」だいぶ長い間があったが「……私は探偵ですので」
「ハハハ、君は本当にワンパターンだねぇ。……まあいいか。さっさと失敗作を処分するとしよう」
冷たく言い捨てると、彼は再び手を掲げた。その動きに従い、最初のマジュウが燎子たちの方へと弾き出された。
すると、姉妹が彼女の前に立ち、それぞれ袖口から発射された糸と仕込み刀で攻撃を受け止める。
「邪魔者は私たちが引き受ける。ベタだが燃える展開だなー」
「……さっきの推理、絶対成立させろよな」
彼女らの言葉を、燎子は相変わらずの能面ヅラで聞いていた──が、多少普段よりも優しげに思えなくもないかも知れない可能性がわずかながらある程度に表情を和らげ、
「……任せました。──そして、任された!」
草履の足で地面を蹴って駈け出すと、二人の横を走り抜けていった。
間もなく、跳躍した彼女は豊かなバストを誇示するように、ラケットを振りかぶる。
「結局それで来るのか……」
ツマナそうに呟いた彼は、先ほど同様一方の翅で斬撃──もとい打撃を防ぎ、もう片側でカウンターを放つ。
燎子はとっさに半身になってこれを躱すと、相手の顔めがけてラケットを突き出した。
──と、空鳥はスサマジイ反射神経でスロートの部分を掴み、片手で打突を止めてしまった。これを見た探偵は即座に得物を放し、ハイキックに移行する。
彼はラケットを横に捨て、左手で蹴りを捌いた。そして、またも翅による攻撃へと転じ──そこから二人は、乱打と回避と反撃と防御の応酬へと発展し、早くも激戦の様相を呈した。
一方、他の場所でも戦闘は再開されていた。各々がマジュウと、そして「鵺」と、懸命に攻防を繰り広げる中、宰だけが所在なく立ち尽くす。
(……何も、できなかった……それどころか、僕のせいで父さんと燎子さんのライターが……! 何が戦うだ! 何が無念を晴らすだ! これじゃあ、本当にただの『思い上がり』じゃないか!)
彼は悔しげに、切れそうなほど唇を噛み締めた。青褪めたその顔には、ある種の激しい怒り──おそらく誰でもない己自身に対する物──が、ハッキリと見て取れた。
(偉そうなこと言ったクセに……また一人だけ、何もせずに生き延びるなんて……!)
俯きギュッと瞼を閉じた少年の目元から、涙が零れ落ちかけた。
──しかし、静かに差し伸べられた白い指先が、その雫を拭う。
と、同時に、彼女の手は宰の顔を無理矢理笑わせるように、ムニュリと歪めてしまった。
「まだ泣いてはいけません、宰様。先ほどのセリフは嘘だったのですか? 『苦しい時こそ笑顔が大事』なのでしょう?」
「あ、碧花さん……?」
「あなたにも、まだできることがあります。
いいえ、むしろ、これはあなたにしかできないことと……。あのマジュウの本体──『曰く』の力を封じるのです。そうすれば、きっと我々にも勝機は見えて来る」
「で──でも、どうやって……? それに、僕なんかじゃ……」
「思い出してください、敬紫様や朱美様があなたに遺したお言葉を」
「あの二人が、僕に遺した言葉……。──!」
何かに思い至った様子の彼に、碧花は頷き返した。
「私がサポート致しまので、一緒に参りましょう。──私も好きなんです、シルキーちゃん」
かくして、宰たちは舞台の奥の祭壇を目指して走り出した。
※
蹴り技の連打により二枚の翅を突破した燎子は、腰を捻り、トドメとばかりに右ストレートを放った。
しかし、その瞬間彼の顔の前の空間が揺らぎ、マジュウと同じお面が現れる。
拳が阻まれたと見るや、彼女は一旦跳び退いて距離を置いた。
お面は、空鳥の顔半分に被さるように浮かんだ物だけではなく、体の周囲に次々と顕現して行った。
「実にくだらない。何か考えがあるのかと思ったが、結局のところ無策じゃないか。……やはり、君はただの失敗作だよ」
「……あなたは何故、センセイや高村警部を殺したのですか? ……どうして──私から母を奪ったのです?」
彼女が尋ねると、たちまち男の顔に、昏い笑みが広がる。
「……フフ、気付いたのか。──あれはね、罰を与えたのだよ。私の実験を台無しにした罰をね」
「……実験?」
「そうさ。──ところで君は、神聖ローマ皇帝の、フリードリヒ二世を知っているかい? 学問と芸術を愛し、中世で最も近代的な君主と評された人物なんだがね」
「……その話、長クナリマスカ?」
「……よしわかった、手短にまとめよう。
彼は様々な人体実験を行ったことで知られるが、その中に、『教育を受けていない子供が最初に話す言語を探る』と言う物があってね。乳母たちに、授乳している赤ん坊にいっさい話しかけないようにと命じたんだ。するとその結果、赤ん坊はどうなったと思う? ──死んだんだよ。愛情を与えられなかったせいで、一人残らず、ね」
「……はあ。……ソレデ?」
「この話を知った時、私は不思議に思ったのさ。『親の愛情がなければ普通のに赤ん坊は死んでしまうらしい。しかし、ならば何故私は生きているのだろう?』と。……つまり、私も実験に使われた赤ん坊たちと同じだったんだよ。愛情を注がれるどころか、存在を黙殺されて育った──謂わば育児放棄と言う奴さ」
「…………」
「おかしな話だろう? 親の愛などなくとも生き延びた私は、もしや人間ではないとでも言うのか……。だとすれば、いったい私の『正体』は何者なのか……。──この疑問を解き明かす為、私は『もう一人の私』を作ることにした。そして、ソレを観察してみようと考えたのさ」
彼がそこまで話した時、薄明かりの中に浮かぶお面の数は六つにもなっていた。それぞれが幽かに揺れ動き、月にかかる暗雲のように、主の姿を部分的に隠す。
「……私はやがて、てきとうな女との間に子を成し、実験動物を用意した。……それが、他ならぬ君なんだよ、篝燎子。君は『もう一人』の私になるはずだった存在──つまり、私の実の娘なのだ!」
「…………………………ソンナ、ベタな……」
あくまでも、気の抜けるようなレスポンスしかできないらしい。驚愕の展開かどうかはともかくとして、自分の出生の秘密に触れたのだから、もう少し驚いてもよさそうだが……。
これには、空鳥も苦笑するしかないようだった。
「まあ、どうせそんな反応だろうとは思っていたけどね。それに、自分で言うのもナンだけど、『ラスボスが血縁者ネタ』は敬紫様とカブってるし。──が、とにかく、これは事実。君は私の子供で、私は産まれたばかりの君を、私の母親に預けた。……そして、私と同じ扱いをするように命じたのさ。『かつて私にした仕打ち──黙殺を、育児放棄を、虐待を、この子にもやれ』とね。──どうだった? あの屑との生活は。散々だっただろう?」
「…………」
「……なのに、君は私のようにはならなかった。それどころか、その瞳だ。未だにそんな、無駄に澄み渡った瞳をしている。──やはり、あの屑がルールを破ったせいだろうが……。いずれにせよ、失敗作に用はない。今すぐ死んでくれ」
彼が言い放った瞬間、六つのお面の口に同時に切れ目が走る。「シルキーちゃん」の笑顔はパカリと裂け、その向こうで暗黒が気味悪く蠢いた。
──直後、例の巨大な百足の群れが、一斉に吐き出された。




