69.彼が敬語を使うわけ
何か違和感がある、とカヨウは思った。
父親も、長兄も、出張に出向いた者達は全て無事に戻った。被害もなく、しかし目ぼしい土産もない、平穏な帰還だった。
本来なら喜ぶべきだ。
おっ何だよ兄貴無傷じゃん!心配して損したぜ、と笑いかけて、次男と共謀して訓練に引きずり出して「やっぱ兄貴もちょっとは体鍛えとくべきだよなー」と一緒に汗をかけばいい。
カヨウは、頼りなさそうで実は芯の強い、詳細は知らないが確固な信念を持つ長男を認めている。同時に、当主とするなら次男で決まりだろうとも思うが、それは適材適所という話であり、別にカイロウを見下しているわけでもないのだ。
彼のヴァースアックらしくない性格も、生まれ持ったものなのだから仕方ないと思う。
戦いが嫌いで、怒りも憎しみもなく、向上心もないようだけど、平和に暮らしていけるならそれでいいじゃん、と思う。
カイロウが怒ったところなんて見たことないし、これからもきっとないのだろう。
そう信じていた。
だが、今日は様子が違った。
怒っているわけではない。
ただ、帰還したカイロウが、険しい表情をしているだけだ。
それだけなのに、受ける印象はガラッと変わってしまう。
兄貴の顔って、意外とオレに似てるんだな。
カヨウはその日初めてそう思った。
「カイロウさんが当主になるまでって…それって、今日の、夜までってことじゃないの!?」
「そうだな」
「ど、どうしろっていうのよ!」
今夜、カイロウは父親トウセンを襲撃する。キリカを守るために、自らの力を示そうとしているのだ。
そして、カイロウが当主になってしまえば、アリナは永遠にこの世界に閉じ込められてしまうらしい。
まだ帰還の糸口も掴めていないというのに。
焦りを隠せないアリナに、しかしカイロウは見向きもしない。決意を込めた眼差しで、表情のない白髪の少女を見下ろしている。
いつもの彼なら、目の前に困っている人間がいたら絶対に見捨てはしないはずなのに。
「言っただろ。ここはおれの記憶の世界。おれが正確に覚えている以上、粗筋は簡単には変わらない。お前が襲撃を遅らせようとしても無視されるだけだぜ。今も、カイロウの視界にはお前なんて映っちゃいねえしな」
「な、じゃあ、あたし、今日誰にも認識されなくなるの…!?」
「まあ、本筋に関わらないところなら大丈夫だろうが。渦中にいるカイロウとはもう接触できないと考えた方がいいだろう」
「そんな…」
あまりにも唐突過ぎる。
現実世界でカイロウが行方不明の今、幻とはいえ穏やかに日々を過ごすカイロウの姿を見られたことは、順当に嬉しかった。
補正がかかった姿にろくでもない、と呆れたこともあったけれど、彼は決して悪人ではなかったし、アリナを元の場所へ返そうと協力し、気遣ってくれた。
しかし今はもう、彼がアリナを気にかけることはない。
「落ち込むより先に自分の状況考えろよ。お前、一生戻れなくてもいいのか?」
「いいわけないわ。でも、あたしには、分からない…」
どうすれば帰れるのか。
どこに出口があるのか。
悪魔が設定した条件は、何なのか。
ずっと領地の捜索をしてきた。悪魔が剣の神として一族に崇められ、祠すら作られているのも知った。
ヴァースアックの一族が、親切な人ばかりでもないのを知った。
カイロウの境遇を知った。レイシンが初心なのを知った。カヨウが将来レイシンの補佐となるべき存在だったのを知った。ミカゲツが優しいのを知った。ヒソラが人見知りなのを知った。キリカの過去を知った。
だが、アリナが帰る方法は、誰も教えてくれない。
「あの時おれは、なんて言った?」
「え?」
「思い出せ。あの時、おれは、お前になんて言った?」
悪魔は今、カヨウの姿をしている。
違うのは、その瞳の色が青く染まっていることだ。底の見えない海のような、青に。
目が合う。この感覚はさっき、キリカの記憶を共有した時と同じだ。
何かの情報が流れてくる。
現実の世界。カイロウが街中で消えてしまった日の夜。
アリナの部屋に人影が現れた。
真っ黒な闇に覆われたそれは、立ちすくむアリナの前で、真っ赤な口を開いた。
「はなし、ちゃんと、あとで聞いてくれるっていったよな?」
問い返そうとしたアリナの声が発せられることはなく、彼女は突進してきた影に包まれ、意識を失った。
「…話…?」
アリナがこの世界に飛ばされる直前の記憶。
あの時、影―――悪魔は、話を、聞いて欲しがっていた?
「あなた、あたしに…」
「言え。おれは、お前に、なんて言った?」
「話、を…話を、聞いてくれって」
「それじゃ不十分だ。誰の話だ?考えろ!ヒントはこれまで何回も出した!お前が鈍いから気づかなかっただけだ!」
「は、話…」
悪魔は、アリナを助けようとしている。それが善意によるものかは分からないが。
「条件」を満たせるよう、誘導しているのだ。
悪魔が、アリナに、誰の話を聞いてもらいたがっていたのか。
悪魔が執着している人物など、一人しかいないではないか。
「あ、あなたは、あたしに…カイロウさんの話を、聞いて欲しかった」
その答えに、悪魔はじっと口を閉ざし、やがて泣き笑いで両手を振り上げた。
「―――不正解だ。馬鹿野郎ォ!」
瞬間、悪魔はかき消えた。
「え…待って、ちょっと待ってよ!」
叫んで周囲を見回しても、誰も応じない。
カイロウは未だ、キリカと向き合い、自身の決断を固めている。
「カイロウさん」と呼んで、その腕を引っ張ってみても、何の反応も得られない。「キリカ」と肩を叩いても、少女は凍ったように動かない。
時間が停止したわけではない。感触はあるのに、相手側にはアリナの存在が認識できていないのだ。
アリナは焦燥に駆られつつ、部屋を飛び出した。
「何、あんた、どうかしたのか」
「ミカゲツ、あなた、あたしが分かるのね。良かった…」
「そりゃ分かるだろ。レイシン兄さんだって分かるでしょ?」
「無論だ。私の記憶力を馬鹿にしているのか」
居間にいたのはミカゲツ、レイシン、ヒソラの三人だったが、アリナの姿を目にした途端、ヒソラはそそくさと退室してしまった。
少し寂しいが、今は後回しにするしかない。
「…レイシンさん。ちょっとお話したいんですけど、いいですか」
「な、何だと?何故指名なんだ。私に何を吹き込むつもりだ貴様」
「僕だけ除外か。別にいいけど」
迷っている暇はない。アリナは口を開いた。
「剣の神様は、カイロウさんのことを特別扱いしてるんじゃないんですか?」
「…な」
ミカゲツが胡乱な顔つきになるのと対照的に、みるみるレイシンの表情は驚愕を形作った。
「な、ど、どこで…まさか兄上が!?なんということを…!秘密を部外者に漏らすなんて…!?」
「秘密?秘密って何ですかレイシン兄さん」
「う、ううるさいお前には関係ない!ちょっとこっちに来てもらおうか!」
レイシンがアリナの裾を掴み、片隅へと引きずっていく。その後ろをミカゲツが追いかけようとして、兄に物凄い目で睨まれてやめた。
「き、貴様、本当に兄上から聞いたのか!?嫡子にのみ受け継がれる秘伝を!?」
「答えてください。悪魔…じゃない、剣の神様は、何を求めていたんですか?」
「そ、そんなの私ごときが知るはずないだろう…神の意向など人に計り知れるものではない。初代がこの地を開拓したその時から、神は彼を見守り、土地の守護を担い始めた。桁が違うのだ」
「初代?初代ってあの?」
「そう。剣王ライだ。英雄王リュカ、賢者ジルベルト、女傑アンリと共に、魔族の王を倒し世界を救った」
悪魔は、初代ヴァースアックの時代から彼らを見守っていた。
興味のある情報だが、アリナが求めているものとあまり関係はなさそうだ。
レイシンも、これ以上詳しいことは知らないだろう。
よりによって悪魔について最も知識のあるカイロウと会話ができないのが、もどかしい。
アリナは礼を述べようとして、レイシンの異変に気付いた。
少年はアリナを見ていない。
ミカゲツを振り返る。彼も同じだった。
(まさか)
「兄さん!うお、ミカゲツもいたのか」
ダイナミックに扉を開け入ってきたのはカヨウだ。
これまでアリナに向けてきた敵意はそこにはない。彼もまた、アリナを認識していなかった。
「何だカヨウ。入る時は静かに…」
「それより!兄貴が帰ってきたぜ」
「知ってるよ僕達父さんの出迎えさっきしてきたし。カヨウ兄さんの情報網腐ってんじゃない?」
「て、てめえミカゲツ!あんまり酷い言葉使うな悲しくなるだろ!」
弟に挑発されても手を出さず叱咤で済ませるカヨウの姿は、アリナの記憶と一致していた。やはり、これが本来の彼なのだと、場違いだが安心する。
「でも、父さんには会っても兄貴のことは見てないんだろ?」
「そうだな。兄上は父上の帰宅より先に家に戻っており、早々に自室にこもってしまったようだ」
「オレはそこを見たんだよ。兄貴が…何か、機嫌悪そうだったんだ」
「嘘でしょ。カイロウ兄さんが不機嫌とか、カヨウ兄さんの幻覚か、妄想か、夢か…まあどれでも出来が悪いね」
「本当なんだって!声かけらんなかったよ。あんな兄貴初めてだ。どうする?オレ、嫌だよこんな…」
「本当、想像力逞しいねカヨウ兄さん。作家にでもなったら?売れないだろうけどさ」
「……どうする?兄貴に何か聞いてみたほうがいいかな」
「カヨウ兄さんが口出したら余計なことまで言っちゃってますます機嫌悪くなるんじゃない?無神経だし」
軽口を続けていたミカゲツの頬を、カヨウが引っ叩いた。
余程強い力だったのか、ミカゲツの座っていた長椅子が傾いて鈍重な音を鳴らした。
「いい加減にしろよお前!!いちいち馬鹿にしやがって。オレは本気で心配してんだよ!上から目線で物言いやがって、敬語くらい使えねえのかよ!?」
レイシンが血相を変えてカヨウに駆け寄る。
「おいカヨウ!弟に手を出すとは何事だ!」
「うるせえ!兄さんこそオレには容赦なく攻撃してくるくせに!」
「それはお前がいつもふざけるから…!」
「オレだって真面目な時くらいある!今がそうだ。なのにミカゲツが茶化すから…!」
「お前が私にいつもやってくることをミカゲツにやり返されただけだろうが!殴る必要ないだろう!」
「だから…!」
しばらくミカゲツは硬直していたが、二人の言い争いが疲弊により静まってきた頃合いで、俯いて小さく「ごめ…すみ、ませんでした」と呟いた。
思わず兄二人は沈黙し、顔を見合わせて視線を泳がした。
「いや、悪い。オレもやり過ぎた。殴るこたぁなかったな。顔大丈夫か?ミカゲツ」
「ミカゲツ。カヨウに殴られたのは、多分初めてだろう?萎縮せずとも良い、もうこいつも怒っていない。しかし、お前の言い方にも問題はあった。分かるだろう?」
「はい…すみませんでした。場を和ませる冗談のつもりだったんです…」
「敬語?」「敬語だ」「やっべ、オレのせい?」「まあ、悪いことではないだろう。弟が兄を敬うのは当然のことだ」「うわ、そんなんだからモテねえんだよ兄さん」「何だと!?」というやり取りを小声で交わすレイシンとカヨウ。沈んだ表情で膝を抱えるミカゲツ。
そして、一部始終を誰に気づかれることなく見届けたアリナ。
(ここも、正確な悪魔の記憶…)
少年達はアリナを認識せず、干渉できなかったことから、この一連の応酬は実際に、過去にあったことなのだと悟る。
(…悪魔を探さないと)
アリナは微妙な距離感の三人を残し、居間を後にした。




