70.二回目の解答
屋敷は隈なく探した。
手がかりはない。
すれ違う使用人らの中でも、アリナの存在に気づき怪訝な顔をする者もあれば、全く気にせず素通りする者もいた。おそらく前者は今回の出来事に深く関わらない…本筋に関係のなかった者達なのだろう。
カイロウはアリナに気づかなかった。
キリカもアリナを目に映すことはなかった。
レイシンとミカゲツは途中までアリナを認識していたが、カヨウと会話し始め、本筋に巻き込まれてからはアリナの識別を失った。
悪魔の所在について、相談できる者がいるとすれば、アリナにはもう一人しか思い浮かばなかった。
「ま、待って!あなたがあたしを避けてることは分かってる。でもあたしはあなたに何もしない!お願い、聞きたいことがあるの!」
巧みに姿を消そうとする小柄な少年を、アリナは必死に追いかける。
ヴァースアック当主の末息子、ヒソラである。
彼は初日にアリナを手助けして以来、姿を隠し、カヨウに追従することでアリナとの接触を避けていた。
それが彼の危機察知能力によるものか、兄曰く人見知りのせいか、あるいは単純にアリナのことが気に食わないだけなのか(実際現実の世界でも当初ヒソラはアリナを邪魔者扱いしていたし)は分からないが、その理由を追及する時間は、もうない。
「あなたしか頼れないのよ!」
渾身の叫びに、少年の足取りに迷いが生じた。その隙に、アリナは体格差を活かしてヒソラへと追いついた。
「あたし…えっとね、あたしは、カイロウさんと、会話できなくなってしまったの。でも、あなたからなら、話しかけられるんじゃないかと思って」
アリナがカイロウらに認識されなくなったのは、アリナが本来はこの世界の住人ではない、異端の者だからだ。
しかしヒソラは違う。彼はこの幻の世界の一員であり、本筋に関わらなくてもその存在が無視されることはない。
「もし、可能なら…カイロウさんに聞いてほしいの。悪魔を呼び出す…ううん、見つけるには、どうしたらいいかって」
「…兄さん達には、頼めないの?」
「そうね、早めに頼んでみれば良かったんだけど…手遅れになっちゃった。もう、あなたしか頼りがないの」
少年は俯き、じっと動かなかったが、やがて顔を上げてアリナと視線を合わせた。
アリナの知る少年のものより明らかに弱々しく覇気がない。しかし、そこに敵意はなかった。
「…分かった」
「ありがとう!」
「兄さん達は、すごいよ。皆、強くて、優しくて…ボクにはできない」
道中、ヒソラはぽつりと言った。
「ボクは末っ子だから、何の役割もないし、期待もされてない…けど、皆のことは好き。皆の役に立ちたいって思う。でも、ボクは一番弱くて、才能がなくて、誰からも頼りになんてされない。お荷物なんだ。皆のこと守ってあげたいのに、皆がボクを守ってくれる。一番下の弟だからって」
語り出されるのは、彼の苦悩だ。
アリナも妹の身だが、自身を役立たずと感じたことはない。姉が天然な性格をしていたこともあり、自分がしっかりしなければと思うくらいだった。
その点ヒソラは上に四人も兄がおり、そのいずれも曲者なのだから、自己肯定感というものが育ちにくいのかも知れなかった。
「カヨウ兄さんはボクと正反対で、真っ直ぐで決断力があるんだ。だから一緒にいて何も考えず従ってると楽なんだ。それじゃダメだって分かってるのに」
「…大丈夫よ。だってあなたはいつか、そのカヨウを顎から殴り飛ばす男だもの」
「ええ?ボクが?嘘だぁ…」
少年はほんの少しだけ笑った。
カイロウの部屋にたどり着く。
剣の手入れをしていた青年が驚いて「どうしたんだ、ヒソラ」と言った。
ヒソラは、優しい兄が剣を手にしていることと、本当に兄がアリナを見ていないことにびくつきつつも、「どうすれば悪魔を見つけられるの」と問いかける。
カイロウは沈黙し、しばらくしてから
「分からない」
横に首を振った。
秘密を守るために誤魔化そうとしているわけではない。それは彼の表情を見れば分かった。
じわじわと定刻までの期限が近づいてくる。アリナは、二度と元の場所に戻れない可能性を見ないふりでやり過ごすのも限界だった。
「どうして…!どこにいるの!?あたしが答えを間違えたから!?不正解だったから、悪魔はその罰として現れなくなってしまったの!?回答権が一回きりなら、最初からそう言ってよ…!」
大股でカイロウに近づき、怯えるヒソラを横目に膝をついて喚く。カイロウからの反応はない。穏やかな目でヒソラを見つめ、「もう、悪魔なんて言葉を口にしてはいけないよ」と諭す。
「悪魔!話を聞いてほしいなら、いくらでも聞くわ!だってそうしなければ戻れないんでしょう!?何だって、いくらだって聞くから、あたしを帰してよ…!誰の話だって構わないから…!」
「…悪魔は、話を聞いてほしいの?」
身を引くヒソラが呟いた。
「そうよ。誰の話だか分からないけど、あたしに話を聞いてもらいたがっていて…」
その時、カイロウがヒソラに呼応して口を開いた。
「ヒソラ。彼はね。はるか昔、愛する女性がいたんだ。愛していたけど、死んでしまった。彼はそのことがずっと忘れられないんだよ」
…愛する女性。
悪魔が固執し、顔が似ているだけのカイロウを代用品にしてでも、その面影を求めていた想い人。
カイロウが、中庭で邂逅したアリナに名乗った偽名。
「だから、ヒソラ。もし彼に出会ったら、怖がらずに、優しくしてあげてくれ。彼は怪物じゃない。傷ついて、思い出に縋っているだけの可哀想なひとだから」
カイロウは末弟に言い聞かせる。
ヒソラはうん、と控えめに頷いた。
同時に、アリナも立ち上がった。
悪魔は言っていた。追憶し、懐旧し、悔恨の混ざった愛慕の表情で、語っていた。
彼女は箱入り娘だった。
体が弱く、家の中に閉じ込められていた彼女。屋内のことなら何でも知っていた彼女。けれど唯一、悪魔だけは彼女も気づけなかった。
二人は、空が青く晴れた日に―――それ以降の話は、聞いていない。
アリナが遮ったからだ。
「…約束…だったのね」
話を後でちゃんと聞くと言った。かつてアリナがそう言ったから、悪魔は引き下がって思い出話を止めた。そうしてアリナとレイシンは陥落したカイロウからミサとの離婚の真相を知った。
「…悪魔」
思えば、ここに来てから確かに悪魔はヒントを出していた。彼女の名前をわざとらしく出したり、「女なんて等しく嫌いよ」とヒステリックに叫んでみたり。
分かりやすいヒントとは言い難いが、確かに悪魔はアリナを助けようとしていた。
「話を聞かせて」
『―――誰の話だ?』
「あなたの愛した…スイという女性の話」
瞬間、光が弾けた。




